著者
弓山 達也
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.553-577, 2010-09-30

本稿では、一九九〇年代後半から文部行政によって喧伝された「目に見えないものを大事にする」教育を官製スピリチュアル教育と措定し、それと取り組む教育現場の代表的な議論・実践を紹介しつつ、官製スピリチュアル教育の限界を明らかにする。教育現場では、官製スピリチュアリティの見えづらさをどう可視化するかが課題となるが、これを「こころの教育」「いのちの教育」のモデル校である京都府下の公立小中学校の試みから探り、これを官製スピリチュアル教育に対置する地域に根ざしたスピリチュアル教育と呼ぶ。しかし地域に根ざしたスピリチュアル教育にも限界があり、これを地域コミュニティ、宗教的資源、学校教育、スピリチュアル研究との関わりと結びつけ、その可能性を整理していく。
著者
弓山 達也
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.141-162,vii, 1996
著者
四戸 潤弥
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.517-539, 2004-09-30

有賀文八郎は明治維新の数ヶ月前に生まれた。彼は幕藩体制崩壊後の明治に生きる人間として、新しい日本人の教育の基礎を基督教と確信して基督信者となった。その後、インドのボンベイでイスラームの実際を目撃し、後にイスラームに改宗する。イスラームとの出会いから四十年間、一神教の比較研究を行い、三位一体説に疑義を抱き、イスラームが日本に最も適当な宗教であると確信し、六十歳を機に実業界を引退し、イスラーム伝道に余生を捧げた。彼は短期間に信者を獲得したが、同時に彼のイスラーム解説書は日本の他のオリエンタリストのそれと比較して異彩を放っている。それは結果的にイスラーム法学の法判断(フトワ)によって日本の実情に合うイスラームを人々に伝えたからだ。彼は日本のイスラーム法学の先駆として位置づけられる。
著者
丸山 敏秋
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.p139-159, 1981-09
著者
大久保 教宏
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.72, no.3, pp.467-490, 1998-12
著者
山田 政信
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.3, pp.785-806, 2004-12-30 (Released:2017-07-14)

ブラジルではプロテスタンティズムが盛んだが、これはペンテコスタリズムの伸展に他ならない。この動向を探ることは伝統的にカトリックの国であったとされるブラジルの宗教変容を理解するうえで重要だといえる。ユニバーサル教会(Igreja Universal do Reino de Deus)は、一九七七年にリオデジャネイロで創始され、わずかの年限でブラジルのペンテコスタリズムで第三番目の大教団に急成長した。現在では、ラテンアメリカのみならず、多くの国で活動するようになっている。同教団の特徴は、繁栄の神学と悪魔祓いにあり、ネオペンテコスタリズムと呼ばれて従来のペンテコスタリズム教団と区別される。本稿では、同教団の発展要因にかんして、新自由主義経済とマチズム、宣教方法と教え、ブラジルの宗教文化という三つの側面について考察した。そして、宗教教団のグローバル化という現象についてグローカリゼーションの視点で論じるとともに、ネオペンテコスタリズムの可能性と限界を探った。
著者
虫賀 幹華
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.95, no.1, pp.49-73, 2021

<p>北インドのヒンドゥーの聖地ガヤーで行われる祖霊祭では、「男性・女性たちのための十六」という死者の救済のためのマントラが唱えられる。本論文は『ガヤーマーハートミヤ』(十―十一世紀頃)に掲載される同マントラを和訳した上で、これを池上良正が論じるところの「無主/無遮」の両側面を含む無縁供養であるとみて分析するものである。同マントラで供養の対象となるのは、「まつり手がいない(無主)」ことあるいは異常死を理由として葬儀が執行されないことによる苦しむ死者、生前の悪行が原因で生まれ変わり先で苦しむ死者、親族を超えた非常に広範囲の祭主の「縁者」たる死者である。異常死者や転生先で苦しむ死者と祭主との関係性の不問、輪廻思想による時空を超える対象の広がり、言葉を尽くした祭主との関係性の描写といった、このマントラなりの「一切衆生への平等な(無遮)」供養のあり方にも注目する。</p>
著者
鈴木 正崇
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.92, no.2, pp.131-157, 2018

<p>修験道は、江戸時代には民衆の中に神仏混淆の形態で深く定着していたが、新政府による慶應四年(明治元年)のいわゆる神仏判然令以後、急速に崩壊へと向かった。神仏判然令で最も甚大な影響を被ったのは権現に社僧や別当として奉仕してきた修験道であり、その解体は神道国教化を進める新政府から見て必然であった。修験は政府の指令に基づき、寺院として存続する、復飾(還俗)して神主になる、帰農するなどの選択を迫られた。そして、明治五年に出された修験宗廃止令によって天台宗か真言宗への帰属を迫られて事実上、解体された。本稿は明治維新に大変動を被った修験道に関して、神仏判然令の及ぼした影響を修験道の本山と在地修験の双方から広く考察する。在地修験では東北の法印様の歴史的変化を考察し、本山では羽黒、吉野、英彦山の事例を中心に、神と仏の分離の展開を比較検討する。最後に学術用語として神仏習合と神仏分離の概念について再検討する。</p>