著者
川島 浩平
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
no.16, pp.5-20, 2008

ジョン・ホバマン著『ダーウィンズ・アスリーツ』が1997年に出版され、アメリカ合衆国の言論界で人種とスポーツをめぐる論争を引き起こしてから、はや10年が経過した。本書は、学術誌や一般誌の書評欄で取り上げられたり、テレビやラジオの番組で紹介されたりして、様々な階層の人々の注意を喚起し、少なからぬ賛同者を得た。しかし学界では、厳しい批判にもさらされた。本論では、本書の意義を考察し、批判に反論するかたちでの再評価を試みたい。第一節は、ホバマンの主張を、特にアメリカ社会で強い反響を呼んだものに焦点を絞りつつ振り返る。第二節は、本書に対する批判の内容を明らかにする。国外、そして国内のアフリカ系、非アフリカ系研究者など、学界の各方面から提起された批判のうち、ジェフリー・サモンズ、ベン・キャリントン/イアン・マクドナルド、ダグラス・ハートマンによるものを紹介する。第三節は、出版後の10年間におけるアメリカスポーツをめぐる動向のうち、人種・エスニシティ的な観点からみて注目すべきものを拾い上げて解説する。ハリー・エドワーズによる黒人スポーツの「黄金時代」が終焉を迎えるかもしれないという危機の予告、ステレオタイプを超越するかに見えるアメリカスポーツ界の動向、『プライド』、『グローリー・ロード』、『コーチ・カーター』などハリウッド映画における黒人アスリート表象、NBA (全米バスケットボール協会) による『ワン・アンド・ダン』改革などへの言及がなされる。以上の作業に基づいて、最後に本書に対する再評価を試みる。『ダーウィンズ・アスリーツ』に特徴的な因果関係を双方向的に捉える視点は、時宜にかなった、きわめて正確かつ適切なものとみるべきである。この点だけに鑑みても、本書が、人種社会アメリカにおけるスポーツの現在と未来を考察するための、確かな基盤を提供するものであることは明らかである。
著者
田中 東子
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.51-61, 2016

<p> 本論では、フェミニズムの理論とスポーツ文化はどのように関わり合っているのか、今日の女性アスリートの表象はどのような意味を示しているのか、1990年代に登場した第三波フェミニズムの諸理論を参照しながら考察している。まず、アメリカにおける女性スポーツ環境の変化に注目し、そのような変化を導いたのがフェミニズム運動の成果であったことを説明する。ところが、スポーツ文化への女性の参画が進むにつれて、徐々に女性アスリートやスポーツをする若い女性のイメージは、商品の購買を促すコマーシャルの「優れた」アイコンに成り下がってしまった。そこで、女性アスリートやスポーツをする若い女性が登場する広告を事例に、女性たちが現在ではコマーシャリズムと商品化の餌食となり、美と健康と消費への欲望を喚起させられていること、そして、今日の女性とスポーツ文化との関係が複雑なものになったことを示す。最後に、複雑な関係になったとはいえ、スポーツ文化は今日においても「密やかなフェミニズム(Stealth feminism)」の現れる重要な現場であるということを、ストリート・スポーツの例を紹介しながら説明する。</p>
著者
小笠原 博毅
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.35-50, 2016

<p> イギリスのカルチュラル・スタディーズはどのようにサッカーというポピュラー文化に着目し、それを真剣に研究の対象やテーマにしていったのか。サッカーのカルチュラル・スタディーズがイギリスで出現してくる背景や文脈はどのようなものだったか。そして、現在のカルチュラル・スタディーズはどのようなモードでサッカーを批判的に理解しようとしているのか。本論はこのような問いに答えていきながら、過去50年に近いサッカーの現代史とカルチュラル・スタディーズの関係を系譜的に振り返り、その概観を示すことで、これからサッカーのカルチュラル・スタディーズに取り組もうとする人たちにとって、サッカーとカルチュラル・スタディーズとの基礎的な相関図を提供する。<br> その余暇としての歴史はさておき、現代サッカーの社会学的研究は、サッカーのプレーそのものではなくサッカーに関わる群衆の社会学として、「逸脱」と「モラル・パニック」をテーマに始まった。 地域に密着した男性労働者階級の文化として再発見されたサッカーは、同時に「フーリガン」言説に顕著なように犯罪学的な視座にさらされてもいた。しかし80年代に入ると、ファンダムへの着目とともにサッカーを表現文化として捉える若い研究者が目立ち始める。それはサッカーが現代的な意味でグローバル化していく過程と同時進行であり、日本のサッカーやJ リーグの創設もその文脈の内部で捉えられなければならない。<br> それは世界のサッカーの負の「常識」であり、カルチュラル・スタディーズの大きなテーマの一つでもある人種差別とも無縁ではないということである。サッカーという、するものも見るものも魅了し、ポピュラー文化的快楽の豊富な源泉であるこのジャンルは、同時に不愉快で不都合な出来事で満ちている。常に変容過程にあるサッカーを、その都度新たな語彙を紡ぎながら語るチャンネルを模索し続けることが、サッカーのカルチュラル・スタディーズに求められている。</p>
著者
高橋 豪仁
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.60-72,128, 2000-03-20 (Released:2011-05-30)
参考文献数
26
被引用文献数
1

