著者
山田 一孝 喜澤 香織 丹羽 理恵 櫻井 達也 岸本 海織 清水 純一郎 室谷 直義 池水 智博 小嶋 靖
出版者
動物臨床医学研究所
雑誌
動物臨床医学 = Journal of Animal Clinical Research Foundation (ISSN:13446991)
巻号頁・発行日
vol.16, no.4, pp.129-132, 2007-12-20
参考文献数
12
被引用文献数
1

腫瘍の犬3症例にハタケシメジ抽出物を投与し経過を観察した。肝腫瘍症例は投与開始から1カ月後に,直腸癌症例は9カ月後に死亡したが,脳腫瘍症例は23カ月経過した現在も生存している。ハタケシメジ抽出物の腫瘍に対する直接的な効果は不明であったが,3症例とも投与後に末梢血液中のリンパ球数が増加した。このことから,ハタケシメジ抽出物には犬の腫瘍症例の末梢リンパ球数を増加させる働きがある可能性が示唆された。
著者
清水 純一 島津 善美 渡辺 正澄
出版者
公益社団法人 日本農芸化学会
雑誌
日本農芸化学会誌 (ISSN:00021407)
巻号頁・発行日
vol.53, no.6, pp.203-209, 1979
被引用文献数
1

(1) 国産ワイン(18点)およびドイツワイン(28点)のミネラルおよび有機酸を分析し,両成分の相関および品質との関連について検討した.<br> (2) ドイツワイン中のカリウム,マグネシウムは,それぞれ平均, 1309, 150mg/<i>l</i>で,高級ワインほど多い傾向がみられた.カルシウムは平均109mg/<i>l</i>,ナトリウムで17mg/<i>l</i>であった.また鉄は平均3.0mg/<i>l</i>,マンガンは1.5mg/<i>l</i>で両者とも多く,銅は平均0.3mg/<i>l</i>,亜鉛は平均0.8mg/<i>l</i>で,少なかった.ケイ素は2~30mg/<i>l</i>の範囲であった.<br> ドイツワインの有機酸では,リンゴ酸(M)は平均3.5g/<i>l</i>,酒石酸(T)は平均2.6g/<i>l</i>であり,この2つの酸で全体の80%程度を占めている.また(M)/(T)は,高級ワイン程大きく1~5の範囲であった.<br> (3)国産ワインのカリウムは平均780mg/<i>l</i>,マグネシウム,カルシウムともに平均100mg/<i>l</i>で,いずれもドイツワインに比較してかなり少ない.ナトリウムは平均34mg/<i>l</i>で,ドイツワインの2倍程度多かった.その他,鉄;6.7,銅;0.4,亜鉛;0.2,マンガン;0.8mg/<i>l</i>程度であった.有機酸では,酒石酸が平均2.3g/<i>l</i>,リンゴ酸が1.5g/<i>l</i>であり,また(M)/(T)比は1以下で,ドイツワインに比較してかなり小さい値であった.<br> (4) ミネラル(カリウム,マグネシウム,カルシウム)と主要有機酸との相関を検討した.ドイツワインにおいては,カリウムに対して(M)/(T)が最も高い正の相関(&gamma;=0.770)を示した.酒石酸は高い負の相関(&gamma;=-0.752)を示した.また,リンゴ酸は低い正の相関(&gamma;=0.426)であった.マグネシウムは酒石酸に対し&gamma;=-0.538, (M)/(T)に対し&gamma;=0.585の相関が認められた.カルシウムはリンゴ酸に対してのみ正の相関(&gamma;=0.595)を示した.ドイツワインではとくにカリウム,マグネシウムが有機酸組成と高い相関を示し,ワインの品質に大きく関与していることが確認された.国産ワインでは,カリウムが(M)/(T)に対し, &gamma;=0.458の,カルシウムが(M)/(T)に対し, &gamma;=0.605の相関を示したが,ドイツワインで認められるような高い相関関係は見られなかった.
著者
清水 純一
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.31-37, 1958-12-25 (Released:2009-09-04)
参考文献数
8
著者
清水 純一
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.1958, no.8, pp.70-76, 1958-03-31 (Released:2009-07-23)

