著者
岩本 憲司
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.129-139, 1983-03-15

『史記』太史公自序の一節は、津田左右吉によって、「前漢末に擬作補入せられたものではないか」と疑われている。ところで今『春秋繁露』兪序篇の一節をみると、問題の太史公自序の一節と、内容が極めてよく似ていて、両者の同時代性というものが考えられる。とすれば、兪序篇の一節の晩出性の立証と、太史公自序の一節の晩出性の立証とは、お互いに他を補完し合うという関係にあると言える。そこで、本稿では、まず「素王説」「五始説」というものに関連して、兪序篇の一節の方の晩出性を立証し、つづいて「"空言" と "行事"」というものに関連して、兪序篇の一節と太史公自序の一節との両者の晩出性を同時に立証する。そして、これらの立証と、さきの津田説とを考え合わせ、更に両者間の相互補完性というものを考慮すれば、『春秋繁露』兪序篇の一節は董仲舒のものではなく、また『史記』太史公自序の一節は司馬遷のものではなく、実は、両者はともに前漢末のものであるということが確定的となるのである。
著者
植田 恭代
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.73-93, 2002-03-15

『源氏物語』には多くの催馬楽がとりこまれることについては、すでに諸先学の指摘があり、論者じしんもかつて検討を試みたことがある。なかでも第三部の物語では催馬楽が巻名にもなっており、とりわけ浮舟の物語との関わりは深い。ここでは、この浮舟の物語と催馬楽「道の口」をとりあげて考察を試みる。『源氏物語』で、明らかに「道の口」がみられる部分は浮舟巻にあり、手習巻にもそうではないかと指摘されてきた部分がある。それらの叙述をいま一度たどり、検討し直してみれば、やはり、両巻の当該場面は催馬楽の詞章をふまえた描写であると確認される。歌謡としての「道の口」の詞章を、時代背景をも視野に入れつつたどりみるならば、それは遊女を謡ったものであると考えられる。その遊女性が浮舟の物語に掬いあげられているのではないか。浮舟の造型には遊女性が付与され、場面にもそれが及んでいるのではないかという試案を提示するのが、本稿の目的である。
著者
木下 高徳
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.A15-A32, 1996-03-15

文学作品の理想を氷山に譬え、海面上に浮上する八分の一だけを描いて他の八分の七は海面下 (行間) に沈めてしまうというように、究極まで言葉を削り、作品を磨いたヘミングウェイは、シンボリズムの手法にハードボイルドのスタイルを乗じた方法でこれを可能にした。The End of Something においては、たとえば、パーチ (小さな虹) を餌にして虹マス (大きな虹) を釣るという場面設定をしているが、これは主人公の男女が共に小さな希望を犠牲にして大きな希望を手に入れようとしている過程を描いていることになる。こういう視点で、この作品を裁断すると、これは、若い主人公であるニックが、<自分の人生を生きる価値あらしめるもの> との期待をもってマージョリーとの恋にすべてを賭けて打ち込んだのだが、恋は理想的な形で進展したにもかかわらず、いくつかの要因で醒めてしまい、恋が期待したものではないと覚って、絶望に陥る、という体験を描いている作品だということになる。
著者
高田 美一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.99-128, 1983-03-15

明治十五年五月十四日、龍池会主催、上野公園、教育博物館、観書室におけるフェノロサ講演『美術真説』は明治文化史の展開に重要な影響をおよぼした。しかし、原英文遺稿を欠き、大森惟中の筆記としてのみ残存し、奇妙な片仮名まじりの簡潔・生硬な漢文調の文語体のため、フェノロサの真意を理解することが困難である。筆者はフェノロサが意図した深遠な「構造美学」はこれまで理解されていないと考える。「初編」、「本稿」における筆者の主題は『美術真説』を構造的に英文で再構成し、深遠ですばらしいフェノロサ芸術論を紹介するのが目的である。「初稿」とは、日本フェノロサ学会機関誌『ロウタス』第三号に寄稿した同名表題の拙論である。
著者
柴田 光彦
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.39-56, 1999-03-15

近世の墓碑銘において、文集掲載の碑銘と実際の墓の碑銘とは多くの場合、若干の異同があるのが普通であるが、しかし一般には、気づかぬままに文集と墓のそれとを同一のものとされている場合が多い。本稿では異同の多い例として「伊能忠敬」、実地検分してもなお間違えやすい程に異同の少ない例として「澁江抽齋」を例に取りあげて検証を試みた。
著者
山田 徹雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
no.21, pp.p1-10, 1988-03

「経済的必然性」をもたない国有化とエンゲルスによって規定が与えられた「ビスマルク的国有」なる概念は, ドイツ資本主義或いは日本資本主義の研究に, 重要な視角を与えてきたが, 逆に, その概念への固執によって「ビスマルクによる鉄道の国有」を多面的かつ, 広く全ドイツ的にみる視野が失われてきた。本稿においては, 「ドイツ帝国」と「プロイセン邦」という複眼を持って, この問題にアプローチする。
著者
川平 ひとし
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
no.33, pp.43-57, 2000-03

鎌倉末期を目処として成立したと考えられる歌論書 (あるいは歌学書) である『和歌淵底秘抄』(「和歌淵底抄」とも) の、奥書中に見える「定家卿懐中書相傳次第」という語句、ことに「定家卿懐中書」という名辞に着目する。当該の書は藤原定家その人の著作とは認められない。しかし、右の名辞が伝えているのは、同書は定家に関わる書に他ならないことを示唆しさらに当の書を授受・継承してきたという事実を証示しようとする主体の意志の現れである。本稿では、この名辞に含まれている意味と意義を解きほぐすことによって、テキストを制作し、さらに制作された当のテキストを受容し取り扱う中世の人々の<テキスト意識>や、定家に仮託されたテキストの生成と展開の問題との結びつきを検討する。そこから仮託書類のテキストに働く力としての<テキスト幻想>を抽出して、その再措定と命題化を試みる。定家仮託書を追究するための一観点を設定してみたい。