著者
嘉門 良亮
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.63-78, 2016-03-25 (Released:2016-04-25)
参考文献数
40

今日、総合型地域スポーツクラブ関連のものを筆頭にスポーツ振興政策は地域で支えるものという位置づけがなされ、地域での量的拡大を既に終えた。総合型クラブがスポーツを通じて「新しい公共」を担い、コミュニティの核となるということが標榜され、推奨されてきた。しかし、スポーツ振興政策はスポーツ組織と地域の生活課題、社会構造・生活構造の関係を考察してこなかった。なぜならスポーツの「界」は地域の生活課題の解決をあくまでスポーツ振興の手段や必要条件としかみなして来なかったからである。 こうした問題意識を基に本稿は、少子高齢化と人口減少による縮小化に対応を迫られる企業城下町である茨城県日立市の滑川地区を事例に、総合型地域スポーツクラブと地域コミュニティ組織の関係から地域における生活課題とその対応を明らかにした。その上で、地域の実情に合わせて総合型クラブを改変することの意味を論じた。 本稿の事例から明らかになったのは、上からのスポーツ振興政策に対し、地域住民が戦略的に読み替えを行い、総合型クラブを自らの生活課題に対応するための実務的な組織として運営していく取り組みであった。すなわち、既存の小学校区での地域コミュニティ活動の流れを汲みつつ、高齢者の生活問題などの課題に対応していく総合型クラブの姿であった。総合型クラブと住民組織の間には大きな性質の差異が認められつつも、その協力関係は、スポーツ振興と地域自治を繋ぐ一つの方策として機能していた。 また、スポーツ振興を前提として地域に押し付けるのではなく、地域社会の文脈を継続的に読み取る必要性が明らかになった。
著者
水出 幸輝
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.79-92, 2016

本稿では、2020 年オリンピック・パラリンピックの東京開催決定を伝えたテレビ報道の検討を試みる。第一に、東京開催決定報道においてテレビが描いた社会的現実の偏りを同時期の世論調査と比較することで明らかにし、第二に、その偏りをE. Said の「オリエンタリズム」以来議論されるようになった「他者化」の概念を用いて考察した。 招致委員会による「被災地・福島」の他者化を指摘し、他者化ではなく、包摂の必要性を指摘するメディア関係者も存在していた。しかし、本稿ではテレビ報道において他者化された存在として、日本国外は中国・韓国を、日本国内は「被災地・福島」を挙げる。両者は東京開催決定に否定的な態度を示すことで他者化されていた。他者である「かれら」に対置される存在の「われわれ」は、送り手が設定した「われわれ」日本人であるが、「われわれ」には東京開催決定を喜ぶ者として、日本にとっての外国が含まれる場合もあった。 招致成功の喜びを表現する「われわれ」と、それに対置する存在で否定的な見解を示す「かれら」(「被災地・福島」)という構図によって、「かれら」は"当然東京開催決定に否定的である"というステレオタイプが醸成される可能性がある。それは、一方で、「われわれ」に位置づけられた東京の人々の中に存在していた否定的な見解を、"当然東京招致成功に肯定的である"というステレオタイプによって覆い隠してしまってもいる。東京開催決定報道で採用された、喜びを表現する「われわれ」―喜びを表現できない「かれら」という構図は、東京の人々の中に存在する否定的な意見、すなわち、東京開催の当事者である人々が抱える問題を不可視化してしまうものであった。
著者
小林 勉
出版者
日本スポーツ社会学会 ; 1993-
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.84-87, 2015
著者
石井 昌幸
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.31-50, 2013

「スポーツマンシップ」という言葉は、ながいあいだスポーツの社会的・教育的価値を示す際に重要な意味を持ってきた。この言葉の近代的語義の成立について従来の研究は、パブリックスクールにおける競技スポーツ熱の高揚により、それまで「狩猟の技量」のような意味であったスポーツマンシップに「競技の倫理」という意味内容が加わり、それが競技の普及とともに一般化したと理解してきた。本研究は、19世紀の新聞・雑誌を大量に収録したデータベースを使用して、スポーツマンシップの語の使用頻度と意味内容を分析することで、そのような従来の理解を再検討したものである。<br> その結果、次のようなことが分かった。この言葉は、1870年代半ば頃から競技スポーツに関して使用される例がいくつか見られるものの、80年代なかばまで依然として狩猟や銃猟に関するものが大多数であり、その意味はなお多様であった。すなわち、19世紀を通じて「スポーツマンであること」を漠然と指す用語であり、それがもちいられる文脈のなかで、「技量・能力」、「資格・身分」、「倫理・規範」などを意味する多義的で曖昧な言葉のままであり続けた。<br> 倫理的ニュアンスがコンスタントに見られるようになるのは1880年代半ばからであるが、その際にそれは、スポーツマンシップの「欠如」を批判する文脈のなかで多く見られた。欠如を指摘されたのは、大部分が労働者階級や外国人・植民地人であった。同じ時代に、スポーツはこれらの人びとにも急速に普及し、ジェントルマン=アマチュアは、彼らに勝てなくなってきていた。労働者階級が参政権を獲得しようとしていたこの時代、ステーツマン(為政者)であることだけでなく、スポーツマンであることも、もはやジェントルマンの特権ではなくなろうとしていた。スポーツマンシップの語義変化は、そのような社会変化を反映したものだったと考えられる。
著者
海老島 均
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.61-70,108, 2004-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
24

本論文では、アイルランドの独立運動において重要な役割を果たしたGAA (Gaelic Athletic Association) が様々な揺らぎを経験しつつも、最終的にナショナリズムの波に合流していく過程を、グラスルーツ・レベルのメンバーのメンタリティに焦点を当てて検証した。GAAの各クラブは、アイルランドの近代史を語る上で重要なカトリシズム、さらにそのパリッシュ (小教区) をベースに設立された。また、土地解放運動を展開したINL (Irish National League) もGAAクラブ設立で重要な役割を演じた。カトリシズムと土地解放を中心とした自治権獲得運動、この二つのイデオロギーがGAA設立の大きなバックグラウンドであったといえる。交通網及びマスメディアが未発達の当時は、聖職者を中心とするパリッシュが人々の生存の基盤であり、また支配者階級のイギリス人地主に対抗するためパリッシュ内の凝集性は極めて高いものとなっていった。「我がパリッシュ」という「われわれ」アイデンティティとパリッシュ住民の自己アイデンティティはほぼ同一であり、いわば極めて単層化に近い構成のメンタリティがそこには存在した。このメンタリティが、さまざまな外界との接点を通して「われわれ=われバランス」に変化を来した。GAA等の活動を通したパリッシュ間、カウンティ間の交流、さらにパリッシュあるいはカウンティを横断したナショナリスト団体との繋がりによって、彼らのメンタリティの中に存在していたナショナリストとしての「層」が強固なものとなった。特にGAAの理念の中心となっていったBan (外国ゲーム禁止令等の制限ルール) により、イギリスの文化的侵略に対する認識が高まった。このことで「われわれ=Irishness」のアイデンティティが先鋭化し、占領者、占領文化に対する強固な抵抗へと具現化していった。分析の資料としてはGAAクラブ史に焦点を当て、今まであまり分析対象とされなかったグラスルーツ・レベルでの変化を検証し、独立運動へと向かった伝統スポーツの継承者たちの社会心理を浮き彫りにした。