著者
尾本 恵市 袁 乂だ はお 露萍 杜 若甫 針原 伸二 斎藤 成也 平井 百樹 YUAN Yida HAO Luping 袁 いーだ 〓 露萍 三澤 章吾
出版者
東京大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1990

本研究は、中国東北部の内蒙古自治区および黒竜江省の少数民族であるエヴェンキ族、オロチョン族ならびにダウ-ル族の集団の遺伝標識を調査し、中国の他の集団や日本人集団との間の系統的関係を推定しようとするものである。このため、平成2年度には予備調査として各集団の分布状態や生活の概要、ならびに採血の候補地の選定などを行い、平成3年度に採血および遺伝標識の検査を実施する計画をたてた。平成2年度には、まず内蒙古自治区のハイラル付近にてエヴェンキ族の民族学的調査を実施した。エヴェンキ族は元来シベリアのバイカル湖の東側にいたが南下し、南蒙古自治区に分布するようになったといわれる。本来はトナカイの牧畜と狩猟を生紀テント生活をしていたが、現在では大部分は村落に定住し農耕を行っている。われわれは、さらに北上してソ連との国境に近いマングイ地区にて未だ伝統的な狩猟とトナカイ牧畜の生活をしているエヴェンキ族の民族学的調査をした。次いで、大興安嶺山脈の東側のオロチョン族の村落をたずね、民族学的調査を実施した。オロチョン族は大興安嶺北部および東部に散在して分布し、人口はわずかに約3千2百人(1978年)である。元来は狩猟と漁労を生業としていたが、現在では村落に定住し、農耕を行っている。エヴェンキとオロチョンの身体的特徴としては平坦な丸顔、細い眼、貧毛などの寒冷適応形態をあげることができる。われわれは、さらに、黒竜江省との境界に近いモリダワ地区にてダウ-ル族の民族学的調査を行った。ダウ-ル族はエヴェンキやオロチョンと異なり、それほど頬骨が張っていず、かなり系統の異なる集団であるとの印象を受けた。日本隊の帰国後、中国側の分担研究者により、ダウ-ル族150名の採血が実施され、遺伝標識(血液型9種、赤血球酵素型8種、血清タンパク型4種)の検査もなされた。平成3年度には、ハイラル市の近くの民族学校にてエヴェンキ族の117検体を採血し、またオロチョン族については内蒙古自治区のオロチョン旗(アリホ-)および黒竜江省の黒河の近郊にて81検体を採血した。これらの試料につき、血液型10種、赤血球酵素型6種、血清タンパク型3種の型査を行い、18の遺伝子座に遺伝的多型を認めた。個々の多型の検査結果のうち、特に注目すべき点は次の通りである。Kell血液型では、エヴェンキではK遺伝子は見られなかったが、オロチョンではごく低頻度(0.006)ではあるがK遺伝子が発見された。この遺伝子はコ-カソイドの標識遺伝子であり、モンゴロイドでは一般に欠如している。今回の結果は、オロチョンの集団にかつてコ-カソイド(おそらくロシア人)からの遺伝子流入があったことを示す。同様のことは、赤血球酵素のアデニル酸キナ-ゼのAK*2遺伝子に見られた。この遺伝子もコ-カソイドの標識遺伝子であるが、エヴェンキに低頻度(0.009)ではあるが発見された。また、血清タンパクのGC型のまれな遺伝子1A2がオロチョンで0.012という頻度で発見されたことも興味深い。この遺伝子は始め日本人で発見されGcーJapanと呼ばれていたもので、従来、朝鮮人には見られるが、中国の集団からは発見されなかった。したがって、この遺伝子の分布中心は東北シベリア方面である可能性が示唆された。これらの遺伝子の頻度デ-タにもとづき根井の遺伝距離を算出し、UPGMA法および近隣結合法により類縁図を作成した。比較したのは中国の少数民族6集団および日本の3集団(アイヌ、和人、沖縄人)である。日本人(和人)に最も近縁なのは朝鮮人であり、ついでダウ-ル族およびモンゴル族がこれに続く。このことは、日本人(和人)の形成に際し朝鮮からの渡来人の影響が大であったことを物語る。エヴェンキとオロチョンとはひとつのクラスタ-を形成するので、互いに近い系統関係にあると考えられる。しかし、両集団共日本の3集団とはかなり遠い系統関係にあることが明らかとなった。
著者
落合-大平 知美 倉島 治 長谷川 寿一 平井 百樹 松沢 哲郎 吉川 泰弘
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement 第22回日本霊長類学会大会
巻号頁・発行日
pp.85, 2006 (Released:2007-02-14)

大型類人猿情報ネットワーク(GAIN)および旧ナショナルバイオリソースプロジェクト・チンパンジーフィージビリティスタディでは、国内で飼育されている大型類人猿の基本情報を収集および公開するとともに、廃棄される遺体の有効利用など、非侵襲的な方法での研究利用の推進をおこない、飼育動物の生活の質(QOL)の向上などにつながる研究の促進と、その研究成果のフィードバックに取り組んできた。本発表では、大型類人猿を飼育する36施設を実際に訪問しておこなわれたヒアリングと、社団法人日本動物園水族館協会(2004年6月2日現在、国内の91の動物園と69の水族館が加盟)によりまとめられた血統登録書や過去の文献などから、大型類人猿の日本での飼育の歴史についてまとめたので報告する。 日本の大型類人猿の飼育の歴史は、江戸時代である1792年にオランウータン(Pongo pygmaeusもしくはPongo abelii)が長崎の出島に輸入されたのが最初である。1898年には上野動物園でオランウータンが、1927年には天王寺動物園でチンパンジー(Pan troglodytes)が展示されている。ゴリラ(Gorilla gorilla)がやってきたのは、戦後の1954年であり、移動動物園で展示された。1950年以降は日本各地に動物園が設立され、1980年に日本がCITESを批准するまで、ボノボ(Pan paniscus)を含むたくさんの大型類人猿が輸入されている。近年は、チンパンジーが56施設352個体(2005年12月31日現在)、ゴリラが11施設29個体(2005年9月30日現在)、オランウータンが24施設53個体(2004年12月31日現在)飼育されているが、亜種問題や血縁関係の偏りなどが明らかになっており、遺伝的多様性を確保したままの個体数の維持が課題となっている。