著者
戸江 哲理 Tetsuri TOE
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 = Kobe College studies (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.103-117, 2021-06

エスノメソドロジー・会話分析と家族社会学が交わるところで、これまでに日本でなされてきた研究を概観した。具体的には、1990年代から2010年代までの成果物をテーマ、手法、著者などから十年刻みで整理した。1990年代には、家庭での親による子どもの社会化の研究にエスノメソドロジーの知見を活かしながら取り組んだ教育社会学者たちがいた一方、家族の定義をめぐる論議においてエスノメソドロジーの発想を援用した家族社会学者たちもいた。2000年代に入って、若手の家族社会学者たちが主に成員カテゴリー化装置の発想を用いて家族をめぐる具体的なデータの検討に着手した。2000年代の後半になると、子育て支援をフィールドとして、エスノメソドロジー・会話分析の方法論や知見を活かす研究がなされるようになった。インタビュー調査によるものや、やりとりを検討するものである。2010年代に研究は拡大し、エスノメソドロジー・会話分析から示唆を受けた研究者たちの単著が刊行され、エスノメソドロジー・会話分析を活かして取り組まれるテーマや用いられるデータの種類などにも厚みが出てきた。だが、研究の余地は依然として大きい。
著者
戸江 哲理
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.319-337, 2016 (Released:2017-12-31)
参考文献数
19

家族社会学では, 家族を構造 (であるもの) としてではなく, 実践 (するもの・見せるもの) として捉える研究の道筋が切り開かれつつある. 他方で, 家族とは何かという問いを研究者にとっての問題である以前に, 市井の人々自身にとっての問題と捉える研究も登場している. 両者が合流するところに, 人々の立場からその日々のふるまいを検討するという研究課題が生まれる. 会話分析はこの研究課題に取り組む術を提供する. そこで本稿では, 親をすることや親だということを見せることが可能になるしくみのひとつを解明する. そのために本稿は, 母親が同じ場所にいる自分の幼い子どもを「この人」と呼ぶ発言とそれをふくむやりとりを検討する. この呼びかたは, 母親が子どもを子どもとして捉えていないように思えるだろう. だが, 分析の結果, そうではないことが明らかになった. 「この人」は, 近くにいる (「この」) 人物 (「人」) であること以外に, そう呼ばれた人物についていっさいの特徴づけを行わない. それによって, 「この人」はそう呼ばれた人物をめぐる隔たりを刻印する. 母親は, 自分の子どもを「この人」と呼ぶことによって, 普通の子どもとの隔たりを刻印する. あるいはその例外性を際立たせる. 子どもを例外扱いできる人物は, その子どもをよく知っている人物である. 母親は子どもを「この人」と呼ぶことによって, 自分がそんな人物であることを打ち出せる. 子どもを「この人」と呼ぶことは母親としての特権なのである.
著者
木戸 功 戸江 哲理 安達 正嗣 鈴木 富美子 阪井 裕一郎 松木 洋人
出版者
聖心女子大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2017-04-01

全国家族調査(NFRJ)18幹事会に代表の木戸が出席し、量的調査と連携して実査に臨むことを確認した(4/15)。その後、日本家族社会学会会員に本研究会(NFRJ18質的調査研究会)への参加を呼びかけ研究代表者と研究分担者を含む33名の研究会組織を編成し連絡用メーリングリストを作成した。本年度は3回の研究会を開催し、また小規模であるが量的調査チームと連携した予備調査も実施した。第1回研究会は学会大会終了後に大阪市立大学で開催し(9/11)、本調査の概要についてあらためて確認した上で、インタビュー調査班をサブテーマごとに4つ作り、班ごとに対象者と調査項目について検討した。フィールドワーク班についても対象選定の方法と、データ収集の方法について意見交換した。第2回および第3回研究会はそれぞれ2部構成として前半で招聘講師からのレクチャーと討論、後半で各研究班ごとの実査に向けた検討とその進捗状況の報告を実施した。第2回研究会はライフヒストリー研究およびそのアーカイヴ化についての専門家として小林多寿子氏(一橋大学大学院)を招き早稲田大学にて開催した(11/23)。第3回研究会は生活史研究の専門家として岸政彦氏(立命館大学大学院)を招き大阪市立大学にて開催した(1/27)。いずれの研究会においても専門的な知見の提供を受けるとともに本研究会が実施する調査に対しての実践的な助言をえた。並行して木戸がNFRJ 18の全体研究会に参加し(11/12)量的研究チームとの連携を保った。これらの研究会でのやりとりなどを通じて、対象選定の方針と調査項目の選定については具体的な案がそれぞれの班より示されるにいたった。また量的研究チームが実施した予備調査において、追加調査となるインタビュー調査への協力の可否をたずねる項目を追加するとともに、応諾者のうち9ケースの予備調査を実施した(3月)。
著者
戸江 哲理
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2011-11-24

新制・課程博士
著者
戸江 哲理
出版者
日本マス・コミュニケーション学会
雑誌
マス・コミュニケーション研究 (ISSN:13411306)
巻号頁・発行日
vol.70, pp.139-156, 2007-01-30 (Released:2017-10-06)
参考文献数
21
被引用文献数
1

How can the advice-giving be accomplished in the media? Answering this question, I apply conversation analysis, and, especially, membership categorization analysis to the advice-giving interaction in the popular television talk show. My points are threefold. (1) The trouble-tellers categorize themselves to make their troubles accountable for the guests. (2) The guests use categories as rhetorical resources in giving advices. (3) Sometimes a category-oriented advice is rejected by a trouble-teller who locates her trouble in the level deeper than the categorical one. We can observe that the accomplishment of interaction in categorical level may mask further details of the very trouble.
著者
戸江 哲理
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.51, no.3, pp.39-55,208, 2007

