著者
小池 淳一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.205, pp.459-472, 2017-03-31

本稿は、民俗儀礼を起源とする俳句の季語を文芸資源と捉え、その形成の過程を論じようとするものである。七五三という儀礼は実は新しく、都市的な環境のなかで成立したものである。そして特に現代では古い状況から新しい状況へと変化することを示す儀礼というよりも、人生の階梯を晴れ着などで示す表層的な儀式という性格が顕著である。そうした七五三が文芸資源として俳句作品に用いられる際には、子どもの成長や晴れ着の着こなし、儀式のなかでの動きを切り取るものとして機能している。社会的な儀礼よりも一時的な儀式としての意味合いが強調される。一方、岡見は「堀川百首」の源俊頼の和歌における「をかみ」の語釈として胚胎し、近世の季寄せや歳時記の類にこの語に関する関心が引き継がれてきた。記録上は、多少のバリエーションがあり、担い手や方法に差異があるが、実際の民俗儀礼として明確に確認はできない。この語は俳句作品のなかでは年の暮の情景を示すものとして、さらには時間感覚を表出させるものとして働く場合が多い。それは幻想的であり、年中行事というよりも特殊な境界の時空をとらえるものとなっている。
著者
小池 淳一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.165, pp.47-62, 2011-03

本稿は雑誌を通して日本の民俗研究の形成過程の特徴をとらえる視角を追求しようとするものである。雑誌は、長く大学に講座を持たなかった日本の民俗研究にとって重要なメディアであり、研究の対象を登録し、資料を蒐集するだけではなく、課題を共有し、議論を深めていくためにも活用されてきたことがこれまでも指摘されている。ここでは具体的に一九一三年に石橋臥波を中心に発刊された『民俗』という雑誌が大正のはじめに「民俗」研究の重要性を主張し、国文学や歴史学、人類学の研究者を軸に運営されていたことを明らかにした。さらに同時期の高木敏雄・柳田国男による『郷土研究』との差異が「民俗」を把握する方法意識の差にある点について考察した。さらに一九三二年に発刊された『民間伝承』という雑誌を取り上げ、編集発行にあたった佐々木喜善が置かれていた状況や研究上の課題、雑誌刊行を支えた人脈について考察した。ここからは掲載された論考ばかりではなく、問答や資料報告を含む誌面の構成から、口承文芸を軸に東北を基盤としつつ事例の集積と論考とを共有しようとする姿勢を読みとることができた。雑誌にはその編集発行に携わった人々の研究への構想力が結晶しており、それはこれら二つの雑誌も例外ではない。そしてこのことは、民俗研究の史的展開を考える上で重要である。これまでは長期的に成功を遂げた雑誌に注目する傾向があったが、どちらの雑誌も短命に終わったもののこれらからも汲みあげるべき問題があることが判明した。今後は雑誌を支えた読者とのコミュニケーションの近代的な特色や謄写版といったメディアを生み出す技術との関係も考慮に入れて、雑誌を民俗学史の中に位置づけていく必要があろう。
著者
小池 淳一
出版者
[西郊民俗談話会]
雑誌
西郊民俗 (ISSN:09110291)
巻号頁・発行日
no.236, pp.1-7, 2016-09
著者
小池 淳一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.174, pp.133-144, 2012-03

