著者
藤田 経世
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.五九-六三, 1976-03-15
著者
岩本 憲司
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.61-113, 1990-03-20

本稿は、何休『春秋公羊經傳解詁』の日本語譯である。譯出作業はかなり進んでいるが、紙面の都合で、今囘はとりあえず、隠公の部分〔全體の約十二分の一〕を掲載する。以後、數年にわたって連載する豫定である。なお、本稿は、一九八九年度跡見學園特別研究助成費による研究成果の一部である。
著者
石田 信一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.1-12, 2002-03-15

オーストリア支配下のダルマチア地方は一八六〇年代に「民族再生」と呼ばれるナショナリズムの時代を迎え、それまで明確な国民意識を持たず、しばしばコスモポリタン的態度を示していた住民の間でも、さまざまなタイプの国民形成の試みが見られるようになった。クロアチアおよびセルビアという「本国」の影響を受けつつ、同じスラヴ系住民の分化、すなわちカトリック教徒の「クロアチア人」化と正教徒の「セルビア人」化がほぼ同時に進行した。本稿では、このような時期に勃発したボスニア=ヘルツェゴヴィナ蜂起 (一八七五〜一八七八年) を取り上げ、同時代の新聞・雑誌記事および政治的指導層の書簡集等の分析を通じて、この事件がダルマチアにおける国民形成過程に及ぼした影響について再検討した。ボスニア=ヘルツェゴヴィナ蜂起はオスマン帝国からの解放を目標とするものであったが、もとより多民族・多宗教が混在する同地の帰属問題をめぐっては、クロアチアとセルビアが自国への併合を求めて争っていた。それまでクロアチアやセルビアほどに住民の国民的帰属意識が明確でなく、共通の「民族派」を組織していたダルマチアのスラヴ系住民も、「本国」のプロパガンダやメディアを通じた論争によって、クロアチア志向の人々とセルビア志向の人々に二分されるようになった。そして、蜂起終結後にセルビアへの併合を支持する正教徒指導者が「民族派」を正式に離脱して「セルビア民族党」を結成したことにより、両者の政治的分裂は決定的なものとなった。それと同時に、ダルマチアのスラヴ系住民は「クロアチア国民」あるいは「セルビア国民」という二つの異なる国民理念の下で、国民形成の新段階に入ったと考えられるのである。
著者
村越 行雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.A1-A41, 1999-03-15

日常的な言語コミュニケーションに広く, しかも深く浸透している比喩的表現は, 言語表現の可能性を考える上で, なくてはならない重要な要素として存在している。その重要性を明らかにする意味で, 本稿では, 比喩の内, とくに隠喩, 換喩, 提喩の三つに焦点を合わせて検討することにする。具体的には, 「1. はじめに」のあとの「2. 言語表現全般の中での隠喩・換喩・提喩の位置付け」では, 「2-1. 字義性と比喩性」として, 転義説, 逸脱説などを調べ, 「2-2. 言われることと含意されること」として, 実際に口に出して言われる部分, それに実際には言葉によって表面に出ない部分に区別した場合, 隠喩, 換喩, 提喩のそれぞれがどちらに属するのかを調べ, 「3. 隠喩・換喩・提喩の存在意義」では, 「3-1. 隠喩の存在意義」と「3-2. 換喩と提喩の存在意義」として, 具体例を挙げながら, 隠喩, 換喩, 提喩のそれぞれの特徴を調べ, 言語表現全般に共通して言える的確さと効率性に基づく表現の経済性が, 比喩にも当てはまることをごく簡単に示し, 「4. 最後に」で終えるという検討順序である。なお, 本稿における狙いは, 説得性, 美的装飾性などの問題としてではなく, 比喩を表現の経済性の問題として捉えていくことである。ただし, 表現の経済性の問題をそれ自体として本格的に検討するのではなく, それへの橋渡し的な検討を行なうことで終えることにする。
著者
横田 恭三
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.83-95, 2000-03-15

一九八一年に發掘された龜山漢墓は、前漢時代の第六代楚の襄王劉注夫妻の墓である。この合葬墓の甬道に隙間なく置かれていた塞石には、朱書文字や配置番號が刻されていたが、これ以外にも先王の遺訓かと見られる長文の刻銘が殘されていた。顧風氏はこれを盗掘防止のための刻銘であると推論した。文字は馬王堆帛書などに共通する書風であり、當時の通行書體といえる。この塞石刻銘の解釋と書風について考察し、あわせて前漢時代における石刻文字の概要をまとめた。
著者
柴田 光彦
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.37-62, 2001-03-15

滝沢馬琴は寛政十年 (一七九八) に累代の墓を修復建立のために自筆の『滝沢氏墓誌』を記し、その墓の図まで書き残している。また後年著した家譜『吾仏之記』にも墓地改葬の記事があり、これは影印・翻刻共にあって、既に世に知られているものである。ここでは前者を新たに翻刻紹介し、後者の記事を合わせ参照して、東京文京区の茗荷谷の菩提寺、深光寺の墓地に現存する滝沢家の墓碑群の銘文について考察を試みた。