1998年7月4日に実施したオリックス・ブルーウェーブのホームゲーム観戦者を対象としたアンケート調査によると, 被害を受けた人の9割以上が1995年の震災の年に, オリックスの優勝によって勇気づけられたと回答した。この集合的記憶の形成には, メディアの果たす役割が大きいのではないかという問題意識の下に, 1995年と1996年の神戸新聞において, オリックスの躍進・優勝と震災に関して, どのような「物語」がどのような形態で掲載されているかを, メディア・テキストが受け手によって積極的に読解されるという見方に基づいて検討した。そして, この物語が被災経験を有するひとりのオリックスファン (Kさん) の個人的経験の中でどのように受けとめられているかを明らかにした。主要な結果は以下の通りである。(1) 社説などにおいて,「被災地の試練」→「オリックスの躍進と被災地復興との重なり」→「優勝による被災地への勇気・元気」→「ありがとう」→「復興への希望」というモチーフが見出された。(2) 優勝を伝える記事において, ファンや著名人のコメントを載せる記事の構成が見られ, このことによって, 読者がオリックスの優勝に対してどのように反応すればよいかを読者に例示し, 優勝の意味づけの同意を構築することに役立つテキスト構成になっていることが推察された。(3) しかしながら, 面接調査によって, 被災経験をもつ献身的なオリックス・ファンであるKさんは, その物語と実際の生活との間にズレを感じていることが分かった。(4) メディア・テキストの受け手の側には, 自らの生活の延長線上において, テキストが積極的に読解され, 受け手の側で意味が補完・再構成される以上の能動性, すなわち, このメッセージを拒み, 跳ね返す程の能動性があることが推察された。
著者
乗松 優
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.83-94, 2010

<p> 中国が日本と米国との間の関係改善をするきっかけとした卓球世界選手権(1971年)から溯ること14年前、フィリピンと日本の間でもスポーツを中心とした交流が、外交の切り札として重視されたことがある。この文化を通した信頼回復とでも呼べる例は、ガルシア大統領と岸信介首相の間で「国際間の協力の基礎」と位置づけられるほど、大きな注目を集めた。<br> 1960年代初めまで日本は外貨不足に悩まされており、政府は莫大な外貨資金を必要とする国際競技大会に否定的だった。この方針を転換したのが、1957年に首相の座に就いた岸だった。彼は同年、東京で東洋選手権の国別対抗戦として開催された「東洋チャンピオン・カーニバル」に外務省後援を与えるだけでなく、自ら関係者を接待して政府の積極的姿勢を示した。吉田茂が結んだ不均衡な対日安全保障条約の再考をアメリカに迫り、東南アジアへ経済の足がかりをつけようとする岸政権にとって、この時期にアジア諸国間で行われた国際戦は外交戦略上、無視できない存在だった。<br> 一方で、外貨割当の優先順位において分の悪いプロスポーツは、強力な後ろ盾がなければ国際大会の開催が危ぶまれた。そのため、真鍋八千代はカーニバルが果たしうる「友好」や「親善」を言葉巧みに売り込んだ。この真鍋は後年、球史にその名を刻む天覧試合(1959年)を正力松太郎と共に運営するほど、財界の実力者だった。<br> 東洋選手権が担った政治的役割は、国際競技を日本とアジアの友好関係として演出することにあった。その理由は、戦禍を被った国々では通商再開を急ぐ日本に不信感が生まれており、政府は国益を追い求める他に、国際親善という大義名分を果たさねばならなかったからである。</p>
著者
山本 敦久
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.19-34, 2016-03-25 (Released:2017-03-24)
参考文献数
29

