著者
磯貝 健一
出版者
Japan Association for Middle East Studies (JAMES)
雑誌
日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.259-282, 2011-07-15 (Released:2018-03-30)

本稿は、2009年に廃止された旧国立ウズベキスタン諸民族文化・美術史博物館所蔵の7通のファトワー文書に依拠しながら、20世紀初頭にサマルカンド州の或るイスラーム法廷に持ち込まれた訴訟の顛末を詳細に跡付け、さらに、革命前の中央アジア・イスラーム法廷で採用された裁判システムにおけるムフティーの役割を解明しようとするものである。現存する中央アジアのファトワー文書の大半は、裁判の進行過程において当事者である原告ないし被告が自己に有利な判決を獲得するために、カーディーに提出したものである。ただし、ファトワー文書は関連する訴状、判決文、ないし、同一の裁判において発行された他のファトワー文書を伴わず、単一の文書として伝存する場合が殆どである。これに対し、本稿で取り扱う7通のファトワー文書は全て同じ裁判の審理過程において提出されたものであり、極めて貴重な事例であるといえる。また、7通の文書の内、3通は原告、残り4通は被告により提出されている。問題の訴訟は、Ustā Mawlām Bīrdīなる人物の相続人数名が、自分達が相続すべき財産を取り戻すため、共同相続人であるUstā Raḥmān Bīrdīを相手取り提起したものである。これらの文書からは、原告・被告の双方が、①既存の裁判の審理中に、被告が原告を相手取って提起した別件の訴訟の有効性、および、②被告による訴訟代理人任命の有効性、の二点において対立していたことが読み取れる。また、最後に提出された文書では、この訴訟が両当事者による和解をもって解決されたはずであるにもかかわらず、被告が一旦成立した和解の破棄を申し立てたことが記録される。これら7通の文書は少なくとも7名以上のムフティーによって作成されたが、内3名のムフティーは原告と被告の双方にファトワーを供給している。このことは、当時のムフティーが、適当な法学説を取捨選択しながらファトワーの内容を依頼者の意向に合致させようとしていたことを物語っている。
著者
磯貝 健一
出版者
西南アジア研究会
雑誌
西南アジア研究 = Bulletin of the Society for Western and Southern Asiatic Studies, Kyoto University (ISSN:09103708)
巻号頁・発行日
no.89, pp.87-116, 2019-09-30

For Muslims lived inan y part of premodernIslamic world the Islamic law of succession served as a barrier to anattempt to keep family property intact, because it stipulated that equal shares should be given to those who were in equal relationship to deceased. Consequently, those who had an intention to keep the integrity of their inherited property had to have recourse to different ways to achieve their goal. One such way was jointly owning inherited property by heirs, whereas they received appropriate shares of the estate. In this case, if one of the joint owners died, his/her shares were inherited by his/her own heirs including sometimes those who had been outside the co-ownership for their not having the right of succession to the generator of the estate. By consulting the fatwa document which was produced in the early twentieth century Samarqand province of Russian Turkestan, and which records the case concerning the joint ownership of family property, the author offers following conclusions : first, the way of calculating the shares allocated to each one of the joint owners, as shown by the calculating tables attached to the document, completely agrees with the teachings found in al-Farā'id ̇ al-Sirājīya, the twelfth century Hanafite juristic work specially devoted to the law of succession and enjoyed prolonged popularity as a fundamental textbook for learning the method of calculating shares of succession. Second, as presented by similar fatwa documents from Russian Turkestan, through the inheritance of the shares held by deceased joint owners, the membership of co-owners could have been even conferred to the persons who were in relationship to the generator of the estate either through maternal line or by affinity, whereas they were prone to be excluded from or explicitly not entitled to inheritance according to the lslamic law.
著者
堀川 徹 井谷 鋼造 稲葉 穣 川本 久男 小松 久男 帯谷 知可 磯貝 健一
出版者
京都外国語大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2002

本研究では過去千年間という長期にわたる期間を、コミュニティーの成立期(9-13世紀)、発展期(14-19世紀)、変容期(19世紀以降)に区分して、各時期をそれぞれa〜cの研究班が担当して具体的な研究を遂行してきた。基本的に各班は独立して研究活動を遂行したが、成立期から発展期、発展期から変容期への移行期に注目することと、中央アジア以外の地域との「比較」を念頭に置くことを申し合わせた。また研究を進める前提として、ムスリム・コミュニティーを「内側から」明らかにするために、現地史料の発掘と利用が必須であるという共通の認識をもった。本研究の第一の成果は、年代記等の一般的な叙述史料のみならず、聖者伝や系譜集などのスーフィズム関連の文献、種々の古文書や碑文・墓誌銘、各種刊行物・新聞、調査資料等にわたり、従来利用されなかった史料を新たに開拓したことである。とくに、ウズベキスタン共和国のイチャン・カラ博物館、サマルカンド国立歴史・建築・美術博物館、フェルガナ州郷土博物館との共同研究によって、膨大な数が現地の各種機関に未整理のまま所蔵されている、イスラーム法廷文書のデジタル化・整理分類・解題作成の作業を軌道に乗せることができた。第二の成果は、上述した種々の史料を利用した各自の研究によって、それぞれの時代におけるコミュニティーの姿が具体的に明らかになったことである。中でも、イスラーム法廷文書を利用した歴史研究は、本研究プロジェクトにおいて、ようやく本格的に開始されたといっても過言ではなく、4回にわたって毎年3月に京都外国語大学で開催された「中央アジア古文書研究セミナー」によって、本研究を通して得られたわれわれの知識や技能が日本人研究者間で共有されることになった。