著者
有馬 哲夫
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

二〇〇四年の著書『ソフトパワー』でジョゼフ・ナイは非軍事的・非強制的手段としてソフトパワーの重要性を強調したがアメリカが対日政策においてどのようなソフトパワー戦略をとったのか具体的事例を示さなかった。本研究は冷戦期(占領期を含む)において、アメリカがどのような対日ソフトパワー戦略をとったのか、具体的事例について研究した。その結果、テレビの導入を含む占領期の日本のメディア改造によってアメリカのソフトパワーが働きやすい状況が作られ、それがアイゼン・ハワー政権による「アトムズ・フォー・ピース」の宣伝を含む日本への原子力平和利用の導入において効果をあげたことが分かった。
著者
有馬 哲夫
出版者
國士舘大學比較法制研究所
雑誌
比較法制研究 = KOKUSHIKAN COMPARATIVE LAW REVIEW (ISSN:03858030)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.105-122, 2017-12-20

会議名 : 第7回「東京裁判」研究会開催地 : 中央図書館4階 グループスタディ室E期日 : 平成29年5月6日 (土)
著者
有馬 哲夫
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

従来原爆はアメリカが開発し、使用を決定したとされてきた。本研究では原爆はケベック協定ののもと英米加の3カ国が共同で開発し、資源開発もし、使用にあたっても、英米の合意と加の了承が必要だったことを明らかにした。しかしながら、原爆完成後はアメリカはケベック協定を一方的に破棄したため、イギリスとカナダは原発などを独自に開発しなければならなかった。また大戦終結後にソ連と共に核拡散および核兵器の国際管理の体制を築かなければならなかったが、イギリス、カナダの協力が得られなかったために、これもできなかった。
著者
有馬 哲夫
出版者
ワック
雑誌
Will : マンスリーウイル
巻号頁・発行日
no.171, pp.205-211, 2019-03
著者
有馬 哲夫
出版者
新潮社
雑誌
新潮45
巻号頁・発行日
vol.37, no.8, pp.186-193, 2018-08
著者
小沢 博 有馬 哲夫 大西 洋一 中村 隆 大河内 昌 石幡 直樹 ROBINSON Peter
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1995

本研究の目的は、英文学に現れた異人概念の変遷を比較検討することにより、英文学及び英国文化を、広義の異文化交渉史の中で捉え直すことにあった。新大陸や東洋のみならず、文学的尚古主義、階級差、性差といった広い意味での内なる異文化も対象とし、そこに継起する異人概念の変遷を検証することにより、英文学を内と外の複眼的視点で相対化しようとする試みである。こうした観点から、小沢は、英国ルネサンス期に見られる外国人排斥運動の思潮を検討し、これが当時の演劇作品と上演活動にどのような影響を与えているかを考察した。石幡は、英国ロマン派文学に顕著な尚古主義や高尚なる野人の概念を異文化への憧憬の象徴的行為として捉え、ロマン派思潮台頭の背後にある社会文化的要因を当時の異国趣味との関連で検討した。大河内は、19世紀における階層社会の形成を異人としての下層階級の形成として捉え、当時の政治経済理論がこうした内なる異人の生産といかに連動していたかを政治社会史的文脈の中で探った。中村は、19世紀英国小説におけるユダヤ人の表象を検証し、大衆文化の担い手としての小説がいかに通俗的な異人観を形成していったかを考察した。大西は、17・18世紀英国演劇における新大陸と東洋の表象を比較検討し、西欧の西進と東進がもたらした異なる二つの非西欧文化との交渉を演劇の文化史として考察した。有馬は、アメリカ文学におけるインディアンの表象の変遷を俯瞰し、これを英国の植民地政策との関連で比較文化論的に考察した。Robinsonは、英国近代文学の創作活動が異人としての女性の侵入と密接な関係を持ってきたことを、RichardsonのClarissaやT.S.EliotのThe Waste Land改作問題と絡めて検証した。以上のような具体的研究成果を通じ、共同研究者の知見を統合して、英文学における異人概念の変遷の一面を解明できた。
著者
有馬 哲夫
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

日本の戦後放送体制成立に関する従来の研究は、SCAPの民間通信局(CCS)と民間情報教育局(CIE)が、日本の放送機関をどのように改造し、戦後の放送体制を規定した放送法の制定にどのように関わったのかについては論じてきが、それがアメリカ合衆国政府の政策、とりわけトルーマン政権の反共産主義政策(対日占領政策を含む)とどのように関係しているのか、連動しているのかについては考察してこなかった。そこで、本研究ではとくに一九四七年八月二七日に日本側に示されたハウギー・メモと一〇月一六日に日本側に渡されたファイスナー・メモのあいだに起こった変化、つまり、日本放送協会独占体制から公共放送・民間放送並立体制への変化に焦点をあて、アメリカの反共産主義政策(対日占領政策を含む)が、戦後の日本の放送体制の形成にどのように影響したのかを検証した。その結果、1)マッカーサーによる早期占領終結の準備(一九四八年大統領選出馬のため)、2)国際放送開始のための準備、3)のちに米対日協議会を結成するジャパンロビーのメンバーと国防次官ウィリアム・H・ドレイパーによる、いわゆる占領政策「逆コース」、の三つが複合してこの変化を生んだことがわかった。この放送立法の「逆コース」から、公共放送・民間放送並立体制、それに続く民間放送設立ラッシュ、小電力他局化政策、日本テレビ放送網を中心とするテレビ導入の動きは生まれたのだと結論づけた。本研究ではとくに一九四七年八月二七日に日本側に示されたハウギー・メモと一〇月一六日に日本側に渡されたファイスナー・メモのあいだに起こった変化、つまり、日本放送協会独占体制から公共放送・民間放送並立体制への変化に焦点をあて、アメリカの反共産主義政策(対日占領政策を含む)が、戦後の日本の放送体制の形成にどのように影響したのかを検証した。