本論は、支配の完全な外部を想定できない諸条件のなかで、「スポーツを通じた抵抗」を見いだすための視座について論じている。そのために、まず英国の産物であるクリケットが反植民地闘争の現場になっていく過程を描いたC.L.R.ジェームズの『境界を越えて』を読み解きながら、そこで提示されたスポーツの抵抗理論を概観する。ジェームズにとってスポーツは、国境や文化ジャンルを越えて別の歴史や場所、別の文脈や記憶と繋がりなおすことによって新しい集合性が想起される契機を含むものであった。次に本論はジェームズのこうしたスポーツ論が後のバーミンガム学派に受け継がれていく回路を再発見していく。スチュアート・ホールのポピュラー文化へのまなざし、ポール・ギルロイの「黒い大西洋」、ポール・ウィリスの「象徴的創造性」といった議論を踏まえながら、現代のカルチュラル・スタディーズのスポーツ研究における抵抗理論を検証していく。そうした思考は黒人アスリートの活躍が形成したアウターナショナルな黒人ディアスポラの連帯を論じたベン・カリントンの「スポーツの黒い大西洋」として結実するが、それはスポーツを通じた国民国家の境界線を越えていく複雑な文化的・政治的空間の形成であった。だがそうした対抗的公共圏は、近代資本主義のなかにその一部として生み出されたものでもある。これらの議論をふまえ、本論は最後に、スポーツ文化が資本主義や近代社会、帝国主義といった支配の内部で、その支配的な力や回路を通じて、別の公共圏や別の集合性へと節合される契機を掴まえるための視座を提起する。
著者
小坂 美保
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
no.11, pp.62-74,151, 2003
被引用文献数
1

本研究は, 明治政府が,「国民」としての統一性を前提とした近代化を推し進めるために, その秩序が内在化できるような身体の形成装置として都市や公園を捉えていたという都市と身体の関係に関する基本的な分析視点を明らかにするとともに, その諸相の一端を序説的に展開することを目的としている。<br>特に, 明治・大正期に都市計画とともに整備された公園に焦点をあて, そこでの人びとの身体が, 次のようなことから秩序づけられていく可能性をみることができた。それは, 公園内の運動場や体操器械, 園路といった施設=モノや, 公園内の人びとの〈見る/見られる〉という視線が, 人びとの行為の限定や秩序の受け入れに有効に機能している点である。
著者
アンドリュー・ ベルナール 倉島 哲
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.25-53, 2018-09-30 (Released:2019-09-30)
参考文献数
60

サーカス・パフォーマーの運動をコントロールするのは誰なのだろうか。空中のアクロバットは、無意識のうちに全身を協調させることで、パートナーに掴んでもらうべく正確に手を伸ばすことができるが、これは周辺視野にかすかに捉えた情報だけを頼りに行われている。そのうえ、視覚それ自体も、意識的にコントロールされるのではない。アクロバットは、意思によらずに視線を導き、パートナーとの視線の相互的なコンタクトを運動中も維持しつづけることができるからである。 両眼をも含めた全身の高度な協調が意識なしに可能なのは、生ける身体(living body, corps vivant)のおかげである。前意識的かつ前運動的な生ける身体は、刻々と変化する状況にエコロジカルに適応するために必要な判断を瞬間的に下してくれる。だが、こうした判断は、脳の活性化(activation)と意識によるその知覚を隔てる450ミリ秒の遅延のために、つねに事後的にしか意識に上らない。それに加えて、主観的な身体イメージや、日常的な意識のフレームなどの要因も、生ける身体を見えにくくしている。 われわれが2013年に開始したフランス国立サーカス芸術センター(CNAC)研究プログラムは、こうした困難を乗り越えるために、身体に取り付けたGoPro カメラ・GoPro 録画を用いた自己分析(self-confrontation)インタビュー・パフォーマーを巻き込んだ哲学ワークショップの開催などを含む様々な方法を用いた。そうすることで、パフォーマーたちの生ける身体が運動のさなかに無意識のうちに生成したものの意識への浮上、つまりエメルジオン(emersion, émersion)を捉えることができた。これを踏まえ、最後にエメルジオンの学としてのエメルシオロジー(emersiology)の可能性とその社会的含意を考察したい。
著者
石原 豊一
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.59-70, 2010

