著者
佐藤 弘夫
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.211-234, 2007-09-30 (Released:2017-07-14)

今日神仏習合研究が行き詰まっている一つの原因は、「神仏習合」という視座を規定している歴史的な被拘束性に対する無自覚であり、その方法そのものが孕む問題性にあると考えられる。神-仏という二分法を前提とし、両者の習合と離反の距離を測定しようとする従来の神仏習合研究は、日本列島の宗教世界の主人公として超歴史的な実体である「神」と「仏」を想定するが、それはまったくのフィクションであり、「神」「仏」それぞれの概念も両者の区分も時代によって大きな揺らぎがある。そうした問題点を自覚した上で、今後「神仏習合」という研究のあり方を抜本的に再検討していく必要がある。そのための具体的な道筋としては、狭義の「神」「仏」が各時代の宗教世界全体に占める客観的位置を確定することが不可欠であり、その前提として「神」「仏」に留まらない雑多なカミの混在する日本列島の宗教世界を、ありのままの姿においてトータルに把握するための新たな方法の追求がなされなければならない。
著者
市川 裕
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.91, no.2, pp.27-51, 2017-09-30 (Released:2017-12-30)

ユダヤ人は近代西欧の市民権取得時において、既にブルジョア的経済倫理を身に着けた成熟した経済共同体を形成した。マルクスはこのことを平日のユダヤ人の経済観念として理論化した。では、この平日のユダヤ教の経済観念とはどのように形成されたのか。本論は、ラビ・ユダヤ教の啓示法が、時間的聖性を厳守し聖と俗を厳格に分離する宗教共同体を形成していたことが彼らの経済観念をもたらした原因と捉え、ユダヤ教の行為規範であるハラハーがユダヤ人の日常の商業活動に与えた意味を明らかにした。聖書では、利子取得は、弱者に対する強者の不法行為とされたが、ミシュナでは商取引の不正行為の一つと理解された。中世以降ではマイモニデスが無利子の金銭貸与は貧者に対する喜捨より優れた行為とみなし、シュルハン・アルーフでは、ついに同胞でも商行為での金銭貸与は危険負担を伴うがゆえに利子取得は許されるという合理的解釈に至る。これによって二重道徳は解消されたのである。
著者
本多 彩
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.90, no.2, pp.157-182, 2016 (Released:2017-09-15)

日本人移民の仏教徒、日系アメリカ人仏教徒によるアメリカ本土の仏教会を舞台とした、一世紀以上にわたる食の提供と継承と広がりを論じる。浄土真宗は食の厳格な戒律を持たないが初期真宗の史料には精進料理の記述がある。アメリカの浄土真宗では開教当初から食が登場しており食に関わる女性仏教徒や青年仏教徒の活動があった。宗教儀礼後や仏教会活動や移民社会に提供される食、個人のために作られた食があった。人が結びつくところで食の役割は重要である。定期的に開催される仏教会のバザーの中心は食であり仏教会を財政面から支援してきた。バザーでは日系社会や地域社会に対して食が提供され食が地域密着型アメリカ仏教の展開にも一役買っている。さらに仏教会における日系アメリカ人仏教徒の料理は口頭でそして明文化されて継承されてきた。仏教会では、様々な食事が場や食べる人のことを考えて調理、提供され続け、個人や社会をつなぐ力となっている。
著者
八木 久美子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.541-564, 2004-09-30 (Released:2017-07-14)

イスラムと西洋近代という二分法が浸透するなかで、近代におけるイスラムはイスラム教徒のアイデンティティの要となりながら、それと同時に西洋近代の価値に支配された世界の歪みを正す宗教として、人類全体に向けた普遍的な役割を期待されてもいる。本論では、アラブ・イスラム世界の作家に焦点をあて、彼らが作品のなかで、「アメリカ」に代表される他者の価値に挑戦するものとしてイスラムをどのように描いたかを追う。彼らには現実のアメリカを描こうという意図はなく、宗教不在の社会の記号として「アメリカ」を否定し、公的な宗教の存在を必要不可欠と訴える。そして、そのような役割を果たすことができる宗教の典型としてイスラムを捉える。ただしその際、彼らの言うイスラムとは、宗教者によって支配される体系ではなく、信仰に基づいて生きる普通の人々がともに生きる人々とのつながりのなかで感じとり、蓄積してきた生活規範や倫理観であり、そうしたイスラムこそが、近代の普遍的な要請に応えられるとされている点が重要である。
著者
釈 悟震
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.523-546, 2008

スリランカ仏教は、アショーカ王の時代以来の長い歴史を有する。しかし、この長い同国の仏教の歴史は、決して平坦ではなかった。一六世紀以降のヨーロッパ人によるスリランカ支配は、必然的にキリスト教の布教、とりもなおさず仏教への圧迫さらに弾圧となって現われた。特にイギリスの植民地支配時代、スリランカの仏教は、存亡の危機に直面した。その時、仏教僧侶と二人のキリスト教の牧師との間に、激しい教理論争が繰り広げられた。その結果は仏教が勝利したとされるが、このことがスリランカ仏教復興の原動力となった。特に、仏教の近代化やその復興に功績の大きかったオールコット大佐が、仏教の支援者となったのもこの討論の結果である。そして、彼らの仏教復興運動は、全世界に波及しインドや日本の復興や近代化にも影響を与えた。一九世紀のスリランカの田舎で行われた仏教とキリスト教の討論は、仏教の近代にとって看過できない大きな意味を有するものであった。しかし、この討論についての学術的研究は、殆どなされていない。本稿では、この忘れ去られた仏教の近代化の出発点ともなった討論とその意義について検討する。
著者
藤本 頼生
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.505-528, 2011-09-30 (Released:2017-07-14)

