著者
ドネリー ピーター キッド ブルース トンプソン リー
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.15-24,118, 2006-03-20 (Released:2011-05-30)
参考文献数
6
被引用文献数
1 1

本論文で、われわれは国際オリンピック委員会 (IOC) が主張するスポーツに対する道徳的権限を考察し、それがスポーツに明白で建設的な影響を与えた領域を特定する。また、われわれは1999年を改革の重要な時期とみなし、それ以来の進歩的な改革の勢いに則って、スポーツが直面する重要な問題に取り組むことによってIOCはその道徳的権限をより確かなものにすべきである、と提案する。その重要な問題とは、IOCの運営に関する内部の問題と、スポーツとオリンピック大会に関する外部の問題に分けられる。提案される内部の改革は、IOCの民主的組織 (特に委員資格や地域の代表制や説明責任に関するもの)、IOC会員の男女公平、オリンピック・ソリダリティの試み、そして国内オリンピック委員会の責任に関するものである。提案される外部改革は、スポーツ界における児童の公正な扱い、スポーツ・ユニフォームや用具の製造過程における公正な労働慣行の導入、選手の健康と安全への一層の関心、そしてオリンピック大会の開催地への影響と公平さについての独立した評価の導入、に関するものである。
著者
森津 千尋
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.89-100, 2011-03-20 (Released:2016-09-13)
参考文献数
24

本稿では、文化政治期において、総督府機関紙であった『京城日報』が、その政治的立場から「内鮮融和」政策の一環としてスポーツ大会を開催し、また紙面でも統治者側の視点から大会を報じていた点について検討する。 『京城日報』は野球・庭球を中心とした全国大会を継続的に主催し、その大会には多数の朝鮮人選手が参加していた。さらに紙面では、試合に関連する記事はもちろん、その他関連イベントや祝広告が掲載され、朝鮮スポーツ界における大会の重要性が強調された。 また『京城日報』は、定期的に日本チームとの招聘試合も主催していた。主に6 大学野球のチームが招聘されたが、試合を報じる記事では、日本チームの技術・能力の高さが称えられ、朝鮮チームの「憧れ」「手本」として位置づけられていた。 このようにメディアの送り手として、『京城日報』が「内鮮融和」を推進する統治者側の立場からスポーツ大会を開催し、また紙面でも統治者側の視点から大会や試合について語っていたことが本稿では明らかになった。
著者
山崎 貴史
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.85-100, 2013-03-20 (Released:2016-08-04)
参考文献数
14

1990年代以降、わが国における日雇労働市場の縮小は、多くの失業者を生み出し、都市の公共空間で居住する野宿者が急増した。駅舎・公園・道路などに起居した野宿者は、90年代から絶えずクリアランスの対象となってきた。そして、そのいくつかにはスポーツが大きく関連している。たとえば、2010年の宮下公園、2012年の竪川河川敷公園では、スポーツ施設の設置によって、野宿者の強制撤去が行われた。では、なぜ野宿者の排除にスポーツが用いられるのだろうか。そして、公園におけるスポーツ施設の設置はそこで暮らす野宿者にとって、どのような問題を孕んでいるのだろうか。 事例としたのは、1997年と2004年に〈ホームレス〉対策としてスポーツ施設が設置された若宮大通公園である。この公園では、〈ホームレス〉対策として、スポーツ施設が設置されていった一方で、公園内で野宿者は居住を続け、ゲートボール場では炊き出しが行われている。本稿の事例からあきらかになったのは、第一に、スポーツ施設は公園内のオープンスペースを「スポーツする場所」に利用を限定することで、野宿者にとって、居住地を制限するものとして立ち現れる点である。 第二に、野宿者と支援者はスポーツ施設による居住や活動の制限を受けながらも、スポーツ施設を利用して居住し、スポーツ施設を居住地や「野宿者支援の場所」として意味づけしなおしていた点である。 このことから、最後に公園といった公共空間にスポーツ施設が設置されることの是非は、そこをどのように管理するかではなく、どのように利用されているかという視点から捉える必要性を指摘した。
著者
中村 恭子
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.37-51, 2013-03-20 (Released:2016-08-04)
参考文献数
38
被引用文献数
2

