著者
近藤 有希子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.1, pp.058-077, 2019 (Released:2019-09-04)
参考文献数
47

本論では、虐殺後のルワンダにおいて、和解し統合されたシティズンシップを創り出す装置として、虐殺記念週間におこなわれる集会や虐殺生存者基金に着目して、そのなかで方向づけられる人びとの倫理的な応答のあり方を検討する。それらの装置は、凄惨な紛争によって分断された人びとを等しく「ルワンダ人」として包摂する試みのもとに適用されてきた。他方で、そのとき形成される「国家の歴史」においては、トゥチだけを「生存者」、つまり「真のシティズン」として認定し、フトゥを一様に「加害者」、つまり「二級のシティズン」として位置づける効果を孕んでいる。そこでは愛する者の死を悼み、自身の壮絶な体験を嘆くことができるか否かという点で、格差をともなう承認の配置がおこなわれており、人びとの感情が規律化される事態が生じていた。 このような状況下にあって、村のなかには「トゥチの生存者」というカテゴリーに依拠して、その生存を確保させる者もいる。彼女たちの哀悼は、公的な場においてしばしば「国家の歴史」に一致した、およそ流暢な語りのなかに見出される。他方で、村に暮らす大半の人びとが虐殺時にはなんらかの脅威に曝されており、善悪に二分できない「灰色の領域」にあった。このような「国家の歴史」にはあてはまらない経験を生きる者たちの、決して語り慣れることのない発話は、かれらが代替不可能な個別の記憶とともに生き延びようとするときに現出している。 このとき地域社会のモラリティは、多くの者がみずからの経験に対して「言葉をもたない」ことにおいて開示されていた。なぜなら、統制されえない身体化された記憶、「語りえなさ」の発露としての情動こそが、体験の一般化を拒否する沈黙の作用とも重なりながら、個々人のかけがえのない経験を感知して、それに付随する痛みへの想像力の回路を開くからである。ここに、避けがたくともに生きる人びとの倫理的な応答性が導かれていた。
著者
竹沢 尚一郎 深海 菊絵 近藤 有希子 森田 良成
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2021-04-01

2016年、米国の人類学者Sherry Ortnerは、失業や疾病、戦争、災害等に苦しむ人々を対象とする「暗い人類学が人類学の中心的テーマになっている」と断言した。この発言の背景にあるのは、グローバル化と新自由主義の進展による大量の移民や難民の出現、工場移転の結果としての失業や短期雇用の増加である。急速に変わりゆく現代世界の中で、人類学がその使命とされてきた「異文化研究の学」にとどまることは可能なのか。むしろそれは研究対象と研究方法の根本的な改変を必要としているのではないか。本研究の目的は、苦難に満ちた現代世界に生きる多様な人々を包括的に研究するための新たな方向性を見つけることである。
著者
近藤 有希子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.1, pp.58-77, 2019

<p>本論では、虐殺後のルワンダにおいて、和解し統合されたシティズンシップを創り出す装置として、虐殺記念週間におこなわれる集会や虐殺生存者基金に着目して、そのなかで方向づけられる人びとの倫理的な応答のあり方を検討する。それらの装置は、凄惨な紛争によって分断された人びとを等しく「ルワンダ人」として包摂する試みのもとに適用されてきた。他方で、そのとき形成される「国家の歴史」においては、トゥチだけを「生存者」、つまり「真のシティズン」として認定し、フトゥを一様に「加害者」、つまり「二級のシティズン」として位置づける効果を孕んでいる。そこでは愛する者の死を悼み、自身の壮絶な体験を嘆くことができるか否かという点で、格差をともなう承認の配置がおこなわれており、人びとの感情が規律化される事態が生じていた。</p><p>このような状況下にあって、村のなかには「トゥチの生存者」というカテゴリーに依拠して、その生存を確保させる者もいる。彼女たちの哀悼は、公的な場においてしばしば「国家の歴史」に一致した、およそ流暢な語りのなかに見出される。他方で、村に暮らす大半の人びとが虐殺時にはなんらかの脅威に曝されており、善悪に二分できない「灰色の領域」にあった。このような「国家の歴史」にはあてはまらない経験を生きる者たちの、決して語り慣れることのない発話は、かれらが代替不可能な個別の記憶とともに生き延びようとするときに現出している。</p><p>このとき地域社会のモラリティは、多くの者がみずからの経験に対して「言葉をもたない」ことにおいて開示されていた。なぜなら、統制されえない身体化された記憶、「語りえなさ」の発露としての情動こそが、体験の一般化を拒否する沈黙の作用とも重なりながら、個々人のかけがえのない経験を感知して、それに付随する痛みへの想像力の回路を開くからである。ここに、避けがたくともに生きる人びとの倫理的な応答性が導かれていた。</p>
著者
近藤 有希子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

1990年代前半に大規模な紛争と虐殺を経験したルワンダ共和国において、国民の安全と治安は重大な関心事項である。これまでルワンダの国家は、開発における「優等生」と称賛されるとともに、その統治が「強権的」だとして非難されてきた。本発表では、そのようなルワンダの政治体制が、統治者の意志と実践だけによるものではなく、地域の人びとの安全を希求する想像力や実践とが交差するなかで、構築し維持されてきたことを描き出す。
著者
近藤 有希子
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2015, no.88, pp.13-28, 2015-12-31 (Released:2016-12-31)
参考文献数
44

本論の目的は,紛争後のルワンダ南西部の農村社会を生きる人びとが,生存のための社会関係をどのように再編成しているのかを検討することである。その際,寡婦や離婚女性,孤児を対象に,彼らが空間の共有や共食をとおした親密な関係性を,だれとともに,いかなる社会的,政治的な環境のなかで構築しているのかに着目する。村の人口の大半を占めるフトゥの人びとは,紛争後も父系親族集団をもとに生活の基盤となる社会関係を再構成していた。一方で,家族や親族の大半を亡くしたトゥチの人びとのなかには,紛争後に制定された法や政策などの政治的な介入を利用することで,生存のための基本的な資源を得ることができるようになり,女性だけでの居住を可能にしている者がいた。さらに,ほかのトゥチの人びとのなかには,家の貸借や共住,共食といった日々の反復行為をとおして,おもにフトゥの近隣住民とのあいだに親密な関係性を醸成している者もいた。それは,近隣住民がトゥチの人びとの困難に対して,内発的に応答するという実践によって達成されていた。紛争後の親密な場の形成は,その多くがトゥチとフトゥという集団範疇の内部でおこなわれる傾向にあり,さらに政治的な介入は,現政権によって否定されたはずのエスニシティを再強化してもいた。しかし他方で,紛争後に創出される「歴史」からこぼれ落ちてしまう人びとの,語りえない経験や沈黙こそが,他者の困難への応答を導いてもいたのである。