著者
水野 善文
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.0103-0122, 2016 (Released:2019-02-22)
参考文献数
86

日本における金毘羅信仰については、讃岐象頭山(現在の金刀比羅宮)を中心に江戸中期以降に拡大したこと[守屋:303]をはじめ、他の神仏の信仰と関連する点もふくめ、変遷の歴史について様々な観点から多くの研究がなされている[近藤1987、守屋1987、大森2003など]。 金毘羅が異国の神の名であること、もしくは、ながくそう解釈されてきたことは、あらためて念をおすまでもない。はやくに黒川道祐が「讃岐金毘羅は天竺神にて、摩多羅神の類也」(『遠碧軒記』上一)といい、松浦静山も「いつしか竺神の名を借り用ひしにや」(『甲子夜話』巻四六)と指摘していたように、古代インドの神話にあらわれるバラモンの神Kumbhiraに遡源するというのが、古来の通説である。クムビィラもしくはクビラとは、ガンジス川にすむ鰐を神格化して信仰の対象としたものだという説明も、相応に流布されている。[守屋:303] とあるように、金毘羅の原語はサンスクリットのクンビーラ(Kumbhīra)であるとされる。ここでは、日本における金毘羅信仰史には全く触れず、クンビーラに関して、その故地であるインドの諸文献のみを資料として整理することを目的とする。結果として、若干、通説に修正をくわえることになるかもしれない。 なお、本論は、筆者が本務校において指導した香川県琴平町出身の学生による卒業論文1)に啓発されているが、結果的には、全く内容が異なるものとなった。 先に引用した守屋の紹介にあるとおり、江戸初期の医師であり歴史学者でもあった黒川道祐(1623-1691)がすでに「讃岐金毘羅は、天竺神にて摩多羅神の類也2)」 [黒川:32]と述べ、これに発したか否か定かではないが、今日にいたるまでの通説は、少なくとも江戸初期には存在していたことになる。比較的最近も、 まず金刀比羅だが、その名はインドの古代語であり、仏教経典を書き記したサンスクリット語の「クンビーラ(kumbhīra)」の音写語で、ガンジス川の大河に住む鼻の長い鰐を神格化した水神である。観音菩薩に供奉する二十八部衆の一尊であり、『大般若経』を守護する十六善神にも数えられる。またこのクンビーラは「宮毘羅」とも表記され、薬師如来に仕える十二神将の筆頭格である「宮毘羅大将」とも同一神である。[舩田2011: 125]([羽床1995][宮元1988: 88][西岡2000: 126]もほぼ同様に紹介している。) とある。
著者
水野 善文
出版者
Japanese Association of Indian and Buddhist Studies
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.382-375,1271, 2005-12-20 (Released:2010-03-09)
参考文献数
17

The aim of this paper is to contribute to the knowledge of the development of literacy in ancient India by researching the custom of writing epistles found in the Pall Jataka. Because this text contains many descriptions of epistles, some of which were written by townsmen and a merchant's wife, we can assume that the custom of writing epistles was more widespread than our current estimate. We can also find some indication regarding the types of materials that were used for writing epistles. Since we are aware of only two examples in canonical verses (gatha) and others in later commentaries (Jatakatthavannana, etc.), we cannot definitely ascertain the inception and duration of the custom of writing epistles in India. However, this research can help us acquire other information on this phase of development of literacy in ancient India.
著者
水野 善文 藤井 守男 萩田 博 太田 信宏 坂田 貞二 臼田 雅之 石田 英明 宮本 久義 高橋 孝信 橋本 泰元 高橋 明 松村 耕光 横地 優子 山根 聡 萬宮 健策 長崎 広子 井坂 理穂
出版者
東京外国語大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2009-04-01

インドの多言語状況は、時代を通して地域的な多様性だけではなく社会的にも幾つかの層をなしていた。言語の差異を超えて愛好・伝承され続けてきた文学・文芸を対象に、古代から現代まで、多くの言語の各々を扱うことのできる総勢30名以上のインド研究者が共同して研究を進めた。その結果、民衆が自らの日常語による創作から発した抒情詩や説話、職業的吟遊詩人が担った叙事詩、それらをサンスクリット語で昇華させた宮廷詩人、さらには詩の美的表現法が現代の映画作りにも至っている、といったインドの人々の精神史の流れを解明できた。