日本の中学校におけるダンス教育は、1881年に始まって以来100年余りの間、女子の体育種目として実施されてきた。男女共同参画社会の流れを受けて、1989年にはダンスは男女ともに選択履修できるように改訂された。しかし、長い間女子のみの種目として扱われてきたために、男子の履修はなかなか進まなかった。そして、2008年の学習指導要領の改訂では、中学校1・2年生において、男女ともにダンスを必修で履修することが示された。一方、戦後の1947年には、ダンスの内容は既成作品や基本ステップ等の踊り方の習得学習から“創作ダンス”による創造的学習に転換した。1998年には、新たに“現代的なリズムのダンス”が創造的学習内容として取り入れられた。しかし、それはしばしば誤って、あるいは意図的に、既成の踊り方習得学習として扱われていた。 そこで、この度のダンス男女必修化を受けて、2008年の改訂から2012年の完全実施までの移行期間におけるダンス教育の変容を明らかにするとともに、今後の課題を明らかにすることを目的として中学校のダンス授業計画について縦断的に調査した。 その結果、以下のことが明らかになった。2012年には、ほぼ全ての学校でダンスが男女必修で行われるようになっていた。ダンスの授業数が倍増し、女性教員だけでなく男性教員もダンスの指導を担当するようになった。70%のクラスが男女別習で計画され、70%の男子クラスは男性教員が担当していた。しかし、多くの男性教員はダンスの実技経験も指導経験もなかったため、非常に困惑し、ダンスの授業は混乱した。生徒が興味を持っているという理由から、70%以上のクラスで“現代的なリズムのダンス”が採択されていた。しかし、その学習内容についてしばしば誤った解釈がなされており、授業の質の低下が危惧された。 以上の結果から、教員の指導力養成と“現代的なリズムのダンス”の教材研究が課題であることが示唆された。
著者
町村 敬志
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.3-16, 2007-03-20 (Released:2011-05-30)
参考文献数
6
被引用文献数
6 2

2006年、東京都は2016年オリンピックの国内候補都市に選定され、招致活動をスタートさせた。なぜ今、オリンピックなのか。その背景にあるのは、単にナショナリズムを政治的に利用しようとする都知事の意向だけではない。1960年以降のオリンピック開催都市を経済発展の段階 (アメリカ合衆国の一人当たりGDPに対する比率) に基づいて分類すると、それらは、「2割国型の首都」による国家の威信発揚オリンピック、「6割国型の非首都」による成長する広域圏中心都市オリンピック、そして「10割国型の非首都」によるグローバル・シティ・セールス志向のオリンピックに分けられる。これに対して、2012年の開催決定都市ロンドンとそのライバル都市群、そして2016年に立候補した東京は、半世紀間で初めての「10割国型の首都」オリンピックをいずれもめざしていた。このようにグローバル・シティが第2ラウンドのオリンピックへと回帰してきた背景には、1)ポスト・モダニティの都市戦略、2) グローバル都市化、3) 都市間競争の激化、4) 経済再活性化といったねらいがある。そしてそれらの先には、21世紀に入って、グローバリゼーションとネオリベラリズムの限界を敏感に感じ取ったグローバル・シティと国家によるメガ・イベントを介した連携という新しい構図が存在している。いまや、国家の祝祭ならぬ「競争力の祝祭」となったメガ・イベントは、新しいネオリベラルな都市レジーム形成に向けたアジェンダ設定力自体を競うグローバル・シティ間のコンテストの場でもある。2016年のオリンピックが実際に開催されるかどうかに関わらず、都市を舞台とするメガ・イベントはすでにスタートを切っている。未だきわめて乏しい想像力しか持ち合わせていない新しい「東京オリンピック」ははたして本当に必要なのか。メガ・イベント政治がどのような影響を都市社会にもたらしていくのかを再検討する必要がある。
著者
吳 炫錫
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.29-41, 2018

本稿は、戦後韓国の社会でサッカーを通じ、どのようなナショナルな言説が構築してきたのかを検討したものである。戦後、韓国の社会でのナショナルな言説の特徴は、北朝鮮に対する敵対感の表出である「反共ナショナリズム」、植民地経験による日本に対する敵対感から構築された「反日ナショナリズム」と言える。このようなナショナリズムは、サッカーにもそのまま反映されており、サッカー中継の視聴を通じてナショナリズムの構築がなされてきた。しかし、2002 年W 杯以後にはサッカーを通じるナショナルな言説が大きく変化してきた。これは、既存のサッカーを通じて構築されるという単純なイデオロギー的機能ではなく、消費社会の到来と多様性に基づき、新な形態のナショナルが言説が構築されたのである。このような時代的な変化とともに、サッカーを通じた新な形態のナショナルな言説が構築された。それは、グローバリゼーションという時代的な流れとともに、サッカー選手個人がセレブリティ化されていくことである。すなわち、セレブリティに関する言説がナショナリズムの構築につながっている。本稿ではパク・チソンとソン・フンミンを中心にサッカー選手のセレブリティとナショナリズムとの関係について考察した。サッカー選手のセレブリティとナショナリズムとの関係において、新たな形態のナショナルな言説の生産、サッカーファンダム文化との節合、資本主義との交錯などが発生する。すなわち、サッカー選手のセレブリティ化は、より多様で、複雑な言説を生み出しており、そこではナショナリズムの変容が生じているのである。
著者
柏原 全孝
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
no.4, pp.51-62, 1996