<p> グローバル化に伴うスポーツの世界的拡大の中、野球も資本との関わりの中、北米トップ・プロリーグMLBを核とした広がりを見せている。本稿ではその拡大における周縁に位置するイスラエルに発足したプロリーグであるイスラエル野球リーグ(IBL)の観察から、スポーツのグローバル化をスポーツ労働移民という切り口から探った。<br> IBLの現実はプロ野球という言葉から一般に想像されるような華やいだ世界ではない。ここで展開されているのは、ひとびとが低賃金で過酷な労働を強いられている周辺の世界である。しかし、IBLの選手の姿は、搾取される低賃金労働者というイメージともすぐには結びつかない。それは、彼らが自ら望んでこの地でのプレーを選んだことに由来している。特に先進国からの選手の観察からは、本来労働であるはずのプロとしてのプレーが、一種のレジャーや社会からの逃避に変質を遂げている様さえ窺えた。<br> この新たなプロリーグに集った選手たちへのインタビューを通じた彼らのスポーツ労働移民としての特徴の分析は、スポーツのグローバル化が経済資本の単一的な広がりというよりは、選手個々の背景や動機が絡んだモザイク的な拡大と浸透の様相を呈している現状を示している。<br> 従来の世界システム的観点から見たスポーツの地球的拡大の文脈においては、プロアスリートの国境を越えた移動もその要因を経済的なものに求めがちである。アスリートの移籍理由を経済的要因以外に求める研究もなされてはいるものの、本稿での事例分析の結果得られた「プロスペクト」型、「野球労働者」型、「バケーション」型、「自分探し」型というスポーツ移民の分類のうち、先進国からの「バケーション」型、「自分探し」型は従来の研究の枠組みには収まりきらないものである。このことはスポーツのグローバル化がもたらした人間の移動要因の変質という点において、今後のグローバリゼーション研究に新たな地平を開拓する可能性を持つ。</p>
著者
中江 桂子
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.15-30, 2013-09-30 (Released:2016-08-01)
参考文献数
27

本稿の目的は、身体とスポーツがどのような近代的陥穽に陥ったか、という問題について、前近代的な視点を用いて近代を逆照射することにより、明らかにすることである。 そこで本稿では第一に、西欧文化史の個性をいち早く作り上げたギリシャ・ローマ時代まで遡り、身体と学びの原初形態について概観した。そこでは、美しさに恍惚となるエロス的な関係性のなかに、教育的機能を含ませ、世界への知を深める営みとしての学びがあった。第二に、封建社会とキリスト教が独特の結びつきを見せた中世の騎士道において、試練や苦痛を乗り越えてこそ、その先にロマンスや幸福を獲得できるはずだという考え方が一般化していく。教育とは、苦難を乗り越えることであるという考え方の萌芽がここにある。第三に、社会的義務をみずから欲望することこそ美しい道徳であるという態度は、中世から近代へと引き継がれた。公権力によって私的なものである身体を矯正していくことに躊躇しない近代の成立の経緯を論じた。第四に、騎士の階級文化であった世界を、普遍的で理想的な身体文化として再定義してしまったのが近代であったことを示した。この結果、内発性は創出されなければならないという近代教育の核心が生まれた。そして競技は、不平等のなかに相互尊敬をつくりだすものから、平等の中に勝負によってヒエラルキーをつくりだすものへと、近代において転化したことを概観した。 以上の議論を通じて、近代以降のスポーツと教育が抱える問題点は、近代以前にルーツがあることが多く、これを解決するには、射程の長い歴史的視点が必要であることを主張した。
著者
加野 芳正
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.7-20, 2014