本稿では、戦後の神社本庁発足以降の神職資格の付与と神職の養成、研修について、その歴史的変遷をみてゆくなかで、宗教教育の担い手としての神職とその教育のあり方について課題と現状を窺うものである。戦前から戦後の未曾有の変革の中で神社本庁が設立され、任用されている神職に対して神職資格が付与されるが、その経緯をみていくと、神職資格である階位については、戦前期に既に任用されている神職の資格切替えがなされるとともに、戦前の神職高等試験を範にした試験検定を前提にした上で、神社・神道の専門科目の増加がなされていることが明らかとなった。神職教育の上では、資格取得のための科目が養成機関や研修でも大きな意味をなすため、取得する階位の意義とともに今後議論がなされていくべきものであり、後継者問題や神職のあり方も含め、研修制度の見直しとともに検討していく必要があるものと考える。
著者
東 賢太朗
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.573-594, 2006

本稿は、フィリピン・カピス州最大のカリスマ刷新運動Divine Mercyの事例から、宗教経験についての客観的評価と主観的リアリティの並存状況について考察する。Divine Mercyで行われる「癒し」の活動は、神への敬虔な祈りによって病が治癒するというものである。カトリック教義に則った「癒し」に対して、呪医による民間治療行為は誤ったものとされる。「憑依による啓示」の活動では、イエスやマリアなどの霊的存在がミディウムに憑依し、Divine Mercyや各メンバーに対しての啓示を行う。その活動はカトリック教会から否認されているが、メンバーはその奇跡を敬虔さへの報いであると説明する。自らの敬虔さを確保するため、あるときは呪医を非難することで自らの教義的な正統性を主張し、またあるときは教会から否認された異端性を引き受ける。そのような、正統であっても敬虔、異端であっても敬虔という状況に注目することから、単なる教義への追随ではない、絶え間なき主客認識の交渉過程が明らかになる。
著者
趙 景達
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.4, pp.889-909, 2011-03-30 (Released:2017-07-14)

植民地朝鮮において、天道教(新派)は大きな役割を果たした。文化運動や啓蒙運動を積極的に行い、民族運動の主役も占めたといえる。しかし、その運動は終始協力的であった。そして、朝鮮の植民地化は他者=日本の問題ではなく、朝鮮人の民族性に問題があるとして、民族改造を唱えた。天道教の民族主義は端的にいって文化的民族主義と評価することができる。こうした天道教は文化と啓蒙に執着するがゆえに、勢い民衆の主体化をおろそかにした。そこで、一九二〇年代の終わり頃に民衆向けの通俗的な教理書である『天道教理読本』の刊行が意図された。しかし、総督府から大幅な検閲削除を受け、その刊行はならなかった。以降、天道教はますます穏健化し、戦争協力の道を進んでいくことになる。
著者
黒田 景子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.94, no.2, pp.109-135, 2020

<p>マレー半島中部のパタニとクダーは一三~一五世紀頃にマレー半島でもっとも早くイスラーム王権が誕生したと言われる。交易都市としての繁栄は一七世紀を頂点とし、以後は辺境地に凋落する。その代わりパタニは一九世紀の末から東南アジアのイスラーム学習の拠点となった。パタニ出身のイスラーム学者シェイク・ダウドがメッカに留学して、パタニ・マレー語によるイスラームの翻訳書を多数著し、それが弟子によって持ち帰られ伝統的学習塾であるポンドックで教科書となっている。</p><p>ポンドックは現在のタイ=マレーシア国境地域にあたるパタニ、クランタン、クダーに広がっており、その影響は現在の国境の枠で考えるべきではない。ポンドックはメッカ留学のための予備教育の場として機能し「メッカのベランダ」と呼ばれる。ポンドックとメッカ間の知的ネットワークは一九世紀後半から二〇世紀前半にかけて活発になり、一般ムスリムのイスラーム実践をもより深化させた。</p>
著者
澤田 愛子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.355-380, 2006

本論文はナチ時代の医師の犯罪に焦点を当て、その動機や心理状態を分析した上で、今後への提言を試みたものである。ナチ政権が犯した主要な犯罪には、「安楽死」の名を借りた障害者の抹殺(T4作戦)とヨーロッパユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)とがある。T4作戦は「アーリア人」の血統の純化が、一方、ホロコーストは極端な人種主義が背景思想となって生じた。この各々にナチの医師達は深く関与した。即ち、抹殺対象者を選別するのみならず、殺害にも直接関与し、非道な医学実験も実施した。彼らの動機は何よりも血統の純化や人種の衛生などを主張するナチズムに深く共鳴したことで、彼らは殺人自体を医学的メタファーを用いて正当化した。しかし殺害の実施においては、「ダブリング」や「サイキック・ナミング」等の心理的装置も働いていた。彼らは狂気の思想に取りつかれていたが、気が狂っていたわけではない。全体主義社会の狂気が医師達から理性を奪ってしまった。同じ過ちが繰り返されないためにも、生命倫理教育はまず、歴史のこの最暗黒の部分を直視することから始めなければならない。