本稿では目をめぐる民俗事象を取り上げ、感覚の民俗研究の端緒とするとともに、兆・応・禁・呪といった俗信の基盤として考察した。まず最初に、柳田國男の一目小僧論を検討し、さらにその範疇に入らない年中行事における目の力に対する伝承を指摘した。次いで片目の魚の伝承や縁起物のダルマに着目し、片方の目しかない状態を移行や変化の表現としてとらえるべきであることを確認した。さらに左の目を重視する説話的な伝承が確認できること、また片目というのは禁忌の表現でもあることを見出した。最後に「見る」という行為から構成される民俗について、特に「国見」、「岡見」、市川團十郎における「にらみ」、「月見」などを取り上げて分析した。その結果、従来は「見る」行為には鎮魂の意義があるとされてきたが、さらにその内容を詳細に検討する必要があることが判明した。今後はさらに多くの「見る」民俗を分析するとともに五官に関わる民俗を総合的に検討することを目指したい。This article deals with folkloric events over the eye, marking the start of the study of folklore of the senses, which are studied as the basis of folk beliefs e.g. in the form of omens, knowledge, taboos and Magic. The article first examines the theory of the Hitotsume-kozo (one-eyed boy) of Kunio Yanagita and also indicates traditions for the power of the eye in annual events outside the above categories. Subsequently, it focuses on the tradition of the oneeyed fish and daruma dolls as auspicious and confirms that a one-eyed status should be understood as an expression of transition and transformation. Furthermore, it indicates a narrative tradition that prioritizes the left eye and finds that one-eye is also a taboo expression. Finally, this article analyzes the folklore composed of the actions of "seeing" by dealing, especially with "kunimi," "okami," "nirami ( glare) " in Ichikawa Danjuro, "tsukimi ( moon viewing) ," etc. As a result, the need for further detailed examination of the contents is clarified, although actions of "seeing" were conventionally thought to mean soothing someone's soul. In future, the author of this article would like to analyze more "seeing" folklore and comprehensively examine the folklore of five senses.
著者
小池 淳一
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要. 文学研究篇 (ISSN:18802230)
巻号頁・発行日
no.44, pp.259-273, 2018-03

本稿は日本の民俗文化におけるニワトリをめぐる伝承を素材にその特徴を考察するものである。ここではニワトリをめぐる呪術や祭祀、伝説を取り上げ、民俗的な世界観のなかでのニワトリについて考え、その位相を確認していく。それによって文芸世界におけるニワトリを考究する前提、もしくは基盤を構築する。まず、呪術としては水死体を発見するためにニワトリを用いる方法が近世期以降、日本各地で見いだせることに注目した。生と死、水中と陸上といった互いに異なる世界の境界でニワトリが用いられたのである。続いてニワトリが関わる祭祀として、禁忌とされたり、形そのものが神聖なものとされる場合があることを指摘した。さらにその神格としても移動や境界にまつわるとされることを述べた。最後に伝説においても土中に埋められた黄金がニワトリのかたちであったり、年の替わり目にニワトリが鳴いて黄金の存在を示すといった例が多く見いだせることを確認した。総じて、ニワトリをめぐる伝承の多くは移動や変化に関わり、またその存在は特定の時空でくり返し、想起されるものであった。まさにニワトリは境界をめぐる伝承を集約する鳥なのであった。こうした生活世界における伝承を改めて意識することで、かつてのニワトリに対する感覚を思い起こし、境界という時空が持つ可能性と潜在的な力を再認識することができよう。This article is an examination of salient features found in traditional Japanese folk customs associated with the domestic fowl (niwatori). More specifically, I look at a handful of magical incantations, religious rites, and legends surrounding the domestic fowl as a means of grasping the role of this bird within the Japanese folk imagination, which understanding will, it is hoped, serve to enrich our appreciation of this same bird's role in literature and the arts.First, I point out the ritualistic practice, found all throughout Japan since the early modern period, of using a domestic fowl is order to ascertain the whereabouts of a corpse of one who died by drowning. In such instances, the domestic fowl serves as an intermediary between two different between life and death, and between the world under water and that upon the land. Next, I foreground the various ways in which the domestic fowl was viewed during certain religious rituals: sometimes it was considered as a taboo object, while at other times its very form was seen as sacred. I then note how the domestic fowl, thus elevated to sacred status, was venerated during certain times of communal movement, as well as at certain liminal sites. Finally, I confirm a number of instances in which the domestic fowl is linked to gold: Gold buried under the earth was reported at times to resemble the shape of this bird. Also, the bird was believed to sing out at the start of a new year, thereby signaling the presence of gold nearby.In conclusion, the domestic fowl was associated in the folk imagination with an array of set occasions—specific times and venues-which were, in turn, often related to significant movements or transformations. As such, the domestic fowl took upon itself a number of traditions reminiscent of one form or another of liminality. By reconsidering these lived traditions, we are able to catch a glimpse of how Japanese people perceived this familiar bird, as well as gain added insight into the various possibilities and latent power of liminal spaces and events.
著者
小池 淳一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.174, pp.133-144, 2012-03-30

