著者
松本 実 田辺 明 栗山 美子 森山 徳長 石川 達也
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.18, no.4, pp.296-299, 1992-09-20
被引用文献数
1

日本の歯科医師団体の発祥は,東京における明治26年11月の『歯科医会』に端を発する.この会は次第に発展し,ついには現在の日本歯科医師会となる母体となった.本会が明治28年に,発行した小冊子『歯牙保護論』は,業権の確立と一般庶民への啓蒙を目的としている.明治初年に桐村,伊沢,高山らの先覚者が執筆した一連の歯科衛生啓蒙書のうち,歯科医師団体が発行した本書の書誌学と,歯科医会の志向していたところの詳細を本論文で解析した.
著者
平田 幹男
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.21, no.4, pp.205-211, 1997-03-25
参考文献数
19
被引用文献数
1

20世紀前半の傑出した歯科医の中心的人物だったシカゴのF.E. Roachは歯科補綴学の権威者として独創的な働きを補綴臨床のみならず,一般生活関連の道具にまで残している.発明家とも言える才覚を歯科補綴学,特に部分床義歯補綴の分野で遺憾なく発揮し,数多しくの貢献をもたらした.業績はポーセレンから,緩圧牲アタッチメント,ワイヤークラスプ,鋳造クラスプ,ワンピースキャスト義歯,鋳造器,歯科技工の各種インスツルメントにまで及ぶ極めて広範なものである.そしてRoachが最も強く意図したことは,補綴技術の"Standardization"と言うこととであり,質と量の両面に於て向上させることであった.非能率であった歯科医療,技工操作を近代化することを考えていたものと思われる.今回は,部分床義歯領域に於て多大の貢献をしたF.E. Roachの業績を中心に検証を進めてみた.
著者
石川 慎士 片山 幸太郎 糸賀 裕
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.25, no.3, pp.117-125, 2004-05-30
被引用文献数
3

我々は日本のスポーツ界に偉大な足跡を残した歯科医師に関する一連の研究の実施を企画した.すなわち,スポーツとの関わり合いが深く,歯科医学に対して,またスポーツに対して,多大なる貢献をなされた諸先覚の業績を記録していくことにより,スポーツ歯学という新しい分野の歴史的発展への道標の一つにしたいと考えた.今回は,昭和31(1956)年12月,第16回オリンピック・メルボルン大会の水泳競技に1500m自由形選手として参加し,活躍された歯科医師八木清三郎先生の業績についで報告する.八木先生は『古橋の再来』と言われた山中選手と高校時代から良きライバルとして水泳に励み,大学では同じ部のチームメイトとしても切磋琢磨した.その結果,世界記録第3位という輝かしい成績及び第16回オリンピック・メルボルン大会出場の栄冠を手にした.
著者
丹羽 源男
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.12, no.3, pp.159-164, 1986-03-25
被引用文献数
1
著者
谷津 三雄
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.33-35, 1976-07-20
著者
樋口 輝雄
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.27, no.4, pp.237-255, 2008-09-15
被引用文献数
1

明治8年にわが国で最初の歯科医術開業免状を授与された小幡英之助(1850-1909)は,洋法歯科医術の開祖と称揚されるが,その受験時の記録については明らかではなかった.国立公文書館には,明治初期に各府県史料編纂のため収集された諸記録の写しが来刊のまま収蔵されている。書写資料には,内務省に小幡への免状下付を上申した東京府からの文書とともに,試験を実施した東京医学校の成績書,小幡自身の東京府への試験出願書,履歴書などが収載されていた.これらの書類は『東京市史稿/市街篇第五十七』(東京都編纂昭和40年刊)に活字で翻文されているが,試験成績は「中の上」であったこと,免状下付の日付は明治8年10月2日であることが歴史資料の上からも確認できた.また最近になり新たに刊行された『福澤諭吉書翰集』には,明治天皇の歯科主治医に小幡英之助の任用を依頼する書簡が収録されている.これら各種文献資料の再検討(text critique)により,現在までの歴史書に描かれた小幡像は若干修正する必要があると思われる.
著者
谷津 三雄 渋谷 鉱 石橋 肇 今田 喬士
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.17, no.3, pp.152-157, 1991-05-25

歯科医師手帳(1991年版)便覧の日本歯科医学会・関係学会一覧(90.10.20調査)をみると学会の連絡事務所が口腔保健協会内になっているものが,歯科基礎医学会,日本歯科保存学会,日本補綴歯科学会,日本口腔外科学会,日本矯正歯科学会,日本口腔衛生学会,日本歯科理工学会,日本小児歯科学会,日本歯周病学会,日本歯科麻酔学会,日本歯科医療管理学会,日本口腔インプラント学会,日本顎咬合学会,日本歯内療法協会,日本歯科医学教育学会,日本歯科心身医学会,日本歯科技工学会,全国歯科衛生士教育協議会などの多くの学会名がみられる.そこでこの財団法人口腔保健協会がいかなる目的で設立されたかを知ることも日本歯科医学史上重要と思われる.そこで,雑誌「口腔保健」第1号を参考資料とし,財団法人口腔保健協会寄付行為について調査したので報告する.
著者
尾島 光栄 SHIMIZU Kenji Kenneth
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.21, no.4, pp.212-220, 1997-03-25
被引用文献数
4

