- 著者
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堀 伸一郎
- 出版者
- 日本印度学仏教学会
- 雑誌
- 印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
- 巻号頁・発行日
- vol.63, no.3, pp.1322-1328, 2015-03-25
識語に15世紀の日付を明記する古ベンガル文字仏教写本が複数存在する.本稿では,ケンブリッジ大学図書館所蔵Kalacakratantra貝葉写本(Add. 1364)の識語について,実見調査に基づく解読結果を提示した上で日付・地名・人名・肩書等を検討する.同写本は1870年代に外科医Daniel Wrightがカトマンドゥ盆地で収集したものである.Kalacakratantra校訂本(Raghu Vira and Lokesh Chandra 1966およびBanerjee 1985)では本写本が使用された.2枚の夾板の両面に細密画が描かれているため,Pratapaditya Palをはじめ多くの美術史研究者の注目を集めた.従来の研究では写本の年代を1446年とするが,識語の日付に曜日が含まれているため,インドの暦法に基づいて日付を西暦に換算し確定することが可能である.「ヴィクラマ暦1503年Bhadrapada月黒分13日水曜日」という日付が,満年数・Karttika月始まり・満月終わりで記述されているものとすれば,Suryasiddhantaに基づくソフトウェアpancangaによって,西暦1447年8月9日水曜日に確定する.寄進者は,sakyabhiksuの肩書を持つJnanasriである.筆写者はJayaramadattaであり,sasanikakaranakayastha(行政書士)という肩書を持っていた.筆写者の居住地と考えられるKerakiという村名は,データベースIndia Place Finderで検索すると,ビハール州ガヤー県Kerki村,ジャールカンド州パラームー県Kerki村という二つの比定候補が見出される.識語の最後に書かれる1詩節は,Ratnavadanatattvaの最終詩節と一致する.Kalacakratantra写本の他,コルカタ・アジア協会所蔵Bodhicaryavatara写本(G. 8067)の識語に記される日付は,西暦1436年2月21日火曜日に確定し,ムンバイ・個人所蔵Karandavyuha写本の日付は,西暦1456年10月27日水曜日に確定する.東インドでは,ヴィクラマシーラ等の大規模仏教寺院が13世紀初頭までにテュルク系ムスリム軍の軍事攻撃で破壊された後,仏教が滅亡したというのが従来の通説であった.しかし本稿で扱う写本識語は,15世紀中葉の東インド村落地域にサンスクリット仏教文献を伝承する仏教徒が存在したことを明確に示しており,通説に再考を促すものとなろう.