本稿では目をめぐる民俗事象を取り上げ、感覚の民俗研究の端緒とするとともに、兆・応・禁・呪といった俗信の基盤として考察した。まず最初に、柳田國男の一目小僧論を検討し、さらにその範疇に入らない年中行事における目の力に対する伝承を指摘した。次いで片目の魚の伝承や縁起物のダルマに着目し、片方の目しかない状態を移行や変化の表現としてとらえるべきであることを確認した。さらに左の目を重視する説話的な伝承が確認できること、また片目というのは禁忌の表現でもあることを見出した。最後に「見る」という行為から構成される民俗について、特に「国見」、「岡見」、市川團十郎における「にらみ」、「月見」などを取り上げて分析した。その結果、従来は「見る」行為には鎮魂の意義があるとされてきたが、さらにその内容を詳細に検討する必要があることが判明した。今後はさらに多くの「見る」民俗を分析するとともに五官に関わる民俗を総合的に検討することを目指したい。
著者
小池 淳一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.225, pp.351-369, 2021-03-31

漆は日本列島上の生活文化において|きわめて重要な役割を果たしてきた。産業構造の変化によって|漆の位相は前近代とは大きく異なってしまっている。端的に漆の価値と社会的な重要性は大幅に低下したといってよい。その点で漆は過去のものになりつつある。しかし|だからといって民俗的な価値はなく|その追究は不要であるということはない。本稿では|かつての生活の諸場面における漆の様相を民俗学の立場から総合的にとらえていくための予備的な考察をおこなう。そのために|ここではまず|従来の民俗学における漆をめぐる調査|研究の成果をふり返り|そこでの問題意識と具体的な調査内容とを確認する。次に漆をめぐるさまざまな民俗事象が形成される背景となったであろう漆栽培とその樹液をめぐる近世の様相を|北奥羽地方(弘前藩)の史資料をもとに確認する。さらに漆をめぐって伝承されてきた俗信や説話をとりあげ|そこから見出される生活世界における漆の問題を考えてみたい。つまり本稿では|近世期以降の漆をめぐる史資料を概観し|漆の民俗研究を進めるための問題群を確認することを目標とし|課題の解決というよりも漆をめぐる民俗学的な課題の確認とこれからの考察の方向性とを提出することを試みるものである。結論として|漆をめぐる民俗的な研究課題としては|第1に木材としての漆の生態と利用|第2に地域のなかでの漆の生産と技術|第3に遠隔地をむすぶ漆の樹液の流通と人びとの移動|第4に近代化過程における漆の位相|第5に漆をめぐる俗信と説話およびその背景|といったものが挙げられるということが導き出せた。
著者
小池 淳一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.193, pp.293-303, 2015-02