2012年の暮れに、大阪市立桜宮高校に通う一人のバスケット部の生徒が、顧問教師の激しい体罰に耐えかねて自殺した。この事件をきっかけに、運動部活動における体罰が社会問題となった。<br> 日本の学校教育では、明治12年に出された〈教育令〉以降今日まで、法的に見ると、ほぼ一貫して体罰は禁止されている。しかし、体罰はしばしば生徒を統制する手段として用いられてきた。とりわけ戦前においては、教育に体罰は必要であるという前提に立って体罰は語られた。それが戦後になると、なぜ法律で禁止されている体罰が学校教育において行使されるのかという問いのもとに議論されるようになり、体罰事件は「教師の行き過ぎ」として描かれるようになった。そして、1990 年代になると、体罰は暴力であり、暴力はいかなる理由があろうとも許されないという言説が支配的となった。<br> 100年以上も前にE.デュルケムは、人間的陶冶の中心たる学校が、また必然的に蛮風の中心たらざるをえなかったのは、いったいなぜだろうという問いを立てた。彼は体罰の発生を、学校が生徒をして自然の成長に任せるわけにいかず強制的な介入が不可欠なこと、そして、知識・技術の上で自分より劣っている生徒と接しているうちに知らず知らずのうちに抱く教師の誇大妄想癖の、二点に求めた。しかし、彼の議論は体罰発生の必要条件を説明していても、十分条件を説明していることにはならない。この欠点を補って亀山佳明は、R.ジラールの欲望の三角形モデルを用いて、学校における暴力の発生を説明した。彼の野心的なところは、「体罰」「対教師暴力」「いじめ」という学校で生起する三様の暴力を射程に収めている点である。「体罰」と「いじめ」は別々の問題であるが、共通する部分も少なからずある。<br> 教室における体罰の発生は、教師の権威の低下を前提として説明できる部分が大きい。しかし、運動部活動における体罰を、同じような背景によって説明できるかについては、疑問も残る。
著者
海老原 修
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.67-82, 2014-09-30 (Released:2016-07-02)
参考文献数
16

社会科学による質的なデータの数量化は主に同じ土俵上での相対的な重みづけを志向しており、変換されたダミー変数は説明変数であって被説明変数にはなりにくい。量的研究が質的現象を説明するのか、質的研究が量的現象を説明するのか。はたして、両者は対称的な位置づけなのか、もしかすると非対称ではないだろうか。このスタンスに基づき、体育・スポーツ研究領域で長い間、普遍的なデータを提供している内閣府「体力・スポーツに関する世論調査」に質的研究事例を、文部科学省「体力・運動能力調査報告書」に量的研究事例を求めて、それぞれの解釈と課題を提供した。 質的なデータが示す時系列分析は当事者のみならず社会の変容を理解する好材料を呈示する。一方で、量的データはウソをつくかもしれない。平均値の表示は作為的か不作為か判然としないが、体力低下がまやかしである可能性を教えてくれる。2人の得点が50点ならば平均値は50点であるが、2回目に1人が0点となってしまった。したがって平均点50を維持するには残る1人が100点を取らねばならない。3人の平均値が50点であるが、2回目には2人が0点となってしまったので、残る1人は150点を獲得しなければならない。平均点を表示する体力・運動能力の年次推移の背後には、運動やスポーツを行なったりやめたりする子どもたちの運動習慣の変動があり、運動実施状況別にたどると体力・運動能力そのものは不変である可能性が浮かび上がる。このような錯誤を指弾する姿勢は肉感的なフィールドワークによってかたちづくられる、ほんとかしらん、なぜなのかしらん、といった不思議の開陳である。聞き取りや参与観察、インタビューなど質的なアプローチが、研究対象にたいして多元的・多段階的な昆虫の複眼と単眼による量的な分析を刺激し続けている。
著者
石原 豊一
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.75-89, 2019-03-30 (Released:2019-03-30)
参考文献数
31

