- 著者
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高橋 工
- 出版者
- 一般社団法人 日本考古学協会
- 雑誌
- 日本考古学 (ISSN:13408488)
- 巻号頁・発行日
- vol.2, no.2, pp.139-160, 1995-11-01 (Released:2009-02-16)
- 参考文献数
- 110
本稿では5世紀以前の東アジアで出土した甲冑を検討対象とする。その目的は大きく分けて2つある。第1は,当時の東アジアの各民族・国家がもっていた甲冑にどのような特性が認められるかを明らかにすることである。第2は,わが国の古墳時代前・中期の甲冑が,年代的に,技術的に,あるいは政治的に,東アジアの甲冑の体系の中でどのように位置づけられるかを明らかにすることである。検討の手法としては,東アジアで出土する多様な甲冑をその基本設計の違いから,小札綴・小札縅・地板綴の3つの系統に大別する。そして,小札綴系統が漢民族と,小札縅系統が北燕や高句麗等の騎馬民族と,地板綴系統が朝鮮半島南部・日本の民族と,それぞれ深い係わりを有していたことを述べる。その後,甲冑の基本設計を規定する製作技術の検討から,各種甲冑の変遷,各系統間相互の影響と伝播を考える。その結果,特に3~5世紀代の甲冑の伝播において,騎馬民族国家が果たした役割が大きいことを指摘する。また,地板綴系統として一括される朝鮮半島南部と日本で出土する甲冑が,技術的に別系統として分離可能であり,日本から半島南部へもたらされた可能性が強いことを指摘する。日本では独自の様式の甲冑が生産され続けたが,同時に,甲冑製作技術が海外からうけた影響も大きい。その影響は,4世紀代には中国から完成品が輸入され,5世紀代には朝鮮半島南部から甲冑工人が渡来するといったように,時期によって内容に違いが見られる。そして,このような状況は当時の東アジアの政治情勢と密接に関係していたと考えられるのである。