地域の開発に際して文化をどのように位置づけ、利用するか、という問題は実は言語戦略の問題でもある。本稿はそうした地域開発のキャッチフレーズとも標語ともとれる術語についての予備的考察である。ここでとりあげる術語とは〈民話〉である。〈民話〉はしばしば、民俗学の領域に属する語のように思われるが実はそうではない。〈民話〉は民俗研究のなかでは常に一定の留保とともに用いられる術語であり、またそれゆえに広がりを持つ言葉であった。一九五〇年代の日本民俗学において〈民話〉は学術用語としては忌避されていた。それは戦後歴史学のなかで、民話が検討対象となり、民衆の闘いや創造性を示す語として扱われていたことと関連し、民俗学の独立の機運とは裏腹のものであった。そうした留保によって〈民話〉はかえって多くの含意が可能になり、地域社会とも結びつく可能性が残されていった。特に「民話のふるさと」岩手県遠野市では口承文芸というジャンル成立以前の『遠野物語』と重ね合わされることによって〈民話〉が機能した。その結果として、遠野は「〈民話〉のふるさと」となったのである。How to evaluate and utilize culture in community development is also considered as a matter of linguistic strategies. This article provides a preliminary consideration of the terminology used as a catchphrase or slogan for community development. More specifically, this study focuses on folktales. The word "folktale (Minwa)" is often mistaken as a technical term of folklore studies. In reality, folklorists always use the term in a reserved way, which gives it a wide range of meanings. In the 1950s, Japanese folklorists rarely used "folktale" as an academic term. This was partially because after World War II, historians studied folktales using the term to represent creativity or a struggle of people, which was contrary to the trend of independence of folklore studies. Due to the reserved attitude of folklorists, however, the term could have many connotations, leaving the possibility to be linked with local communities. In particular, in Tōno, Iwate Prefecture, a city also known as the Home of Folktales, folktales played a role in relation to "the Legends of Tōno (Tōno Monogatari)" years before the establishment of oral literature as a genre. This is the very reason why the city has become the Home of Folktales.
著者
小池 淳一
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 文学研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature ,Japanese Literature (ISSN:18802230)
巻号頁・発行日
no.44, pp.259-273, 2018-03-15

本稿は日本の民俗文化におけるニワトリをめぐる伝承を素材にその特徴を考察するものである。ここではニワトリをめぐる呪術や祭祀、伝説を取り上げ、民俗的な世界観のなかでのニワトリについて考え、その位相を確認していく。それによって文芸世界におけるニワトリを考究する前提、もしくは基盤を構築する。まず、呪術としては水死体を発見するためにニワトリを用いる方法が近世期以降、日本各地で見いだせることに注目した。生と死、水中と陸上といった互いに異なる世界の境界でニワトリが用いられたのである。続いてニワトリが関わる祭祀として、禁忌とされたり、形そのものが神聖なものとされる場合があることを指摘した。さらにその神格としても移動や境界にまつわるとされることを述べた。最後に伝説においても土中に埋められた黄金がニワトリのかたちであったり、年の替わり目にニワトリが鳴いて黄金の存在を示すといった例が多く見いだせることを確認した。総じて、ニワトリをめぐる伝承の多くは移動や変化に関わり、またその存在は特定の時空でくり返し、想起されるものであった。まさにニワトリは境界をめぐる伝承を集約する鳥なのであった。こうした生活世界における伝承を改めて意識することで、かつてのニワトリに対する感覚を思い起こし、境界という時空が持つ可能性と潜在的な力を再認識することができよう。This article is an examination of salient features found in traditional Japanese folk customs associated with the domestic fowl (niwatori). More specifically, I look at a handful of magical incantations, religious rites, and legends surrounding the domestic fowl as a means of grasping the role of this bird within the Japanese folk imagination, which understanding will, it is hoped, serve to enrich our appreciation of this same bird’s role in literature and the arts.First, I point out the ritualistic practice, found all throughout Japan since the early modern period, of using a domestic fowl is order to ascertain the whereabouts of a corpse of one who died by drowning. In such instances, the domestic fowl serves as an intermediary between two different worlds:between life and death, and between the world under water and that upon the land. Next, I foreground the various ways in which the domestic fowl was viewed during certain religious rituals: sometimes it was considered as a taboo object, while at other times its very form was seen as sacred. I then note how the domestic fowl, thus elevated to sacred status, was venerated during certain times of communal movement, as well as at certain liminal sites. Finally, I confirm a number of instances in which the domestic fowl is linked to gold: Gold buried under the earth was reported at times to resemble the shape of this bird. Also, the bird was believed to sing out at the start of a new year, thereby signaling the presence of gold nearby.In conclusion, the domestic fowl was associated in the folk imagination with an array of set occasions—specific times and venues-which were, in turn, often related to significant movements or transformations. As such, the domestic fowl took upon itself a number of traditions reminiscent of one form or another of liminality. By reconsidering these lived traditions, we are able to catch a glimpse of how Japanese people perceived this familiar bird, as well as gain added insight into the various possibilities and latent power of liminal spaces and events.
著者
小池 淳一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.197, pp.145-158, 2016-02-29