新たな開発援助として「開発と平和のためのスポーツ(Sport for Development and Peace, SDP)」が注目され、先進国アクターによる途上国へのスポーツ普及策がなされるようになってきている。これについて、本稿では、日本のアクターによるアフリカにおける野球普及活動と、その結果生じたアスリートの国際移動の事例に着目し、スポーツという身体的文化活動が、途上国が抱える諸問題を解決することができるかという点について考察する。 本稿において取り上げるのは、日本のNGO による野球普及活動の結果生まれた、プロ予備門と言うべき独立プロ野球リーグと契約したアフリカ人プロ野球選手の事例である。最初のジンバブエ人選手の事例は、国内情勢の悪化から現地での普及活動が困難になったための苦肉の策として行われたものであったが、その結果、「開発援助発のプロ野球選手」が、ひとつのモデルケースとなり、開発援助よりもむしろ「プロ野球選手」送出が目的化したような事例も見られるようになってきている。現実には、独立プロ野球リーグでの報酬は非常に低く、ここへの選手送出が、スポーツ普及を通じた途上国社会の経済的自立の援助と捉えることは難しい。また、アフリカにおける野球普及活動が啓蒙活動などの一助となるというアクター側の自己の評価についても疑問が残る。 アフリカにおける野球普及は、あくまで娯楽の提供という援助の一手段であるに過ぎず、その限界を受け入れた上で、チームプレーを通しての教育的効果などの有効性を探っていくことが、今後のSDP の一環としての野球普及活動の方向性ではないだろうか。
著者
吳 炫錫
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.29-41, 2018-03-30 (Released:2019-03-30)
参考文献数
25

本稿は、戦後韓国の社会でサッカーを通じ、どのようなナショナルな言説が構築してきたのかを検討したものである。戦後、韓国の社会でのナショナルな言説の特徴は、北朝鮮に対する敵対感の表出である「反共ナショナリズム」、植民地経験による日本に対する敵対感から構築された「反日ナショナリズム」と言える。このようなナショナリズムは、サッカーにもそのまま反映されており、サッカー中継の視聴を通じてナショナリズムの構築がなされてきた。しかし、2002 年W 杯以後にはサッカーを通じるナショナルな言説が大きく変化してきた。これは、既存のサッカーを通じて構築されるという単純なイデオロギー的機能ではなく、消費社会の到来と多様性に基づき、新な形態のナショナルが言説が構築されたのである。このような時代的な変化とともに、サッカーを通じた新な形態のナショナルな言説が構築された。それは、グローバリゼーションという時代的な流れとともに、サッカー選手個人がセレブリティ化されていくことである。すなわち、セレブリティに関する言説がナショナリズムの構築につながっている。本稿ではパク・チソンとソン・フンミンを中心にサッカー選手のセレブリティとナショナリズムとの関係について考察した。サッカー選手のセレブリティとナショナリズムとの関係において、新たな形態のナショナルな言説の生産、サッカーファンダム文化との節合、資本主義との交錯などが発生する。すなわち、サッカー選手のセレブリティ化は、より多様で、複雑な言説を生み出しており、そこではナショナリズムの変容が生じているのである。
著者
陣野 俊史
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.15-28, 2018-03-30 (Released:2019-03-30)
参考文献数
6

現代のフットボールは、試合スケジュールや選手の活動のあらゆる領域にまでスポンサーの統治の力が浸透している文化現象である。しかし他方でそれは、その時代の社会的諸問題を浮き彫りにするものでもある。本論は過去二十年のフランス代表チームを跡付けながらその社会的・歴史的背景を考察するとともにワールドカップというイヴェントがいかに解釈できるのかを論じる。1998年大会、社会的に移民規制が高まる中でのフランスの優勝は「統合」の機運を生み出した。様々なキャリアと人種の選手の集合体こそがフランス代表だった。そこではワールドカップは刹那的ではあるが統合の夢を生み出しうるものだった。だが2000 年代以降のフランス代表が露呈したのは分断の線であった。適度に貧しいという均質化した環境から代表選手を目指すプロセスの共通性は、ジダンの時代にはあったが、ドラソーの頃には消え失せていた。郊外の中でもとりわけ治安に問題のある地域「シテ」に出自を持つ選手たちと社会的エリート階層出身の選手たちとの間にある亀裂は、社会的分裂の象徴だった。その問題が大きく顕在化したのが、2010 年南アフリカ大会である。そのときワールドカップは、そうした問題を世界に向けてあからさまな形で発信するイヴェントとなった。人種的統合/排除、階層的分断といった問題だけでなく、フランスにとってワールドカップは過去の植民地問題があらためて交渉される場としての可能性を持つものでもある。2014 年大会では旧宗主国フランスと旧植民地アルジェリアの試合が実現する可能性があった。二つの国の人種・政治・差別の問題が複雑に絡まり合い「親善試合」が期待できない状況で、2014 年のアルジェリアの健闘は貴重な機会だった。旧宗主国と旧植民地の間の複雑な歴史を露呈させ、そのうえでそうしたいっさいを配慮せずに試合を実現できるのも、ワールドカップのもつ可能性である。

