著者
荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.288, pp.13-19, 2008-09

「こちらでは2月14日をバレンタインデーといい、花やチョコレートを贈り合う習慣があります」 大学時代の先輩で、パリ在住の商社マンがつづったこのわずか数行の文章に強いインスピレーションを感じた青年がいた。 1958年の年明け、当時大学4年生だった彼は、父が経営するチョコレートメーカーでアルバイトをしていた。
著者
金子 梅吉 荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経トップリーダー
巻号頁・発行日
no.339, pp.76-80, 2012-12

私は本当に幸せ者で、せがれ夫婦や娘夫婦、孫までもうちの会社で働いてくれています。こんなにうれしいことはない。娘が社長で経営全般を、その兄である長男が製造部門、娘の夫は営業部門、長男の嫁は会計の担当です。 よく「なぜ娘を社長に据えたのか」と聞かれますが、それは私に一番性格が似ている気がしたから。
著者
荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.281, pp.19-25, 2008-02

茶髪、長髪は絶対禁止。女性社員の服装や化粧にも意見する——。そんな口うるさい"親父"に社員が全幅の信頼を置くのはなぜか? 顧客満足度ナンバーワン自動車ディーラーの強さの秘密がここある。 社員を叱れない社長がいる? 信じられないな。
著者
荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.284, pp.13-19, 2008-05

東京・北品川、午前8時。しゃれた音楽ホールのようなピンク色の校舎に、キャメル色のジャケット、チェックのスカートに身を包んだ品川女子学院の生徒が続々と登校してくる。「おはようございます」。入学したばかりの1年生はまだ声が小さいものの、ほとんどの生徒が玄関前で待つ教師にはじけるような笑顔であいさつしている。
著者
荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経トップリーダー
巻号頁・発行日
no.305, pp.34-38, 2010-02

神田は必ず、店長にアポイントを取る。訪問時間はいつも、客足が一段落する午後3時から5時の間。そこまで気を使っても、店長から「忙しいので今度にしてください」と断られることもある。経営者の都合より、自分の都合。強権型の経営者にそんなことを言ったら、即刻クビかもしれないが、神田は「分かった、また今度ね」と電話を切る。
著者
荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.293, pp.13-19, 2009-02

窓からのどかな田園風景が広がる、和歌山市と紀の川市間14・3を結ぶ和歌山電鐵貴志川線。この終点である貴志駅には日本一有名な駅長がいる。 冬季の勤務時間は日曜日を除く、午前10時から午後4時半。日がな一日、駅長室に鎮座し、乗降客を出迎え、見送るのが彼女の仕事だ。 駅長の名前は「たま」。茶と黒と白の毛色がトレードマークの9歳の三毛猫である。
著者
荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経トップリーダー
巻号頁・発行日
no.402, pp.90-93, 2018-03

深刻な経営危機に陥り、クラブの存続すら危ぶまれていたものの、その7カ月後、初のJ1昇格を決めたV・ファーレン長崎。監督も主力選手の顔ぶれも変わっていないにもかかわらず、なぜこれほど短期間で強いチームへと変貌できたのか。快進撃の理由を探った。
著者
荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.268, pp.17-23, 2007-01

祖父が裸一貫で築いたタクシー会社。父の代のバブル期、不動産事業への積極展開があだとなり、経営が悪化。それまで順風満帆な人生を送ってきた3代目が入社したとき、会社は1900億円という多額の負債を負っていたーー。取材・文◎荻島央江写真◎尾関裕士(18ページの、20ページのを除く)早朝7時、タクシー営業所。乗務員の朝礼、点呼は既に始まっていた。
著者
荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経トップリーダー
巻号頁・発行日
no.395, pp.46-51, 2017-08

創業者の天才的なひらめきを社員が素早く形にすることで成長してきたジャパネットたかた。最大の試練はカリスマ、髙田明氏の引退だ。偉大な先代からどのように事業を受け継いでいくのか。仮説と検証で奮闘する若き後継者、髙田旭人氏の模索は続く。
著者
荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経レストラン (ISSN:09147845)
巻号頁・発行日
no.420, pp.78-81, 2009-12

1943年鳥取県生まれ。62年、2人の兄とともに「とんかつ浜勝」を長崎市で創業。74年、現在の「リンガーハット」の原型となる「長崎ちゃんめん」1号店を開店。取締役、社長を経て、2005年会長に就任。08年9月から現職。06年から08年まで日本フードサービス協会の会長を務める。現在、全554店を展開。00年に東証1部上場。
著者
高田 明 荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.275, pp.78-82, 2007-08