One may say that the only person who knows everything about her/his trouble is the person her/himself. On the other hand, we can actually "share" our troubles with others. How can we make this happen? To answer this, I apply conversation analysis to conversational data. The co-membership of the troubled is inter-visualized by participants in "proving" ones own access to a kind of troubled experience vis-a-vis another report of troubled experience. Ones own access is demonstrated, for example, by the procedure of making an independent assessment of the trouble, and by procedure of producing a "second story" of trouble following a co-participants "first story." Once the co-membership of the troubled is inter-visualized, it is interesting that a participants report of her/his "own case" is heard as "proposal" or as "advice" by co-participants. Moreover, such a proposal may be "improper" because it is constructed as a report of "ones own case." A rejection of such a proposal may occur indirectly.This means that a rehash of troubles-talk is preceded by formal acceptance and/or silence and/or a preface. In doing so, a trouble teller may orient to the co-membership by inviting the other participants to talk about their troubles. My conclusions are: (1) even if the co-membership of the troubled is inter-visualized, participants may be divided into counter-sub-categories such as trouble-resistive (proposal) and trouble-receptive (rehash). However, both the proposals of "ones own case" and the rehashes of troubles-talks are implemented by the orientation to the co-membership of the troubled. This contributes in making the topic "rich." (2) The sociology of trouble has taken it for granted that one orients to resolve ones own trouble when one talks about it. However, rehashes of troubles-talks through the rejection of advice imply that there may be trouble-talks that dont orient to solutions. (3) The co-membership of the troubled prepares a "safe" utterance environment for "improper" proposals. This sequential environment is critical to institutional settings such as mothering and self-help groups.
著者
戸江 哲理
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.319-337, 2016

<p>家族社会学では, 家族を構造 (であるもの) としてではなく, 実践 (するもの・見せるもの) として捉える研究の道筋が切り開かれつつある. 他方で, 家族とは何かという問いを研究者にとっての問題である以前に, 市井の人々自身にとっての問題と捉える研究も登場している. 両者が合流するところに, 人々の立場からその日々のふるまいを検討するという研究課題が生まれる. 会話分析はこの研究課題に取り組む術を提供する. そこで本稿では, 親をすることや親だということを見せることが可能になるしくみのひとつを解明する. そのために本稿は, 母親が同じ場所にいる自分の幼い子どもを「この人」と呼ぶ発言とそれをふくむやりとりを検討する. この呼びかたは, 母親が子どもを子どもとして捉えていないように思えるだろう. だが, 分析の結果, そうではないことが明らかになった. 「この人」は, 近くにいる (「この」) 人物 (「人」) であること以外に, そう呼ばれた人物についていっさいの特徴づけを行わない. それによって, 「この人」はそう呼ばれた人物をめぐる隔たりを刻印する. 母親は, 自分の子どもを「この人」と呼ぶことによって, 普通の子どもとの隔たりを刻印する. あるいはその例外性を際立たせる. 子どもを例外扱いできる人物は, その子どもをよく知っている人物である. 母親は子どもを「この人」と呼ぶことによって, 自分がそんな人物であることを打ち出せる. 子どもを「この人」と呼ぶことは母親としての特権なのである.</p>
著者
戸江 哲理
出版者
家族問題研究学会
雑誌
家族研究年報 (ISSN:02897415)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.109-128, 2013

&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;本稿では、子育てひろばにおける利用者(母親)とスタッフのごはんをめぐる発言とやりとりを、会話分析の立場から検討する。分析の焦点は、これらの人々自身がごはん(作り)を公私区分上に位置づける様子を解明することにある。母親は子育てひろばを立ち去る間際に、ごはんについて発言することがある。この発言はひとり言として発されるか、自分の会話能力がない子どもに宛てられる。このことから、母親がごはん(作り)のことを家族のメンバー内(私的領域)に留めるべきだと捉えていることが窺える。他の人たちはこの発言に対して反応することがあり、それによってごはん(作り)は家族以外のこの場にいる人たちが関与する領域(公的領域)へと移動する。反応にもいくつかのバリエーションがあり、それぞれ公共化のレベルが違う。そして、この反応のバリエーションは、ごはんの作り手としての立場に対する反応する人の注意の払いかたによって生み出される。
著者
戸江 哲理
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.536-553, 2012
被引用文献数
1

本稿は, ある会話的な手続きの解明を目指している. またこの作業を通じて, 親という立場がコミュニケーションにおいて実現されるプロセスを例証したい. この会話的な手続きは, 子ども (乳幼児) をめぐって親と親ではない者の発言によって遂行される, 行為の連鎖である. この行為の連鎖は, 呼応する2つの行為 (と付随的な行為) から構成されている. 連鎖第1成分を親ではない者が, 連鎖第2成分を親が遂行する. 連鎖第1成分の発言は親に対して, 子どもが現在この場で取った行動を子どもの普段の様子に位置づけるように促す. 本稿はこれを<説明促し>と呼ぶ. 説明促しは, その話者が当該子どもについてよく知らないことを発言のなかに刻印することで認識可能となる. そしてこの知識の欠如は, 説明促しが当該子どもの行動が生じた後の位置で, 描写というかたちを取って組み立てられることで刻印される. これに対して連鎖第2成分の発言を差し出す親は, 自分のほうが子どもについて詳しいという含意をもつ応答をする. この応答には, 詳しいという証拠があるタイプとないタイプがある. 子どもの普段の様子が語られる応答は前者である. また応答が後者である場合, 連鎖第1成分の話者は, 前者のような応答を求めてもっと直接的な手段で子どもの普段の様子についての情報を要求することができる. このような説明促し連鎖を通じて, 親は子どもにかんする<応答可能性=責任>を果たしているといえる.