今日のイタリアにおける哲学研究発達の有様を省みると、明治維新以後の我が国のそれと似通ったところがある.イタリアは、ルネサンス以来、諸外国勢力の干渉によって分裂をつづけてきたために、近代国家としては他のヨーロッパ列強に立遅れることとなった.イタリア国家の独立統一が事実上成立したのは、一八七〇年 (明治三年) のことなので、このおくれを取戻すためには、まず先進北欧諸国の文明文化を輸入することから始めなければならなかった.そしてイタリア哲学界に真先にはいってきたものが、当時の世界に君臨していたドイツ哲学であったことはいう迄もない.戦前のイタリアの代表的思想家といえば、ジェンティーレ (G.Gentile) とクローチェ (B. Croce) をあげるのが普通であるが、この二人もまたヘーゲル右派と左派とも呼ばれるように、ドイツ観念論の影響を多分にうけている.つまり戦前のイタリア哲学界の主流をしめていたものはドイツ観念論の研究であり、指導的学者もまたその研究家に多かったので、現代イタリアの哲学はドイツ哲学の輸入から出発したといっても過言ではない.また、戦前から戦中にかけては、周知のようなファッショ政権の国粋主義的傾向によって、ファシズムの理論的裏づけと同時にイタリア思想の研究が積極的に支援助長された.さらに戦後思想の発展についても、敗戦後の我が国の思想界が帝国主義への反省から出発したように、イタリアでもまたファシズムへの批判がその出発点となったところへ、マルクシズムや実存主義やプラグマティズムといった諸思想が洪水のように流れこみ溢れでて、諸観念の混沌時代を現出したのである.このように我が国とイタリアとの間には類似性があるけれども、イタリアの哲学がまた独自の足どりをもって前進したことはいうまでもない.まずその哲学を生み出しているイタリアの社会的地盤、その長い輝かしい歴史と伝統はイタリア民族の意識と思想を強固に規制している.古代ローマ文化の時性としてよく引合に出される現実的性格は、今日までイタリア民族の底を一貫して流れているものである.この現実的性格は目前に現われたものを貧欲に吸収しようとして多面的となる.たとえばいわゆるルネサンスの万能天才レオナルドのディレッタンティズムはその典型といえる.その点ではイタリアに輸入されたドイツ観念論が果してどれだけ血肉化したかは問題で、さまざまのイタリア的消化をせねばならなかったのであって、むしろおくれてはいってきたコントの実証主義の方がやすやすと受け入れられたという見方もされるのである.学者の研究活動も一般に多面的で、学究生活と社会生活の結びつきが密接なため、我が国のように専門化が徹底せず、いいかえれば哲学と市民生活或は社会実践との境界線はより複雑である.こうした性特はまた何よりもイタリアの歴史のうちに最もよくあらわれているので、自己の歴史伝統の尊重がイタリア哲学の特性ともなってくるのである.したがってイタリア思想史の研究は、ファシズム時代にぱっと燃えおちた花火線香のような一時的現象ではなく、戦後の今日も性格こそ異ってはいるものの依然として続けられ、しかもかえって隆盛になって今日のイタリア哲学研究の一特色とまでなりつつある現状である.上の如き一般的特性を背景に思い浮べながら、第一に時代思潮の流れからみたイタリア哲学界の現況及び傾向を素描し、第二にルネサンス哲学の研究状況を紹介することによってあわせてその特性の一半をうかがうよすがとしたい.
著者
清水 純一 大江 徹雄 坂内 久
出版者
農林水産省農林水産政策研究所
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

米国については、農産物貿易は全般的にNAFTA域内貿易と対アジア、特に対中国貿易、に大きく依存している実態が明らかになった。食肉に関しては、日本を最終消費地とするNAFTA域内の分業体制が構築されている点が明らかになった。ブラジルでは、世界最大級の食肉企業2社に注目して分析した。両企業とも、近年国外で活発にM&Aを行い、短期間で多国籍食肉企業に変貌した。現時点でブラジルにおいては、米国のように、食肉に関する産業内貿易はほとんど認められない。しかし、我々の研究からは国外での加工・輸出拠点の多元化が進展すれば、ブラジルにおいても食肉の産業内貿易が増加する可能性が高いことが明らかになった。
著者
清水 純一
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.6, pp.34-51, 1957-12-30

Il merito della scuola padovana nella storia della filosofia scientifica moderna, e chiaro, e solo paragonabile al nominalismo della Post-Schola. Di fatti, si puo dire che l'averroismo del quattrocento, il cui centro era a Padova e Bologna, e la base del pensiero che correra direttamente allo spirito sperimentale di Galileo Galilei. Ad ogni modo, per la ricerca della scuola padovana ancora oggi ci sono rimasti molti problemi insoluti : da una parte, circa lo svolgimento dell'idee, dall'altra circa il contenuto di idee che hanno influenzato sui concetti scientifici moderni. Nell' articolo, l'autore mira a chiarificare, esaminando acutamente gli ultimi resultati del genere, lo sviluppo della scuola padovana, e poi a ricercare alcuni germi del nuovo concetto scientifico, in particolare nella filosofia di Pomponazzi. Secondo l'autore, questi sono due punti importanti per meglio determinare la posizione della scuola padovana nella storia dalla filosofia. Padova, Palermo e Parigi sono luoghi di partenza dello sviluppo dell'averroismo ; ed inoltre, paragonata con le due citta, in Padova questa tradizione e durata molto piu lungo. Facendo una distinzione dei periodi dello sviluppo, possiamo dire primo periodo dalla fine del 13^<mo> secolo alla prima meta del 14^<mo> secolo con Pietro d'Abano ; secondo periodo circa la seconda meta del 14^<mo> secolo con Paolo Veneto ; terzo periodo dalla seconda meta del 15^<mo> secolo fino alla prima meta del 16^<mo> secolo con Pietro Pomponazzi e Jacopo Zabarella-questo periodo, anche dal punto di vista ideologico e il piu importante, - e in oltre il quarto periodo che e di decadenza. In breve circa la caratteristica generale di questa tendenza si puo dire che l'averroismo padovano ha una tendenza naturalistica piu che teologico. L'averroismo padovano si puo dire che trasmetta o che segni la dottrina averroista delle due verita, cioe una distinzione esatta fra la verita teologica e quella filosofica. Il Pomponazzi e uno dei rappresentanti piu importanti dell'averroismo padovano. Egl si separa dalla fede e si sforza di spiegare tutto con la ragione e l'esperienza. Anche circa la dottrina tradizionale della immortalita dell'anima, partendo dallo stesso principio, prende una attitudine "neutra". Questa attitudine non e solo conciliativa, ma, basata sulla natura del razionalismo moderno, la presa di coscienza di antinomia. In oltre l'autore giunge alla conclusione che La scuola padovana del 15^<mo> secolo ha portata una nuova scoperta di uomo critico, che e un base spirituale per la scienza moderna, basandosi sulla tradizione averroistica dal 13^<mo> secolo fino ad allora, specialmente sulla teoria delle due verita.