著者
土屋 敦
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.190-197, 2007-09-20 (Released:2017-04-27)
参考文献数
10

本稿の目的は、1960年代半ばから1970年代初頭にかけて全国地方自治体で展開された「不幸な子どもの生まれない運動」の内実及び、この「障害児」の出生抑制政策がこの時期興隆した社会構造的要因を明らかにすることを通じて、そこにこの時期日本社会における優生政策の再興隆の契機が存在したこと、そしてこの運動が日本の優生政策上の一つの転換点を画する運動として存在した事実を跡付けることを目的とする。また、同時期に、この政策が導入された社会的土壌及び「障害児」の出生抑制が「必要」とされた同時期の社会構造的要因を明らかにすることにある。
著者
土屋 敦
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.190-197, 2007-09-20

本稿の目的は、1960年代半ばから1970年代初頭にかけて全国地方自治体で展開された「不幸な子どもの生まれない運動」の内実及び、この「障害児」の出生抑制政策がこの時期興隆した社会構造的要因を明らかにすることを通じて、そこにこの時期日本社会における優生政策の再興隆の契機が存在したこと、そしてこの運動が日本の優生政策上の一つの転換点を画する運動として存在した事実を跡付けることを目的とする。また、同時期に、この政策が導入された社会的土壌及び「障害児」の出生抑制が「必要」とされた同時期の社会構造的要因を明らかにすることにある。
著者
土屋 敦
出版者
福祉社会学会
雑誌
福祉社会学研究 (ISSN:13493337)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.13-29, 2020-05-31 (Released:2021-06-23)
参考文献数
22

本稿では,戦後日本の児童福祉法下における1940 年代後半から2000 年代までの社会的養護,中でも施設養護の議論における「愛着障害」概念興隆/盛衰の軌跡を, 「子どもの発達」をめぐる歴史社会学の視座から跡付ける.同時期は,社会的養護が戦後直後の戦災孤児の収容の場であった戦後直後期から, 児童福祉における家族政策の本格的開始時期である高度経済成長期,「子捨て,子殺し」などが社会問題化し社会的養護のあり方の変革が施設養護の場から 提起された1970 年代~80 年代をはさむかたちで,1990 年代以降の児童虐待時代に連なる時期に該当する. 「愛着障害」概念は,太古の昔からある脱歴史的な概念ではなく,近代的子ども観や近代家族規範の形成や流布などとの交錯関係の中で歴史的に特定の時 期に形成された政治的な概念である.また同概念の盛衰過程には,その時代の社会的養護の場における施設観や家族観が色濃く刻印されている.本稿では, 戦後日本の「愛着障害」をめぐる議論には,戦後直後と1990 年代以降の現在という,議論が特に活発化した2 つの時期があることを指摘するとともに, それぞれの時代の社会的養護の場に編み込まれた「子どもの発達」問題の諸相を跡付ける.
著者
小林 伸行 都築 隆 萬造時 知子 渡部 洋行 竹澤 三代子 土屋 敦 土屋 章
出版者
公益社団法人 日本人間ドック学会
雑誌
人間ドック (Ningen Dock) (ISSN:18801021)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.34-41, 2014 (Released:2014-09-30)
参考文献数
20
被引用文献数
1

目的:脂肪肝の線維化の指標としてのFIB4 Indexの有効性を検討する.方法:複数回受診の脂肪肝症例について,初回と最終回受診時のFIB4 Indexを算出した.線維化のcut off値を2.67とし,初回受診時2.67未満の12,059例を対象とした.初回から最終回受診までの期間,FIB4 Indexの変化を求めた.最終回受診時にFIB4 Indexが2.67以上へ上昇した症例について,性別,アルコール性/非アルコール性の脂肪肝種類別に比較した.FIB4 Index算定式の各因子(年齢,AST,ALT,血小板数)および超音波画像の変化を検討した.結果:最終回にFIB4 Indexが2.67以上に上昇したものは161例(1.3%)であった.この上昇群では初回からFIB4 Indexが有意に高値であった.観察期間5年未満のFIB4 Index上昇群の頻度1.1%に対し,5年以上では1.6%と有意に多かった.男女間やアルコール性,非アルコール性によるFIB4 Index上昇群の頻度には差を認めなかった.算定式の4因子のうち,ASTの変動が最も大きくAST/ALT比も初回0.86から最終回1.18と上昇した.初回から最終回の超音波画像上の変化は,161例中3例に肝辺縁の鈍化を認めたのみであった.結論:FIB4 Indexの変化に要する期間や,AST優位への変化から,線維化の予測指標としての可能性が示唆された.
著者
吉田 耕平 土屋 敦
雑誌
地域科学研究 (ISSN:24333492)
巻号頁・発行日
no.9, pp.1-22, 2019

