- 著者
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村松 彰子
- 出版者
- 成城大学
- 雑誌
- 特別研究員奨励費
- 巻号頁・発行日
- 2008
本研究は、ネオリベラリズム化の進んだ現代の沖縄社会で生活する人びとが、公式的には排除している「ユタ」(沖縄の宗教的職能者)と、日々の暮らしの中で実際にはどのように接触しているのかといった呪術的な諸実践を考察することにより、沖縄における生活とともにある「呪術/呪術的な知」の受容と再生産の実態を文化人類学的な調査によって明らかにすることを目的としている。2009年度の調査では、沖縄の人々が伝統的な祖先崇拝の体現者であるとされる「ユタ」(宗教的職能者)の呪術的実践をめぐる諸相を明らかにするため、その存在を知りつつも接触を避ける人びとを視野に入れて調査をおこなった。統計的に全国平均の2倍以上いるとされている沖縄在住のクリスチャンたちの活動の一環として、ある教派の教会の信者の自宅で週に-度行なわれている婦人集会を定期的に参与観察した。その成果は、2009年度の沖縄文化協会公開研究大会において「沖縄の慣習と聖書をむすぶ語り」と題して報告した。婦人集会は布教のために用意された場であることは間違いないが、そのように作られた場で、位牌の処分の重要性の指摘や「邪教」としての「ユタ」という確認がなされる一方で、それらの指摘や確認においても「ユタ」と関連の深い沖縄の慣習から離れることの困難さが暗に現わされている。そこには、布教のための方便を超えて、「知る者から知らない者へ」という布教の一方向的な関係とは異なる相互的な関係性において、ローカルな慣習がグローバルな信仰といわば同等の価値が置かれていることを指摘した。また、2009年度は、「アクチュアリティを生きる-当事者抜きの決定をめぐって」および「『沖縄的な知』は商品なのか-人びとの日常的な<つながり>の視点から」の二論文を発表し、沖縄の災因論の専門家としての「ユタ」の実践の場に見られる間身体的なつながりにひらかれた「委ねる」という姿勢を手がかりとして、近代の専門家支配とは異なる人びとの実践のあり方を考察している。これは、執筆中の博士論文の骨子となる議論となっている。