- 著者
-
山崎 達雄
- 出版者
- 一般社団法人 廃棄物資源循環学会
- 雑誌
- 廃棄物資源循環学会研究発表会講演集 第30回廃棄物資源循環学会研究発表会
- 巻号頁・発行日
- pp.145, 2019 (Released:2019-11-20)
私達が排泄する屎尿は、下水道が整備される以前は、屎尿が肥料として有用であったことから、人力による運搬の外、高瀬舟等により、近郊農村にとどまらず、宇治や乙訓等まで運ばれ、古くから利用されていました。屎尿の運搬は、明治に入ると、博覧会等で入洛する外国人の目を気にしてか、厳しく規制され、特に、明治5年(1872)の日出1時間前に限る運搬時間の制限は、百姓にとって死活問題でありました。このため、屎尿の汲取・運搬の利便を図るため、汲取会社の設立が計画され、排出量の調査まで行われています。これらは、「京都府史」に記載されていますが、内容は断片的で、詳細が記述されたとされる京都府行政文書の「郡村掛庶務一件」は現存せず、実際に会社が設立されたのかは不明でした。汲取会社に関連する史料を、下鴨村の村長等を歴任した鈴木家文書等にみつけることができましたので、京都の廃棄物処理史の一断面として報告したい。