著者
本多 真隆
出版者
Japanese Council on Family Relations
雑誌
家族研究年報 (ISSN:02897415)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.59-76, 2015 (Released:2015-12-11)
参考文献数
47

有賀喜左衛門は、「家」についての実証的研究で名が知られるが、その政治的立場に着目されることは少ない。しかし有賀は、戦後の革新陣営や保守陣営とは違うかたちで、「家」と「民主主義」について多くの議論を展開していた。本稿は、有賀の「家」と「民主主義」についての議論を、彼の「家」に対する問題意識と照らし合わせながら分析し、またその議論が戦後の家族研究においてどのような立ち位置にあるかを探る。 検討の結果、「家」が「民主化(近代化) 」していくという、有賀の問題意識と視座が明らかになった。結論部では、有賀が提示した視座を「家族」の民主化ではなく、「家」の民主化と位置づけ、その展望について論じた。
著者
佐々木 てる
出版者
家族問題研究学会
雑誌
家族研究年報 (ISSN:02897415)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.21-34, 2016

<p>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;これまで在日コリアンの2 世、3 世にとって恋愛そして結婚における「民族的な違い」とは大きな壁であったことは報告されてきた。すなわち「朝鮮人との結婚はゆるされない」「日本人ではなく同胞と結婚すべきだ」という言説はよく聞かれるものであった。 <BR>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;これに対して近年では、通名であった人々も民族名で生活するケースも増えてきた。 そうなると名前だけではオールドカマーか、ニューカマーなのか、さらには出身国が中国か韓国か台湾かなどの区別もつかないことがあり、最初から「違い」を前提としたつきあい、そして結婚に至るケースがある。グローバリゼーションが進展するなか、民族的な差異は他の多くの差異(年収、出身地域、学歴、文化資本など)の一つに解消されている感もある。 <BR>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;では未婚社会と言われる現代において、(旧来的な)「民族的差異」は本当に婚姻を疎外する要因になっていないのか。そもそも在日コリアンの若者世代は、恋愛において民族の違いに意味付けをするのか。ここでは聞き取り調査の結果をもとに、昨今の在日若者世代の結婚、恋愛観について述べていくことにする。</p>
著者
本多 真隆
出版者
Japanese Council on Family Relations
雑誌
家族研究年報 (ISSN:02897415)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.129-146, 2013-07-10 (Released:2017-02-14)
参考文献数
42

本稿は、日本の家族研究における、M・ヴェーバーの「ピエテート(Pietät)」概念の受容のあり方を、戸田貞三と川島武宜の著作を中心に検討する。M・ヴェーバーの「ピエテート」概念は現在、「家」制度における権威服従関係を支える意識として理解されている。戸田と川島はそれぞれ、家族研究における「ピエテート」概念の受容の先駆者であった。検討の結果、戸田と川島は「ピエテート」概念を、戦前の「家(家族制度)」の権威服従関係と情緒的関係の関連を論じるために用いていたこと、そしてその関係は、「近代家族」の情緒的関係とは性質を異にすることが明らかになった。結論部では、「日本型近代家族」を「家」と「近代家族」の二重構造と捉えて分析する場合は、情緒概念が歴史的変遷を含め、多義的であることを認識することが必要であることを示した。
著者
戸江 哲理
出版者
家族問題研究学会
雑誌
家族研究年報 (ISSN:02897415)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.109-128, 2013

&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;本稿では、子育てひろばにおける利用者(母親)とスタッフのごはんをめぐる発言とやりとりを、会話分析の立場から検討する。分析の焦点は、これらの人々自身がごはん(作り)を公私区分上に位置づける様子を解明することにある。母親は子育てひろばを立ち去る間際に、ごはんについて発言することがある。この発言はひとり言として発されるか、自分の会話能力がない子どもに宛てられる。このことから、母親がごはん(作り)のことを家族のメンバー内(私的領域)に留めるべきだと捉えていることが窺える。他の人たちはこの発言に対して反応することがあり、それによってごはん(作り)は家族以外のこの場にいる人たちが関与する領域(公的領域)へと移動する。反応にもいくつかのバリエーションがあり、それぞれ公共化のレベルが違う。そして、この反応のバリエーションは、ごはんの作り手としての立場に対する反応する人の注意の払いかたによって生み出される。
著者
藤間 公太
出版者
家族問題研究学会
雑誌
家族研究年報 (ISSN:02897415)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.91-107, 2013

&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;本稿では、社会的養護施設をめぐる2つの論争―ホスピタリズム論争、津崎哲夫vs 施設養護支持派論争―を分析し、「家庭」を支配的なロジックたらしめる言説構造について考察する。分析からは、かつてはあった「家庭」への批判的視角が徐々に失われ、反施設論者だけでなく、施設養護支持派も「家庭」をケアの場の支配的モデルと前提するようになったことが明らかになった。こうしたなか、個別性や一貫性の保障という小規模ケアのメリットを「家庭的」な形態に結び付ける言説構造が維持、強化されてきたと考えられる。以上を踏まえ、考察部では、「家庭」を理想的なケア環境として措定する言説構造が持つ問題と、今後の脱家族化論の課題について議論を行う。
著者
藤間 公太
出版者
家族問題研究学会
雑誌
家族研究年報 (ISSN:02897415)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.91-107, 2013

&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;本稿では、社会的養護施設をめぐる2つの論争―ホスピタリズム論争、津崎哲夫vs 施設養護支持派論争―を分析し、「家庭」を支配的なロジックたらしめる言説構造について考察する。分析からは、かつてはあった「家庭」への批判的視角が徐々に失われ、反施設論者だけでなく、施設養護支持派も「家庭」をケアの場の支配的モデルと前提するようになったことが明らかになった。こうしたなか、個別性や一貫性の保障という小規模ケアのメリットを「家庭的」な形態に結び付ける言説構造が維持、強化されてきたと考えられる。以上を踏まえ、考察部では、「家庭」を理想的なケア環境として措定する言説構造が持つ問題と、今後の脱家族化論の課題について議論を行う。