本稿は筆記環境の近代化と消費文化の様相を万年筆を通して考えようとするものである。ここではまず,明治の日本において万年筆が販売に際してどのような位置づけであったか,について,丸善における広告宣伝を確認し,特に夏目漱石が書いた「余と万年筆」(1912)をはじめとする万年筆関係の文章を分析した。さらに三越百貨店における万年筆の販売の様相を『三越』『三越タイムス』からうかがい,その特徴について考察した。その結果として,万年筆は筆記の近代化のシンボルとして,明治末から大正の初めにはかなり普及したが,特に三越では舶来品としての万年筆の販売に尽力し,さらに関連する商品も視野にいれ,商品そのものばかりではなく,関連する知識や使用法の啓蒙にも努めていたことが明らかになった。日本における万年筆の歴史,筆記文化の近代を考えるためには,ここで論じた以外にも国産化の過程をはじめとする複眼的な考究が必要であろう。
著者
小池 淳一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.199, pp.55-66, 2015-12-25

1970年代から80年代にかけて盛んに論じられた都市民俗学はどのように形成され,どういった可能性と限界とを持っていたのだろうか。本稿はそうした問題について,都市民俗学の模索段階,形成期について検討し,その様相について論述を試みる。さらに都市民俗学を表面的には標榜しなくても,都市をとらえた民俗研究を検討し,その可能性を指摘する。ここでは特に世間話や個人に関する着目が重要であったことを確認する。全体として,都市民俗学は現代社会や民俗変化を対象化するムラを超える民俗学へと民俗研究が発展的に解体する過程と位置づけることができ,そこでの問いや模索された対象や概念化の取り組みは,現代における民俗的諸事象との対峙を志向する研究へと分節化されたということができるのである。
著者
青木 隆浩 小池 淳一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

本研究は,異業種間における職人技術の関係を解明することを目的としている。一般に,職人の技術は他社のみならず,同僚に対してもしばしば秘匿とされている。そのため,同じ業界であっても,製造技術は多様である。一方で,変え難い伝統的な技術が存在する。その技術が消滅する原因は,原材料が入手困難になることや,関連業者が淘汰されることなど,外的な要因による。そして,それらを通じて,職人の技術は大きく変化すると考えられる。
著者
山田 嚴子 小山 隆秀 渡辺 麻里子 小池 淳一 原 克昭 羽渕 一代
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2020-04-01

本研究は東北の巫者が近代以降の新たな制度に対応してゆく過程で、在来の「知識」をどのように再配置し、地域住民とともに新たな宗教的実践を再構築してきたのか、そのプロセスを問うものである。一関市大乗寺については、映像資料を作成し、祭文、経典については、録音、翻字を行う。また恐山円通寺については、もと小川原湖民俗博物館旧蔵資料で、現在は青森県立郷土館に寄贈されている文書類の翻刻と、文書の収集の背景の聞き取りを行う。量的調査は青森県、岩手県と比較のために東京都で質問紙調査を行う。研究成果は報告書を作成し、弘前大学地域未来創生センターや青森県立郷土館のwebページなどでも発信してゆく。
著者
小池 淳一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.169, pp.291-302, 2011-11

