3 0 0 0 OA 中世木津考

著者
大澤 研一
出版者
大阪歴史博物館
雑誌
大阪歴史博物館研究紀要 (ISSN:13478443)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.0001-0016, 2023 (Released:2023-06-03)

大阪市浪速区に比定される中世木津の集落は織田信長と大坂本願寺のあいだで繰り広げられた大坂本願寺戦争の激戦地となったことで有名だが、現在では地形環境が大きく変容してしまい、往時の姿を知ることは難しい。そこで最近発表された木津一帯の発掘調査の集成による地形環境復元研究をベースに、近世前期の絵図、さらには文献史料にみられる木津一帯の地名などの情報を加えることで、中世から近世前期における木津周辺の地形変容についてさらなる検討をおこない、木津の立地条件が海辺近くから内陸へと変化していった状況を改めて確認した。また中世木津の社会状況を知るため、本願寺教団の木津における活動を検討した。その結果、当地には遅くとも十六世紀には二つの末寺寺院および有力な直参門徒が存在し、さらに木津の惣が大坂本願寺と密接に交流していた様子を指摘した。以上の木津をめぐる状況が大坂本願寺戦争の激戦地となる前提条件であったと考えられる。
著者
大澤 研一
出版者
大阪歴史博物館
雑誌
大阪歴史博物館研究紀要 (ISSN:13478443)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.0033-0042, 2016 (Released:2022-05-21)

慶長二十年(一六一五)の大坂夏の陣は、近世大坂の町の成立を考えるうえで一つの大きな画期となった。しかし、その後の復興の過程については関連史料が少なく、詳しい状況はわかっていなかった。最近確認した高津屋の記録は天明六年(一七八六)のものであるが、高津屋が元和六年(一六二○)にかけて上町の町割りをおこなったこと、大坂城外曲輪の堀を埋めた後の土地を開発したという復興の具体にかかわる記述があるほか、復興後、町家としての利用のなかった土地を支配し続け、そのなかから大坂城定番や大坂役人衆の屋敷として収公されていく土地のあったことをその場所を書きあげて記している。こうした特定の町人が大坂の町の復興にかかわった事例はこれまで知られておらず、また復興した土地がその後利用されていく様子を伝えたこの史料はたいへん貴重なものと評価できる。本稿ではこの史料を全文翻刻し、今後の活用に供するほか、本史料のもつ歴史的意義を明らかにしようとしたものである。
著者
中島 圭一 小野 正敏 佐伯 弘次 住吉 朋彦 高木 徳郎 高橋 一樹 藤原 重雄 大澤 研一 池谷 初恵 栗木 崇 佐々木 健策 鈴木 康之 関 周一 佐藤 亜聖 村木 二郎
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

中世における生産技術の変革を示す事例として、新たに製鉄や漆器などを見出した。そして、10世紀の律令国家解体によって官営工房の職人が自立し、12世紀までに新興の武士を顧客とする商品生産を軌道に乗せたが、14世紀の鎌倉幕府滅亡と南北朝内乱による武士の勢力交代の中で、より下の階層を対象とする普及品に生産をシフトさせたことが、15世紀の「生産革命」を引き起こしたという見通しを得た。
著者
大澤 研一
出版者
大阪歴史博物館
雑誌
大阪歴史博物館研究紀要 (ISSN:13478443)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.0019-0032, 2017 (Released:2022-05-14)

近世の融通念佛宗は中世社会に広く浸透した融通念仏信仰を背景に誕生した。すでに筆者は中世の摂津・河内に展開した融通念仏信仰集団の構造、および十七世紀に融通念佛宗が形成される過程を明らかにしてきたが、それは教団機構の変遷を跡づけることによる、教団史な視点からの検討が主であった。 今回はそうした視点ではなく、融通念仏信仰を受容する側に、民衆が中近世移行期の社会のなかでどのような宗教的充足を欲したのかという視点にたち、浄土宗との比較をおこないながら、専門僧による葬送や回向の実施による家の永続の保証という民衆から突き付けられた課題への対応が、近世融通念佛宗教団が誕生する過程において大きな原動力のひとつになったのではないかという見通しを示した。
著者
大澤 研一
出版者
大阪歴史博物館
雑誌
大阪歴史博物館研究紀要 (ISSN:13478443)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.0001-0018, 2015 (Released:2022-05-28)