自ら通販番組に出演し司会を務め、年間1000億円を稼ぎ出すジャパネットたかたの高田社長。"通販業界のカリスマ"のセールストークは、なぜ顧客の心をつかめるのか。本人のインタビューとともに、高田流「伝える力」の秘密を解剖する。※ ※ ※テレビで商品説明するときですか? 全く緊張しません。
著者
荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経トップリーダー
巻号頁・発行日
no.385, pp.42-47, 2016-10

一度目は2006年、障害者用駐車場などの違法改造や建物の容積率違反が発覚。当局に指摘を受けてから3カ月以内にすべて是正したものの、世間からの厳しい批判にさらされた。さらに08年には、東横イン松江駅前の地下から硫化水素が発生。
著者
荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経トップリーダー
巻号頁・発行日
no.347, pp.54-57, 2013-08

また、鮮度を重視し、自社企画商品は自前の拠点で小分けにして出荷。毎日、従業員が食材を手に取り、色や香りに注意を払いながら選別、袋や箱詰めしている。機械化されず、手作業の部分も多い。
著者
荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経トップリーダー
巻号頁・発行日
no.373, pp.38-41, 2015-10

明朗会計と、木1本でも手入れする使い勝手の良さが売りの植木会社。顧客が求めるのは技術ではなく、要望を的確に満たすサービスと考える。旧態依然の業界に風穴を空ける新ビジネスを支えるのは、やはり人だ。
著者
荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.290, pp.13-19, 2008-11

「社員にとって、僕はかなり面倒くさい社長かもしれませんね」。グループウエアと呼ばれる業務用ソフトウエアを開発・販売するサイボウズ(東京都文京区)の創業メンバーで、社長の青野慶久はそう言って笑った。 「例えば朝、出社したときに、僕の顔を見てムスっとした顔で通り過ぎる社員がいたら、どうしてあいさつしないのかをその場で聞くんです。
著者
永井 学 荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経トップリーダー
巻号頁・発行日
no.314, pp.120-124, 2010-11

尖閣諸島沖で起きた中国漁船による衝突事件や反日デモなどを巡り、日中関係が揺れている。一連の事件で改めて浮き彫りになった「中国リスク」。中国進出に消極的になった経営者も少なからずいるだろう。 だが、急速な成長を遂げ、世界最大級の市場となった中国に背を向けることが、果たして得策なのか。 日本は世界でも前例のない速度で少子高齢化が進行中だ。
著者
植草 三樹男 荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経トップリーダー
巻号頁・発行日
no.331, pp.76-80, 2012-04

娘婿や長男ではなく、なぜ長女の細野佳代を社長にしたのか。それは会社に対する愛情や執着が誰よりも強かったからです。 「後を継げ」と言ったことはないし、後継者教育もしていないけど、「私は曙のために存在している。曙こそが私の人生なんだ」って、彼女の中ではっきり決まっているんじゃないかな。たとえ僕が辞めろと言っても、聞かないと思う。
著者
新田 嘉一 荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経トップリーダー
巻号頁・発行日
no.334, pp.80-84, 2012-07

親子でも生まれ育った時代が違うと、考え方から何から全部違うんだよね。だからうまくやるには間に入って調整するレフリーが要る。それがうちの場合、お母ちゃん(妻の冨美子氏)なんだよ。 お母ちゃんはものすごくレフリーが上手で、私と息子の両方を立ててさ、関係をうまく取り持ってくれる。だからけんかしてもお母ちゃんがいれば、すぐに仲直りできる。
著者
谷田 千里 荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経トップリーダー
巻号頁・発行日
no.313, pp.84-89, 2010-10

次男だったし、私の場合、昔から父との折り合いが悪かったんですよ。しょっちゅう些細なことでけんかをして、口論になる。父が争いの最後に言う「おれが食わしてやっているんだから、口答えするな」という捨てぜりふが悔しくて。高校のころには「早く家を出たい」とばかり考えていました。 タニタは、ヘルスメーターのトップメーカー。
著者
森田 隼人 荻島 央江
出版者
日経BP社
雑誌
日経トップリーダー
巻号頁・発行日
no.309, pp.64-69, 2010-06

子供のとき、嫌だったのは「お父さんはどんな仕事をしているの?」と聞かれることでした。 父が石けんメーカーを経営していることは、幼いころから何となく分かっていました。友達の家に遊びに行くと、カラフルなパッケージのシャンプーや洗剤があちこちにあるのに、うちには石けんしかありませんでしたから。「うちは、よその家とは違うんだな」と感じていました。