1 0 0 0 OA 特集のねらい

著者
有元 健
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.3-4, 2018-03-30 (Released:2019-03-30)
著者
黄 順姫
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.23-33, 1996

本稿は相撲の場合競技者の身体がおのおのの民族の有する身体文化と深く関わりながら, 特定の競技の固有性の中で創出された文化の規律化されたものであることを分析してきた。具体的には力士の身体を「受容としての身体」「表出としての身体」「メタファーとしての身体」という枠組みをもうけ考察を行った。その結果次のことが明らかになった。すなわち, 「受容としての身体」について, 第一に, 日本の力士は阿うんの呼吸を特徴とする日本の相撲競技の立ち合の仕方を規範として受容している。第二に, 力士は土俵を通じて自己完成を行う相撲道を身体化する。第三に, 力士の身体への裸身信仰は日本の民族の身体文化と深く関係づけられている。<br>また,「文化の表出としての身体」について, 第一に力士の身体は彼が行った稽古の質, 量及び稽古への態度を表出する。第二に, 力士の身体における感情表出の仕方は相撲社会のなかで形成された相撲の文化を内面化していることを表す。第三に, 力士の身体の得意技, 型は彼の身体の特徴を反映し, 相撲に対する内面のあり方を表出する。<br>さらに,「メタファーとしての身体」について, 第一に力士の身体は「個人の身体」と「社会的身体」との「交差点」に成立する日本文化の遊びのフォルムである。第二に, 力士の身体は「政治的身体」として国際間の象徴的地位をめぐる象徴的権力闘争の桔抗の構図を表象している。第三に力士の身体についてアメリカでは「脂肉」「巨大性」「パワー」「破壊力」の規範化されたイメージが創出, 消費されている。以上「メタファーとしての身体」から次の結論をみちびきだすことができる。すなわち, メタファーとしての力士の身体は相撲の特性に由来し, 相撲世界の固有の論理を越え, 国際政治・経済の関連のなかで象徴的権力の維持, 再生産のからくり人形として操作されているのである。
著者
鈴木 秀人
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.51-62, 2013-09-30 (Released:2016-08-01)
参考文献数
15

一般的には、現在行われている体育授業の直接的な起源は、19世紀後半に成立した「体操」の授業と考えられている。しかしながらここでは、英国のパブリック・スクールで課外活動として行われていたスポーツを、現在の体育授業の1つのルーツと措定する。なぜなら、現在の体育カリキュラムにおける内容の大半は「体操」ではなく「スポーツ」であり、かつ英国パブリック・スクールにおいて、それらのスポーツは単なる身体の規律訓練を超えた教育的な価値を見出されたからである。 本論文の目的は、英国パブリック・スクールに焦点を当てながら、体育科教育の過去を把握し、その過去に規定されていると思われる体育科教育の現在を描き出し、さらには、その超克を志向するという方向で体育科教育の未来を展望することである。 スポーツ活動が教育として承認されていく過程は、3つの段階にわけることができる。まず最初に、教師たちがスポーツを抑圧したり禁止したりした18世紀後半から19 世紀初頭の時期があった。次に、教師たちが校内の規律を維持するために、生徒たちの協力を得ることをねらってスポーツを公的に承認した19 世紀初めから半ば頃までの時期があった。そして第3番めに、教師たちが生徒の人格形成に役立つというスポーツの教育的な価値ゆえに、スポーツを積極的に奨励するに至った19 世紀半ば以降の時期があったのである。 最も重要な段階は第2番めの段階である。この時期のスポーツ活動の特徴は、教師たちにとっては社会統制の1つの手段であったスポーツも、生徒たちにとっては純粋に「遊び(プレイ)」であったに違いないということにある。我々は、教育としてのスポーツの出発点が、生徒たちの自発性によって導かれたというこの事実に注意を払うべきである。 このような体育科教育の歴史を振り返ると、これまでの体育科教育は運動を行う側にとっての根本的な意味、そこにある面白さを十分に考えてはこなかったことに気がつく。そういった視点からすると、運動のプレイとしての要素を重視する「楽しい体育」という体育授業論の可能性は、体育科教育の未来にとって1つの方向性を示しうる。