プロレスはなぜスポーツではないのか。現実にプロレスはスポーツとしての扱いをされることはほとんどない。外見上はいかにもスポーツであり,「プロスポーツ」上として認知されるのにふさわしい人気規模をもっているにもかかわらず, プロレスはスポーツではない。この問題に, プロレスの内的特性から引き出された解答を与えることは簡単ではある。「プロレスは八百長だ」と言い切ってしまえばスポーツとして扱われない解答を得られたかのように錯覚できるからである。しかし, それではプロレスを真に論じたことにはならない。プロレスを「演技」という側面で捉えたところで, 現実にはプロレスが「芸能」として扱われたりしないからだ。すなわち, プロレスがスポーツでも芸能でもない根拠を見いだせない限り, プロレスを論じたことにはならない。<br>そこで, プロレスを外的に, すなわちスポーツの側から位置づける論理を検討する。近代スポーツ成立のメルクマールをルールの明文化という点において捉えることで, 我々は近代スポーツの特有の困難を発見する。それは, 客観的でなければならないはずのルールが, その正反対の性格, 恣意性と偶然性を生まれながらもっていることである。この外傷的要素を抑圧することでルールは権威とともに現れることができる。ところが, 抑圧された恣意性と偶然性はルールを適用する場面において, レフリーの判断, 振る舞いを通じて再び現れる。<br>プロレスにおいても, レフリーの判断, 振る舞いを通じて恣意性と偶然性が現れる。その意味でプロレスは完全にスポーツと同一である。しかし, プロレスはレフリーが過剰に恣意的に振る舞うことで, スポーツにおいて嫌悪される恣意性と偶然性の出現を露骨に暴露する。つまり, プロレスはスポーツに特有の汚点を公然と見せつけるがゆえにスポーツから排除されるのである。そして, プロレスはこの過剰なまでのスポーツ的性格ゆえに, 芸能とも見なされないのである。
著者
田中 研之輔
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.46-61,150, 2003-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
47
被引用文献数
1 2

わが国の都市空間において湧出してきた若者の「族」文化は、しばしば、地域住民や警察によって管理や排除の対象にされてきた。そこで本稿は、都市空間の利用をめぐり地域住民のまなざしや警察や警備員による管理が「ストリート」でのスケートボーダーの実践を制限し、彼らを都市広場に囲い込んでいるという90年代以降の都市的現象に注目した。具体的には、スケートボーダーとして2001年5月27日に土浦駅西口に開設した広場を利用しながら重ねてきたフィールドワークをもとに、90年代以降の「族」文化としてスケートボーダーが示しつつある「巧みな実践」の意味と意義を明らかにした。広場設置の背景には、スケートボーダーが地元のスケートボードショップ店長と署名活動を展開し、市議会議員と協力し陳情書を提出するという試みがあった。こうしたスケートボーダーによる積極的な都市広場の獲得は、同時に彼らの実践を都市広場へと囲い込むことにもなる。広場の獲得と囲い込みの中で日常的な実践を続ける彼らは、広場を自分たちが楽しめる空間に創り変えつつ、再び「ストリート」へと駆り立てられていく。彼らは地域住民や警察らによる管理や排除の圧力をかわしたり、ズラしたりしながら都市空間の「隙間」を探し求めているのである。このようなスケートボーダーの実践は、地方自治体や警察らによる「囲い込み」とそれに対する「対抗」「抵抗」図式で捉えることができない。彼らは、管理や排除に直接的に抗うのではなく、むしろ巧みに受け入れていく。本稿を通じて、筆者はスケートボーダーの日常的実践に従来の「対抗」「抵抗」図式では語りきれない彼ら一人一人の生を描き出していくとともに、「支配的なるもの」の圧力を無効化していくような「巧みな実践」を続ける彼らに新たな「連帯」の可能性を見出している。
著者
申 恩真
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.71-83, 2017-09-30 (Released:2017-09-30)
参考文献数
13
被引用文献数
1

