- 著者
-
西本 陽一
- 出版者
- 日本文化人類学会
- 雑誌
- 民族學研究 (ISSN:24240508)
- 巻号頁・発行日
- vol.64, no.4, pp.425-446, 2000-03-30 (Released:2018-03-27)
語りは語り手の歴史・社会的な背景によって独特のパターンやスタイルをもつ。語り手が自身について語る時, 意識は過去を振り返り, 過去は現在や未来との関連の中で秩序を与えられるため, 語りはつねに語り手の歴史意識に彩られる。一方, 語りは事物ではなく言説であり, 時にはそれが言及する現実からかなりの距離をもった定式化された語りとして繰り返されることもある。以上のような観点から, 本稿では山地少数民族ラフの「自嘲の語り」という独特のスタイルの語りが分析される。少数民族の間にはしばしば自嘲的なスタイルの語りが見られるが, これは彼らが多数民族の支配・圧力の下で暮らしてきた長い歴史の結果であり, 民族間の権力関係が内在化されたものである。現在北タイに暮らす山地民族ラフにおいて, 自嘲の語りはクリスチャン, アニミストの両方に見られるが, 前者においてずっと頻繁に聞かれる。しかしその一見否定的な自己規定の背後にはより肯定的な自己規定が存在し, これらがラフの両義的な民族意識を構成している。キリスト教会による長年にわたる「文明化」政策は, 自嘲の語りをクリスチャン・ラフの支配的言説となし, 人々に「知恵」の欠如こそが民族の今日の苦境の原因だと繰り返す。これに対して, 下層の村人による「舞台裏の」語りは, 間接的に, 含意によってラフ的なるものを評価する。日常の語りという実践行為の場において, 不均衡ながら2つの言説は対抗し, ラフの両義的な民族意識を再生産しているのである。