This paper explores changes in the handling of problem behavior in children residing at children's homes, particularly over the period of 1980-2000, from the perspective of medicalization (Conrad and Schneider 1992=2003). We chose Children's Home Y, which exhibited advancement the administration of psychotropic drugs to children, for research purposes, conducting semi-structured interviews with eight staff members working at the facility.Our research revealed that a large number of delinquent children resided at Children's Home Y through the 1980s, and that it was an everyday occurrence for staff to restrain violent children. By the 1990s, however, as corporal punishment became taboo as children's rights came to the fore, this type of punishment was no longer acceptable. As of the early 2000s, specialized mental health staff have been assigned to children's homes, while full-time psychiatrists are now assigned to child consultation centers. At this time it became easier for children with behavioral problems to be diagnosed as ADHD, and psychotropic drugs have clearly have been prescribed more frequently.Handling of behavioral problems in these children saw a major shift from corporate punishment to administration of psychotropic drugs, along with a trend toward medicalization. At the same time, interviews with staff indicated a certain degree of uneasiness with regard to the possibility over-medication, as well as concern over side effects of psychotropic drugs.
著者
土屋 敦
出版者
日本子ども社会学会 ; 1995-
雑誌
子ども社会研究 = The Journal of child study (ISSN:13467654)
巻号頁・発行日
no.23, pp.113-131, 2017

The purpose of this paper is to analyze the historical process of " Symposium for Saving the Rights of Children" as social movement from late 1960s to 1970s in Japan and to reveal that this movement had many characteristics of claim-making activity (Spector & Kitsuse 1977) that had impacts on contemporary society.The major findings of this paper are as follows. First, this movement was the claim-making activity that emphasize that the coverage of "Child Protection" in official must be expanded to the children who were cared inside of their families. Second, the claim-making activity had started with the problematization of "Infanticide" in early 1970s in Japan. Third, the complete survey of child care institution was conducted at the end of "Symposium for Saving the Rights of Children" and the result of it was presented as Warrants (Best 2008) of this social movement. This paper finally discusses implication of these findings for child welfare of contemporary society.
著者
土屋 敦
出版者
慶應義塾経済学会
雑誌
三田学会雑誌 (ISSN:00266760)
巻号頁・発行日
vol.102, no.1, pp.91-118, 2009-04

本稿では, 1960年代半ばから1970年代初頭にかけて, 地方自治体主導で全国的に行なわれた「先天異常児」の出生予防政策である「不幸な子どもの生まれない運動」の興隆過程を分析し, それが日本社会の人口構造が「(多産)多死型」から「(少産)少死型」へと移行する際に, そこで生じたマクロな疾病構造の転換に対応する形で, また特に乳児死亡率の低下に伴う母子衛生行政の再編過程で, 優生政策を伴う生殖・出産をめぐる「新たな」管理様式であることを指摘した。またその際に, 同運動の興隆過程を, 「胎児」をめぐる新しい医療化の一局面特に「先天異常児」の出生予防のために, 女性の妊娠時の年齢や「胎児」の保護とその健康管理が産科医療の実践の中でより大きなウェイトを付与されていく過程として概念化した。This study analyzes the rising process of the "Movement for Preventing Unfortunate Children. From "being born," a birth prevention policy of "Children with Congenital Diseases" which transpired countrywide from the mid-1960s to the early 1970s led by local governments. I indicate that as the Japanese society shifts from a population structure of "(high birth rates) high mortality rates" to "(low birth rates) low mortality rates," the resulting form of response to the transitions in the macro disease structure, especially when considering the process of reorganization of the maternal and child health policy that accompanies decreases in infant mortality rates, serves as a "new" management method regarding reproduction and birth that represents eugenics. Also at this time, this study conceptualizes the rise of this movement as a process, in which stronger weights within the practice of obstetric care were attributed to women's age at the time of pregnancy and protection of the "fetus" and its health management, with the purpose of preventing birth of "Children with Congenital Diseases" in particular, as one aspect of the new medicalization of the "fetus."小特集 「いのち」の歴史学に向けて : われわれはいまどんな時代に生きているのか
著者
土屋 敦夫
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
1993-07-23

本文データは平成22年度国立国会図書館の学位論文(博士)のデジタル化実施により作成された画像ファイルを基にpdf変換したものである
著者
土屋敦雄
雑誌
外科
巻号頁・発行日
vol.50, pp.797-800, 1988
被引用文献数
1
著者
土屋 敦 大畑 尚子 渡部 麻衣子 高田 史男
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.47-57, 2008-09-21

本稿では、全国社会意識調査(N=3402)から、エンハンスメント論の中でも特に主題となることの多い、「体力や身体能力」「頭のよさ(知能)」「老化」の各カテゴリーに対する日々の日常的関心度および遺伝学的エンハンスメント(Genetic Enhancement)に対する意識の度合いを従属変数とし、基礎属性・家族変数、及び遺伝意識変数(遺伝子決定感)の因子分析結果を独立変数とする二項ロジットモデル(比較モデル)を組み立て、遺伝子技術利用のエンハンスメント領域への活用に対する意識の特性を析出した。結果、日常的関心度には性別・年齢・学歴がその意識の形成・規定要因として大きく寄与していた一方で、遺伝学的エンハンスメントには、性別および就業形態の影響が高いという意識の構造的差異が析出された。また、遺伝学的エンハンスメントに対しては、遺伝子決定感に関する「身体・外面性因子(第一因子)」および「医療因子(第四因子)」がその意識の形成・規定要因として寄与している、という、遺伝子決定感内部での効果の差異が明らかになった。