豊臣期大坂城には豊臣秀吉に従う大名をはじめとする武家の屋敷とそれらが集まった武家地があった。しかし、どのような武家の屋敷がいつ頃より大坂に存在したのか、またその具体的な所在地はどこであったのかという点については、必ずしもよくわかっていなかった。そこで本稿では、特に慶長三年(一五九八)までの豊臣前期を対象に、大坂における武家屋敷と武家地の動向の大きな流れを示すとともに、妻子をともなって大坂に居住した武家が少なからずいたことや、町人地に散在して住んだ武家がいたことなどを示した。
著者
仁木 宏 中井 均 本多 博之 山村 亜希 秋山 伸隆 津野 倫明 堀 新 玉井 哲雄 小野 正敏 坂井 秀弥 大澤 研一
出版者
大阪市立大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2013-10-21

研究集会を合計13回開催した。各集会では、レジメ集冊子を刊行し、現地見学会を催した。毎回、10名前後の報告者に登壇いただき、それぞれの地域の特徴、全国的な視野からする最新の研究発表などがなされた。研究代表者、研究分担者だけでなく、多くの研究者の学問的な相互交流が実現し、比較研究の実をあげることができた。16世紀から17世紀初頭の城下町には地域ごとの違いが大きいことが明らかになった。先行する港町・宿、宗教都市のあり方、大名権力の性格、地形、流通・経済の発展度合いなどが城下町の空間構造や社会構造を規定した。いわゆる「豊臣大名マニュアル」の限界性にも注目することが必要である。
著者
齋木 喜美子 船寄 俊雄 真栄平 房昭 森田 満夫 正置 友子 高橋 正教 大澤 研一 櫻澤 誠
出版者
福山市立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

4年間の研究成果は以下の通りである。1.伊波常雄教育関係資料を保管するうるま市石川歴史民俗資料館と共同して資料を整理し、同資料の目録とCD-ROMを作成・発行した。2.戦後沖縄、とりわけ占領期の沖縄教育の実態と課題について研究を深め、研究メンバーがそれぞれ成果を発表した。また、各自の研究論文とシンポジウムの記録、聞き取り調査の内容などをまとめ、最終年度に研究成果報告書として刊行することができた。3.最終年度に、うるま市石川歴史民俗資料館とうるま市教育委員会の協力を得て資料展示会とシンポジウムを開催し、地元メディアにも大きく取り上げられた。4.伊波常雄教育関係資料リスト、検索用CD-ROM、研究成果報告書を国内外の主要な図書館や研究機関に送付し、一般にも研究成果を発信できた。以上、今後の占領期教育実践研究進展のための基盤づくりができたことを踏まえ、当初の計画通りの成果を上げられたものと考える。
著者
脇田 修 田中 清美 趙 哲済 南 秀雄 平田 洋司 市川 創 小倉 徹也 高橋 工 杉本 厚典 京嶋 覚 積山 洋 松本 百合子 黒田 慶一 寺井 誠 松尾 信裕 大澤 研一 豆谷 浩之 村元 健一 古市 晃 佐藤 隆 松田 順一郎 辻本 裕也 嶋谷 和彦
出版者
公益財団法人大阪市博物館協会(大阪文化財研究所、大阪歴史博物館、大阪市立美術館、
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2009-04-01

大阪上町台地とその周辺を対象に、古環境復元と関連させ、誕生・成長・再生をくりかえす大阪の、各時代の都市形成と都市計画の実態を探求した。古環境復元では、膨大な発掘資料・文献史料などを地理情報システムに取りこんで活用し、従来にない実証的な古地理図などを作成した。その結果、自然環境が、都市計画やインフラの整備と強い関連があること、難波京をはじめ、前代の都市計画が後代に利用され重畳していくようすなどが明らかになった。本共同研究により、より実証的な大阪の都市史を描く基盤ができたと考える。