サッカー日本女子代表が2011年に開催されたFIFA女子ワールドカップで優勝して以来、日本の女子サッカー選手の生活形態が問題視されるようになった。そこでは、多くの女子サッカー選手が仕事とサッカーを掛け持ちしていることや、男子サッカー選手との待遇面での格差が主に取り上げられた。だが、こうしたメディア言説を中心に構築された経済的問題に関する議論は、選手の日常生活とサッカー実践の間に生み出されるいくつかの問題を不可視化してしまう。つまり、女子サッカー選手が直面する社会生活上の質的問題については、議論の外に置かれがちになる。こうした中で、彼女らはどのように就労し、どのような仕事環境で働きながらサッカーを実践しているのだろうかというものを問う作業は、彼女らが抱えている困難へ接近することを可能にする。したがって、本稿では、女子サッカーチームで行ったフィールドワークをもとに、従来の経済的支援に特化された議論に対して、女子サッカー選手の生活形態に焦点化して論じることを試みる。とりわけ、女子サッカーチームの「支援企業」で働く選手に注目し、そこでの仕事環境とサッカー実践との関係性を解明する。結論として、雇用した支援企業と雇用された選手の関係は、支援する者/支援される者として形成され、そこで築かれた関係性が女子サッカー選手の日常生活に構造化されている点が明らかになった。このことから、選手の生活全体における支援の「質的位相」を視野に入れる必要性を示唆する。
著者
石井 昌幸
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.31-50, 2013-09-30 (Released:2016-08-01)
参考文献数
10

「スポーツマンシップ」という言葉は、ながいあいだスポーツの社会的・教育的価値を示す際に重要な意味を持ってきた。この言葉の近代的語義の成立について従来の研究は、パブリックスクールにおける競技スポーツ熱の高揚により、それまで「狩猟の技量」のような意味であったスポーツマンシップに「競技の倫理」という意味内容が加わり、それが競技の普及とともに一般化したと理解してきた。本研究は、19世紀の新聞・雑誌を大量に収録したデータベースを使用して、スポーツマンシップの語の使用頻度と意味内容を分析することで、そのような従来の理解を再検討したものである。 その結果、次のようなことが分かった。この言葉は、1870年代半ば頃から競技スポーツに関して使用される例がいくつか見られるものの、80年代なかばまで依然として狩猟や銃猟に関するものが大多数であり、その意味はなお多様であった。すなわち、19世紀を通じて「スポーツマンであること」を漠然と指す用語であり、それがもちいられる文脈のなかで、「技量・能力」、「資格・身分」、「倫理・規範」などを意味する多義的で曖昧な言葉のままであり続けた。 倫理的ニュアンスがコンスタントに見られるようになるのは1880年代半ばからであるが、その際にそれは、スポーツマンシップの「欠如」を批判する文脈のなかで多く見られた。欠如を指摘されたのは、大部分が労働者階級や外国人・植民地人であった。同じ時代に、スポーツはこれらの人びとにも急速に普及し、ジェントルマン=アマチュアは、彼らに勝てなくなってきていた。労働者階級が参政権を獲得しようとしていたこの時代、ステーツマン(為政者)であることだけでなく、スポーツマンであることも、もはやジェントルマンの特権ではなくなろうとしていた。スポーツマンシップの語義変化は、そのような社会変化を反映したものだったと考えられる。
著者
栗山 靖弘
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
pp.25-02, (Released:2017-01-31)
参考文献数
21

