著者
高橋 理喜男
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.2-8, 1975-03-20
被引用文献数
2 5

本邦における公園の発祥の原点となった明治6年の太政官布達によると,公園設置の要件として2つ挙げている。1つは地盤が官有地であること,もう1つは「群集遊観ノ場所」であること,この2つである。前者についていえば,すでに封建的土地所有形態の解体によって,社寺境内地や名勝地や城地を公園の候補地として具申することはきわめて容易であったとみてよい。一方,後者についても,江戸時代以来,庶民的戸外レクリェーション地のゆたかな蓄積が,とくに城下町を中心とする都市型にみられた。したがって,この布達は以上のような社会的歴史的趨勢をふまえたものであることは否定できない。しかし内外ともに多難な局面に立たされていた新政府の側に,こと民衆のレクリェーションにまで思いをめぐらすほどの政治的ゆとりがあったとは到底考えられない。とすれば,布達の背後に,何らかの形で,外国の強い影響の介在を認めざるを得ないと思う。ここに分達の本質を見出すことができる。すなわち,公園という新しい西欧的概念と,伝統的レクリェーション遺産という古い実在との癒着,これが布達の本質的性格であると規定することができる。ところで,外国の影響がどのような経路でこの布達に関与したかは判っていない。通説として,ボードウィンの建白説と,居留地外人の公園要求論があるが,いずれも具体性に乏しく,またいくつかの弱点も指摘できる。したがって,その実証に関しては今後の究明に残された課題である。太政官布達の反響は,当時の混沌とした社会情勢にもかかわらず,意外に早く全国的にあらわれた。西南の役が終結した明治10年までの僅か5年間の間に,開設公園数67ヵ所に達し,そのあとの10年間における開設数を遥かに上回る結果を示した。しかしながら,布達は「群集遊観ノ場所」としている以外に選定の規準を示していなかったため,さまざまの公園が輩出した。それらは立地条件によって,日常生活圏内にある真正の都市公園的タイプと,その圏外に出る郊外公園的タイプに分けることができる。前者は金沢兼六公園などに典型的にみられる如く,庶民の利用度も高く,公園の整備にもそれ相応の努力がみられた。それに反して,交通の便も悪い郊外公園的タイプとなると,人の足も遠く,ただ名称のみにとどまる公園も少なくなかったようである。これらの公園が脚光を浴びるようになるのは,都市化の進展が活発になる明治後期頃からである。このように,実体の伴わない公園が多数出現したのは,布達の本質とする「資源依存性(Resource-based)」に根ざしており,都市公園本来の「利用者指向性(User-oriented)」を明確に打ち出さなかったことによる。そこに太政官布達の歴史的限界があったと思う。それが永年にわたって,わが国の都市公園の在り方を規定しつづけてきたのである。
著者
小野 健吉
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.49, no.5, pp.49-54, 1986-03-31
被引用文献数
1

明冶中期〜昭和初期にかけて京都を中心に多岐にわたる分野で活躍した日本画家・神坂雪佳は、庭園にも関心を示し、設計にかかわった大橋氏松ヶ崎別邸(無盡庵)庭園では雪佳らしい特色も出した庭園意匠を見せている。この時期、雪佳のほかに竹内栖鳳、橋本関雪らの画家も庭園に関心を持ち、自邸の庭園を作っている。そしてこれらの画家の庭園への関心が、この時期の京都の庭園の水準を引き上げる要因の一つであった。
著者
大窪 久美子 前中 久行
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.55, no.5, pp.193-198, 1992-03-31
被引用文献数
2 4

野生草花の保全を目的とする半自然草地の管理を検討するため,クマイザサSosa senanensisの優占程度が異なる二つの群落において,時期を変えた刈取り実験を行った。刈取り区には6,7,8,9月刈り,無処理区を設け,二年続けて同じ処理を行った。その間,無言期に毎月一回追跡調査を行い,群落の動態を解析した。また,地域周辺でみられる主な植物について,フエノロジー調査を行った。マツムシソウ等の草本植物を庇陰してしまうクマイザサは,8,9月刈で再生を著しく抑制された。一方,野生草花の開花期は7月下旬から8月下旬に集中していた。刈取りの競合植物への影響が最大になる時期と野生草花への影響が最小になる時期とで刈取りの適期を議論した。
著者
柳 五郎
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.55, no.5, pp.61-66, 1992-03-31
被引用文献数
2 2

明治初期における公園の特徴は,公園地の主たる撰定基盤が官有地に置かれていた。その為に官林地化された社寺境内地及び城跡地にも公園の基盤が求められたのである。しかし,官林地の取扱が内務省地理局から農商務省山林局に委ねられると,森林法の適用外とされた官林地公園の性格は,森林法で規定する保安林の中に潜在的な基盤を見出すようになる。そして,官林地公園は,公園の公益性から保安林の解除を求めざるを得ない状況となり,保安林との関係が森林法の改正につながって行く中で新たな段階を迎えた。この結果,大正期における官林地公園は,一時的な保存林的性格から森林法が適用される永続的な公園制度の実現に至ったものである。
著者
木村 三郎
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.48, no.5, pp.79-84, 1985-03-30

摘要 筆者は昨年本學會誌第47巻第4号に「作庭記新考」と題してその特有の語句を幾つか摘出してその成立時代の推定を行った。そこでよく知られる『山水〓野形図』についても同じ方法を重視するとともに更に『作庭記』の一般論に対し,『野形図』の専ら配石排植論に終始したその補完的な後〓本としての評価を行ってみた。同時に天地人(三才)用語の使用から同時代の諸芸能における同種の用法の動向と対比してその成立時代性をも追究しその時代を14世紀後半乃至15世紀前半と推定したのである。
著者
白井 彦衛
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.30-35, 1980-08-25

このたび,『都市の緑地保全思潮に関する研究』により,1980年度の日本造園学会賞を授与され,また所見を述べる機会を与えられたので,ここに,筆者の研究の経過と論文の要旨をしめし,先達の叱咤を受けるとともに,後続の若人に何等かの刺激を与えることができれば幸いに思う。なお論文の前半はすでに造園雑誌に発表した。