本稿は耳をめぐるさまざまな民俗を取り上げて、身体的な感覚がどのように表出しているかについて考察を加えるものである。ここではまず、耳塞ぎの呪法を取り上げた。これは同年齢の死者が出た際にそれを聞かないように一定の作法を耳に施す呪術である。従来は同齢感覚を示すものと捉えられてきたが、改めて考えると日常とは異なる状態を耳に食物をあてることで表現する民俗であり、そこには呪術の受け皿としての耳の性格を見いだすことができる。次いで、耳に関する説話として「聴耳」、「鮭の大助」を検討した。「聴耳」は人間以外の動植物の声を意味あるものとして聞くことが可能であるという認識の上に成り立っている説話で中世以降、陰陽道とも結びついて民俗的に展開している。「鮭の大助」は特定の日に川を遡上してくる鮭の発する声を聞かないようにする習俗の説明譚である。これは鮭の声を意識してはいるものの聞かないことに重点がある。こうした説話の分析からは、耳が自然界の音と対峙するシンボルであることが浮かび上がってくる。さらに、耳に関する年中行事や俗信についても分析を加えた。耳鐘や盆行事における「地獄の釜の蓋」の伝承、カンカン地蔵、大黒の耳あけ、耳なしの琵琶法師、耳塚などの伝承を検討した。ここからは特定の条件のもとで、耳や音が神霊や怪異の世界とのつながりを持つことが、明らかとなった。耳は聴覚器官であることはいうまでもないが、民俗事象に表れる耳のイメージは聴覚だけではなく、耳のかたちとその変形を通して表出している。今後は聴覚のシンボルとしての耳だけではなく、視覚に関しても留意し、総合的に身体感覚をとらえていくことを目指したい。This paper looks at various examples of folklore related to ears, and goes on to consider the ways in which bodily senses are expressed in folklore.I first consider the earplug charm, which is a magic practice by which people would insert something in their ears when a person of the same age died, so as "not to hear of it." This custom was previously interpreted as representing a sense of identity with people of the same age, but when you think about it, this is a folkloric custom whereby people put items of food in their ears to signify out of the ordinary circumstances. This practice suggests that ears were regarded as a receptacle for spells.I next look at two tales related to ears," Kikimimi" (聴耳) and" Osuke the Salmon" (鮭の大助) ." Kikimimi" is based on the belief that the voices of creatures other than people can be heard as intelligible sounds. It appears in Japanese folklore from the Middle Ages onwards, and is also linked with yin and yang beliefs. Osuke the Salmon is a tale for explaining the custom of avoiding hearing the voice of salmon climbing the river on specific dates. The emphasis in this tale is on knowing about the voice of the salmon but not listening to it. Analysis of these tales leads to the conclusion that the ear was seen as a symbol of the interface between man and the sounds of nature.I also analyze regular annual events and beliefs regarding ears, including folktales about ear bells, the lids of the pots in Hell in relation to the summer Bon festival, Kan Kan roadside deities, the ear piercing of Daikoku the God of Wealth, the earless Biwa priest, and ear mounds. Analysis shows that under certain conditions, ears or sounds are thought to be able to serve as links to spirits or the supernatural world.It goes without saying that ears are organs for hearing, but the image of ears that emerges from Japanese folklore is concerned not only with hearing, but also with the shape and changes in shape of ears. Looking ahead, I want to consider ears not only as symbols of hearing, but also pay attention to visual aspects, and attempt an integrated approach to bodily senses.
著者
小川 由希子 安藤 大輔 須藤 祐司 小池 淳一
出版者
公益社団法人 日本金属学会
雑誌
日本金属学会誌 (ISSN:00214876)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.171-175, 2016 (Released:2016-02-25)
参考文献数
25
被引用文献数
4 9

Mg-20.5 at% Sc alloy with hcp (α)+bcc (β) two-phase alloy was investigated to understand the effects of aging treatment at 200℃ on microstructure, hardness and tensile properties. The Mg-Sc alloy ingot was prepared by induction melting in Ar atmosphere, and then hot rolled at 600℃ followed by cold rolling into a sheet. The rolled specimens were annealed at 600℃ to obtain α+β two-phase microstructure. Then, the annealed specimens were aged at 200℃ for various time. Vickers hardness of the α+β two-phase alloy drastically increased after a certain incubation time and then reached maximum hardness of 142.8 Hv. The incubation time of the Mg-20.5 at% Sc alloy with the α+β two-phase was longer than that of the same alloy with a β single-phase. Ultimate tensile strength (UTS) and elongation of the as-annealed specimen were 280 MPa and 28.2%, respectively. Meanwhile, the specimen aged at 200℃ for 14.4 ks showed a UTS of 357 MPa and an elongation of over 12%. The specimen aged for 18 ks showed a higher UTS of 465 MPa while keeping a better elongation of 6.9%. It was found that the age hardening of the Mg-Sc alloys were attributed to the precipitation of very fine α phase in β phase.