1〜7報に引き続いて1905〜1909年間に活躍した歯科及び歯科教育に貢献した諸人物像を紹介し,この時代の日本の歯学・社会・文化史を参考に掲載する.この5年間にはCanadian Dental Association (CDA)を中心とした歯科医師の身分保証のための登録制の法制化が各地域毎に確立された.一方,西海岸地域の開発と開港は人口の移動と他国からの移民が益々盛んになり,歯科行政,診療体制,歯科教育機関の拡充と充実が叫ばれた.歯科材料,歯科器械,歯科薬品特に麻酔薬の開発と発見,応用は歯科医師の診療に大きな影響を与え,歯科診療時の患者の無痛診療の恩恵に結びついた.歯科医師の商業的行動が過剰な宣伝と行動を思考させると共に,歯科材料の供給と販売の新しい分野が職業的に誕生し,長年の反対を押し切って歯科技工所の出現に至った.口腔疾患と全身疾患の関連性が漸く認識され始め口腔敗血症として,歯科領域の重要な疾患になり,これに対応するべく歯科医師の再教育と新体制の教育が叫ばれた.カナダの歯科の歴史上で初めての歯科教育の宣教師が中国に派遣され,中国歯科教育の基礎作りに貢献した.口腔保健と予防衛生の重要性が民衆に困難な理解を打破させて,歯科衛生士教育の機運が芽生え始めた.歯科人名録が出版され,氏名,資格,学位,出身学校等が明確化され,登録制が強化され,職業意識の向上と資質が問われた.
著者
周 大成
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.8, no.4, pp.38-41, 1981-09-20

In 1975, a group of archaeological workers of our country found a male corpse besides more than 500 precius cultural relics when they were unearthing the Tomb No. 168 of the Western Han Dynasty on Phoenix at Jiangling County. According to the attrition of the teeth, it revealed that the dead was over, 60, stalwart and well-developed, 167.8 cm tall and 52.5 kg in weight. From the unearthed bamboo documents' records, it proved that the government post during his life time was "Wu Tai Fu", which is equal to a county magistrate noadays. He was buried on 13 th May, 167 B.C., thus 2142 years before the date of unearthing. When it was unearthed, the corpse had a peaceful expression, looking like an old man in sound sleep. His blood group was of the AB group.; the anthropological characteristics were similar to those of the contemporary Han nationality. All parts of the body was well preserved. The skin remained moist and elastic, and soon returned its original state after finger oppression. As it was soaked in alkaline liquid (pH, 8.4), thecorps' hair was lost. The large and small joints were still movable. 32 Teeth, bluish black in colour, still existed in the oral cavity. All the teeth, except the right upper third molar, which tooth mobility was three grade, still retained tightly in the alveolar bone. The roots of the anterior teeth were exposed apical one-third to one-half approximately, due to the recession of the periodontium. The dead had been affected by parodontosis, but no caries was to be found. There was severe attrition all over tae occlusal surface of the dentition, loss of enamel, exposure of dentine and the crown shortened. Enamel dentine, cementum, root canal and pericementum showed a very distinct appearance under radiographic examination. Electron microscophic examination and chemical elemental analysis revealed that the enamel structure, shape, size and anatomical feature of the teeth were most alike those of modern times. The bones and joints were intact and identical with those of contemporary age. The brain was well conserved, dura intact and blood vesse-s distinct. The total weight of brain and dura was 970 g. The twelve pairs of cranial nerves were intact and clear. Acute diffuse peritonitis due to perforation of gastric ulcer which was the complication of chronic gastric ulcer, followed by extensive bleeding could be the cause of death. Other systemic diseases were also described in this article.
著者
中原 泉
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌 (ISSN:02872919)
巻号頁・発行日
vol.19, no.2, pp.62-70, 1993-02-25

解体新書の扉絵は,いずれの西洋解剖書の図柄を模写したのか?それは長年,解体新書の残されたナゾとされてきた.その元絵はかねて,16世紀のスペインの解剖学者Valverdeの解剖書の扉絵に酷似していると指摘されていた.そこで筆者は,Valverde解剖書と解体新書の両扉絵を比較検討し,向かいあって立つアダムとイヴ像が,絵師の小田野直武によって敷写(透写)されたものであることを立証した.これによって,杉田玄白らがValverde解剖書を利用していたにも拘らず,解体新書の凡例に参考書として掲げなかった理由を明らかにした.