著者
阪井 裕一郎 本多 真隆 松木 洋人
出版者
The Kantoh Sociological Society
雑誌
年報社会学論集 (ISSN:09194363)
巻号頁・発行日
vol.2015, no.28, pp.76-87, 2015-08-07 (Released:2016-10-12)
参考文献数
21

In many developed societies, there is an increase in the number of couples who are cohabiting in unregistered marriages. This trend is often used as an example to indicate changes in consciousness that are part of the transformation of a modern society. Those who have adopted the Japanese term “jijitsukon (unregistered marriage)” to refer to their cohabitation often regard themselves as “married,” yet the question of “why couples in an unregistered marriage choose that option” has received little attention to date. We conclude that the practice of “unregistered marriages” is neither a simple secession from the idea of a conventional “marriage” nor is it restricted to a “traditional” vocabulary. Instead, it should be viewed in terms of a “reinterpretation” of marriage.
著者
本多 真隆
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.21-38, 2015-10-01 (Released:2020-06-20)
参考文献数
25

近代日本の家族とセクシュアリティに関する歴史社会学研究において、「近代家族」規範の浸透と連動した「妻」と「娼婦」の分断は重要なテーマのひとつである。この分断は、近年の先行研究においては、幕藩体制では必ずしも蔑視の対象ではなかった芸娼妓が、明治期以後、「妻(家庭婦人)」に対する「娼婦」の側に位置づけられる過程として描かれてきた。 しかし近代日本の言説を検討すると、「娼婦」を「公娼」と「私娼」に類別して、前者を家族規範と共存させる論調など、先行研究とは異なる局面も散見される。また、戦前期においては、婚姻外の性関係を一定程度許容する「家」規範も優勢であった。本稿は廃娼論と存娼論における、「公娼」と「私娼」の分断への着目から、近代日本における家族規範と買売春の関連の一端を明らかにする。 検討の結果、廃娼論は「近代家族」的な家族観と「性」の問題は個人の倫理観に委ねるという発想から公娼制度を批判し、対して存娼論は公娼制度との共存で保たれていた「家族」を擁護するという発想から、「私娼」を批判していた様相が示された。結論部では、近代日本における廃娼論と存娼論の対立、および「公娼」と「私娼」の位置づけの違いは、存続の危機をむかえていた公娼制度と、新たに勃興した性風俗、そして「家」と「近代家族」のあいだで変動の過程にあった「家族」をどのように整合的に位置づけるかをめぐる見解の相違であったと位置づけた。
著者
本多 真隆
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.21-38, 2015

<p>近代日本の家族とセクシュアリティに関する歴史社会学研究において、「近代家族」規範の浸透と連動した「妻」と「娼婦」の分断は重要なテーマのひとつである。この分断は、近年の先行研究においては、幕藩体制では必ずしも蔑視の対象ではなかった芸娼妓が、明治期以後、「妻(家庭婦人)」に対する「娼婦」の側に位置づけられる過程として描かれてきた。 しかし近代日本の言説を検討すると、「娼婦」を「公娼」と「私娼」に類別して、前者を家族規範と共存させる論調など、先行研究とは異なる局面も散見される。また、戦前期においては、婚姻外の性関係を一定程度許容する「家」規範も優勢であった。本稿は廃娼論と存娼論における、「公娼」と「私娼」の分断への着目から、近代日本における家族規範と買売春の関連の一端を明らかにする。 検討の結果、廃娼論は「近代家族」的な家族観と「性」の問題は個人の倫理観に委ねるという発想から公娼制度を批判し、対して存娼論は公娼制度との共存で保たれていた「家族」を擁護するという発想から、「私娼」を批判していた様相が示された。結論部では、近代日本における廃娼論と存娼論の対立、および「公娼」と「私娼」の位置づけの違いは、存続の危機をむかえていた公娼制度と、新たに勃興した性風俗、そして「家」と「近代家族」のあいだで変動の過程にあった「家族」をどのように整合的に位置づけるかをめぐる見解の相違であったと位置づけた。</p>
著者
本多 真隆
出版者
Japanese Council on Family Relations
雑誌
家族研究年報 (ISSN:02897415)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.59-76, 2015 (Released:2015-12-11)
参考文献数
47

有賀喜左衛門は、「家」についての実証的研究で名が知られるが、その政治的立場に着目されることは少ない。しかし有賀は、戦後の革新陣営や保守陣営とは違うかたちで、「家」と「民主主義」について多くの議論を展開していた。本稿は、有賀の「家」と「民主主義」についての議論を、彼の「家」に対する問題意識と照らし合わせながら分析し、またその議論が戦後の家族研究においてどのような立ち位置にあるかを探る。 検討の結果、「家」が「民主化(近代化) 」していくという、有賀の問題意識と視座が明らかになった。結論部では、有賀が提示した視座を「家族」の民主化ではなく、「家」の民主化と位置づけ、その展望について論じた。
著者
本多 真隆
出版者
Japanese Council on Family Relations
雑誌
家族研究年報 (ISSN:02897415)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.129-146, 2013-07-10 (Released:2017-02-14)
参考文献数
42

本稿は、日本の家族研究における、M・ヴェーバーの「ピエテート(Pietät)」概念の受容のあり方を、戸田貞三と川島武宜の著作を中心に検討する。M・ヴェーバーの「ピエテート」概念は現在、「家」制度における権威服従関係を支える意識として理解されている。戸田と川島はそれぞれ、家族研究における「ピエテート」概念の受容の先駆者であった。検討の結果、戸田と川島は「ピエテート」概念を、戦前の「家(家族制度)」の権威服従関係と情緒的関係の関連を論じるために用いていたこと、そしてその関係は、「近代家族」の情緒的関係とは性質を異にすることが明らかになった。結論部では、「日本型近代家族」を「家」と「近代家族」の二重構造と捉えて分析する場合は、情緒概念が歴史的変遷を含め、多義的であることを認識することが必要であることを示した。
著者
本多 真隆
出版者
慶應義塾大学大学院社会学研究科
雑誌
慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要 : 社会学・心理学・教育学 : 人間と社会の探究 (ISSN:0912456X)
巻号頁・発行日
no.78, pp.47-62, 2014

論文The term "Wa" was frequently used to describe the emotional relations within the family during the pre-war period; however, little attention has been paid to the relevance of this term until recently. In this study, we discuss the criteria for emotional relationships between couples in modern Japanese society through an analysis of the language space formed by the edict "husbands and wives be harmonious" from the Imperial Rescript on Education. Our analysis revealed that (1) the authority–obedience relations remained within what the interpreter regarded as proper bounds; (2) the virtue of harmony was interpreted in various ways; and (3) it was considered a relationship that may be damaged by too much emotional arousal. In the conclusion, we critically analyze the traditional framework of thinking that unequivocally defines love, marriage, and relationships between couples.