著者
髙橋 秀慧
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.95, no.1, pp.127-150, 2021 (Released:2021-09-30)

本稿では、幕末維新期の政局に相対した寺院の動向を「生存戦略」と捉え、妙法院と智積院の陣所化の事例を中心に、西本願寺との比較検討を行い、横断的に考察する。まず、妙法院は、財政難から陣所化を積極的に受け入れたが、智積院は、学問所の機能維持を重視し、陣所化に消極的であった。次に、この事例分析を通じて、諸寺の生存戦略及びその実行プロセスには、近世的社会関係に起因する、寺院(宗派)の性格・機能や内部の「組織力」が強く影響していたことを指摘する。そして妙法院や智積院と比較し、西本願寺は、宗派内で教義的・宗教的権威を補完する独自の制度が整っており、門跡の格式と血統を備えた宗主がリーダーシップを発揮することができたと考えられる。さらに、こうした組織力は、生存戦略を進めるための意志決定や、それを実行に移すプロセスを他宗派よりスムーズなものにしたといえよう。
著者
佐藤 慎太郎
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.79, no.3, pp.701-722, 2005-12-30 (Released:2017-07-14)

本稿は宗教学の問い直し(「宗教学とはいかなる学問か」)の試みの一つとして、M・エリアーデの宗教学を考察の対象とするものである。特に彼はその研究における鍵概念として「聖なるもの」を置いており、この概念との関係からその視点を浮き彫りにすることを試みる。そこには近代西洋世界の救済への切迫した危機意識を看取できる。彼の宗教学においてはヒエロファニー論にしてもhomo religiosus概念であっても、最終的な帰結までもってゆけば、必ず近代西洋の問題に対してポジティブな可能性を開くものとして主張されていた。すなわち彼の宗教学には意味の次元の開示による、客観性や実証性という原理では取りこぼしてしまう、非聖化を迎えた近代西洋社会において果たしうる文化的役割がいわば確信犯的に強調されていることを確認する。
著者
伊達 聖伸
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.531-554, 2007-12-30 (Released:2017-07-14)

フランスの政教関係を定めた「ライシテ」の原理は、いわゆる近代社会の基本的原則たる政教分離を最も徹底させたものだとしばしば見なされている。それを裏づけるように、フランスのライシテは、「アメリカの市民宗教」-教会から切り離されたユダヤ=キリスト教の文化的要素が政治の領域に明白に見て取れる-とは構造を異にすると分析されている。だが、この差異から、フランスでは政治の領域に宗教的次元が存在しないという結論が導けるわけではない。事実、研究者のあいだでは、ライシテ(およびこの原理に即した近代的な価値観)を市民宗教などのタームでとらえることの妥当性が問われている。本稿では、彼らの議論の一部を紹介しながら、市民宗教の五類型を提示し、ライシテがいかなる条件において、どのような意味での「市民宗教」に近づきうるのかを、ライシテの歴史の三つの重要な節目-フランス革命期、第三共和政初期、現代-におけるいくつかの具体例を通して検討する。
著者
江島 尚俊
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.90, no.3, pp.1-26, 2016-12-30 (Released:2017-09-15)
被引用文献数
1

現代日本において宗務課は、なぜ文化庁の、ひいては文部科学省の組織管轄下に位置づけられているのか。その端緒を明らかにすべく、本稿では文部科学省の前身である文部省が、いつ、どのような状況の中で宗教行政所管のための理論構築を行っていったのかを明らかにしている。最初に焦点をあてたのは明治一〇年代である。まずは、この時期に生じた文部省・内務省間の宗教学校所轄問題が、太政大臣の政治判断によって一応の決着をみたことを論じた。次は、社会・外交状況の変化でその所轄問題が再燃する明治二〇年代に着眼している。そこでは、文部省が内務省とは別に所轄問題の解決を模索した結果、宗教学校のみならず宗教行政をも所管しようとする理論を構築していたことを指摘した。そして最後に、新しく構築された宗教行政所管論の特徴について論じている。この所管論においては、従来の内務省のように社寺行政の延長で宗教行政を捉えるのではなく、美術行政と学校・教育行政の枠組でそれを捉え直し、宗教行政の文部省所管が主張されていたことを明らかにした。
著者
ミア ティッロネン
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.95, no.1, pp.175-198, 2021 (Released:2021-09-30)

近年、日本の寺社仏閣の観光地化がますます活発になっている。宗教と観光を主に表象化論として論じてきた既往研究に対し、本研究では物質的側面に注目する。京都市の晴明神社は、映画『陰陽師』の影響で、二〇〇〇年代以降急速に参拝客数を増加させ、それにともない境内の整備や安倍晴明伝説を具現化する銅像の設置などを行ってきた。多様な理由で同社を訪れる人々は、これらのモノに対して常識に基づく「正しい」行動だけでなく、様々な実践を行う。こうしたパフォーマンスにおいて、モノは単に実践の客体ではなく、むしろ、そうした行動を導くアクターとして捉え返せるのである。本稿では、パフォーマンス論と物質的宗教論の観点を導入しながら、神社観光における人、モノ、環境の相互作用に光をあててゆく。
著者
市川 裕
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.293-317, 2011-09-30 (Released:2017-07-14)
被引用文献数
1

本論文は、ユダヤ教共同体が一五〇〇年間、社会的にパーリアの状態にあった共同体の内部において形成したユダヤ法の精神文化の意義を考察する。古代ユダヤ社会は、西暦一世紀から二世紀にかけて、ローマ帝国からの独立を目指して二度の大戦争を交え、神殿の崩壊、社会の壊滅、エルサレムからの追放といった一連の苦難を受けた。そののち彼らは、政治的自立と独立の夢を放棄し、唯一神の教えの徹底的な学習と実践を自らの生きる道と定めることを決断した。そこから導かれるタルムードの学問は、神への愛に基づいて、徹底した討論によって理性的に相手を説得する方法であった。それは、ユダヤ賢者が預言者の伝統である偶像崇拝との闘いを継承したことによって達成された。その具体例をタルムードにおけるラビたちの思惟方法と討論における論証法の中から抽出したい。ここでいう偶像崇拝とは、社会的権威への盲従や、先入見に無批判な知的怠慢に対する批判的態度であって、ラビたちが新たな形式での偶像崇拝批判を宗教的人格形成の根幹にすえたのである。