高校時代の運動部活動の実績が評価されて大学に進学する人びとがいることを、我々は経験的にも認知しており、スポーツ推薦によって大学に進学するという現象は、特に珍しいものではない。 しかし、スポーツ推薦による進学先がどのように決定されるのかというメカニズムに関しては、実証的に明らかにされていない部分が多い。 そこで本稿では、大学入試におけるスポーツ推薦を進路決定の仕組みのひとつと捉え、当該試験を利用した進路形成の特徴を明らかにした。具体的には、ある私立の強豪校野球部を事例とした、スポーツ推薦を利用した進学先決定のメカニズムの解明である。強豪校運動部のスポーツ推薦による大学進学は、高校と大学の指導者間の関係によって規定されており、いわば、指導者の人脈を経由した進学先の決定が行われている。このことを、野球部員と指導者へのインタビュー調査と、部員の進路先が把握可能な個票という、経験的なデータを用いて示した。 はじめに、全国の私立大学におけるスポーツ推薦入試の実施状況を、マクロ・データによって概観し、続いて事例研究から、進学先決定のメカニズムを描き出すという順序をとった。 これらの作業を通じて、強豪校運動部員の進路形成が、部活を通じて行われていることを明らかにした。そして、最後に、部活を通じた進路形成が重視される理由として、その進路形成機能自体が強豪校の存立基盤であることを示した。先行研究では、一般的な学校の運動部活動を成り立たせるのは「子どもの自主性」であるとされてきたが、強豪校を成立させる基盤については明らかにされていなかった。本稿の知見により、強豪校を成り立たせているのは、部活を通じた進路形成機能であることを主張した。
著者
奥村 隆
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.35-50, 2014-03-30 (Released:2016-07-02)
参考文献数
19
被引用文献数
2

「スポーツと体罰」という本稿のテーマは、「スポーツを教える/学ぶ空間」における「スポーツを教える身体」から「スポーツを学ぶ身体」への暴力、といいかえることができる。ここには、「スポーツする身体」と暴力という問題系と「教える/学ぶ身体」と暴力という問題系のふたつが重層しているだろう。本稿はこのふたつの問題系をいったん切り離して、前者についてはノルベルト・エリアスによる「文明化」理論に基づく議論を、後者についてはグレゴリー・ベイトソンによる「学習」と「ダブル・バインド」についての議論を参照して検討し、その後この両者を結びつけて考えたい。 本稿は、文楽の人形遣いの名人・吉田文五郎が語る芸の伝承の事例を軸にしながら、とくにベイトソンがいう「学習Ⅲ」を生む「治療的ダブル・バインド」の状況に着目する。「学ぶ身体」が従来の「学習Ⅱ」では成功できず、新しい習慣に跳躍しなければならないこの状況において、「教える身体」もダブル・バインドに晒されている。また、そこで「学ぶ身体」が身につけるべき「スポーツする身体」は、スポーツと暴力をめぐる構造的なダブル・バインドのなかに置かれている。こうした困難さのなかで、「スポーツを教える身体」が暴力をふるうことがあるだろう。そして、多くの「学ぶ身体」は「学習Ⅲ」に飛び移ることに失敗する。この「敗者たち」を遇する文化を「スポーツを教える/学ぶ空間」がいかに蓄積してきたか、これをどう育てうるかが、「スポーツと体罰」というテーマにとって重要な課題となるだろう。
著者
石坂 友司
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.60-71,136, 2002-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
44
被引用文献数
3

本稿の目的は,「学歴社会」における運動部の社会的意味を描くことである。明治時代中期に, スポーツはもっぱら将来のエリートたる高等教育機関の学生達によって行われていた。特に, ボート競技は当時最も人気を博したスポーツであった。戦前, 我が国の教育システムの中で最高権威を誇った帝国大学は, そのような活動の中心的存在であった。従って, 我が国のスポーツ文化の総体を理解するために, そこで行われたボート競技がどのような意味をもっていたのかについて考える必要があるだろう。本稿は, 帝国大学生がボートを漕ぐ実践を把握するために, 文化的再生産論の視角から以下のような考察を試みた。第一に, 帝国大学でボートを漕ぐことは, 他者とは異なる卓越した文化資本, 身体資本を獲得する「文化の正統性」をめぐる闘争としてとらえなおすことができる。結果として, それが階級の再生産につながっていくことを論じた。第二に, 帝国大学や一高における運動部, 特にボート部の学校内での覇権が応援の加熱やバーバリズムの結果として失われていく過程を示唆した。以上のように, 本稿はこれまであまり注目されてこなかったボート部に焦点を当て,「スポーツの文化性」をめぐる議論を, スポーツ社会学のみならず, 社会学や歴史学との接合から問いなおす試みである。
著者
中江 桂子
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.47-58,120, 2006-03-20 (Released:2011-05-30)
参考文献数
29

本稿では、スポーツの発生に関するエリアスの文化社会学的分析のなかでは、論じられていない中世のスポーツ、馬上試合 (tournament) について考察する。近代イギリスで発明されたとされるスポーツおよびスポーツマンシップの文化的源流は、このスポーツの中で醸成された。馬上試合は、中世封建社会においては特別な社会的関心を集める唯のスポーツであり、その試合の変容は、騎士道的倫理の成熟および、騎士にたいして暴力の制御を強制するメカニズムを作り出した過程と合致する。本稿ではこの過程を社会史的に考察する。命にたいする配慮、私欲の放棄と公共への奉仕、弱者の保護などを特徴とする倫理的世界は、中世封建社会の現実を改革する影響力はさほど持たなかったことは認めなければならない。しかしそれは、宮廷風恋愛という特殊な恋愛の形態を生み、さらに騎士物語と馬上試合の大流行によって、ヨーロッパ文化のなかに深く刻まれ、中世が終焉した後にまでヨーロッパ的精神のなかに生き続ける。そしてイギリスジェントルマン階層が、そのアイデンティティを確認する必要に迫られた近代イギリスの特殊な政治文化的状況の中にあったとき、馬上試合の中でかつて夢見られた倫理的世界は、近代的な時代に合わせたかたちで再発見され、再構築されることになる。結論として、スポーツマンシップが特殊ヨーロッパ的なものであることが明らかになる。スポーツマンシップが決して普遍的な理念ではないので、多様な文化的背景をもつ身体文化が、安易にスポーツマンシップの倫理を援用することにたいしては警戒する必要があることを示す。
著者
坂井 康広
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.71-80,109, 2004-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
18
被引用文献数
1

本稿の目的は、電鉄会社あるいは電鉄会社の関連企業が設置経営した野球場が戦前期におけるわが国の野球界に占めた重要性を考察することである。電鉄会社が旅客誘致や住宅地開発の一環として沿線に野球場を設置したことは全国的にみられる傾向であった。公営の野球場がまだほとんど存在しなかった戦前において、中等学校優勝野球大会の地方大会の多くが学校のグラウンドを使用しているのに対して、スタンド設備も整った電鉄会社系野球場は野球界に先駆的存在であったといえよう。また、中等学校野球や少年野球などの野球大会は、電鉄会社にとって旅客収入を上げる優秀なアイテムであった。電鉄会社が野球場を所有していたということはプロ野球の誕生にも大きく貢献した。プロ野球結成当時、東京にはまだプロ野球が利用できる野球場がなかったのに対し、関西と名古屋に電鉄会社系野球場が存在していたことは特筆すべきことである。戦前期のプロ野球では公式戦の半数以上が電鉄会社系野球場で開催されたこともまたその重要性が伺える。
著者
下窪 拓也
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.30, no.2, pp.101-113, 2022 (Released:2022-10-25)
参考文献数
31

本稿の目的は、スポーツ観戦者の社会的属性を解明することである。本研究ではスポーツ観戦を一種の文化消費、つまり趣味と定義して議論を展開した。従来の研究では、社会的属性、特に世帯年収、学歴、職業といった社会経済的地位および性別と文化消費の関連を議論してきた。本研究においても、社会階層および性別と文化消費の関連に関する理論を基に、スポーツ観戦者の社会経済的地位および性別を分析した。本研究では、スポーツライフ・データ2018の二次データを用いた潜在クラスモデル分析により、スポーツ観戦者の社会的属性を検証した。分析の結果、以下のことが明らかになった。まず、スポーツ観戦者の類型として、多くのスポーツを網羅的に観戦し、男性が多く、運動経験の影響を強く受ける高寛容層、寛容性は高寛容層に劣るものの、多様な種目を観戦する女性や高職業階層者が多く属する中寛容層、野球を集中的に観戦し、低・中所得層の男性が多い野球ユニボア層、社会的関心が集まるスポーツイベントのみ観戦し、同居人のいる女性が多いイベントユニボア層、そしてスポーツ観戦に消極的な不活発層の存在が確認された。高寛容層には、スポーツに対する嗜好性の高さが見られた。中寛容層は、スポーツ観戦を社会関係資本獲得のための戦略として用いている可能性と、スポーツ観戦を商品としての文化として消費している可能性があることが議論された。また、ユニボア層においても、大衆文化消費的な動機から野球観戦のみ行う場合と、スポーツへの関心は低いものの社会的関心を集めるイベントのみ消費する場合の、2種類のユニボアが確認された。以上、本研究により得られた知見は、スポーツ観戦者の実態解明の一助となるものである。最後に、本研究の限界と今後の発展可能性を議論した。
著者
有元 健
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.33-45,149, 2003-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
31
被引用文献数
7 5

本稿は、「フーリガニズム」以降のカルチュラル・スタディーズにおけるサッカー研究が、サッカーと集合的アイデンティティとの関係をどのように考察しているかを概観し、そうした問題意識が西洋のクラブチームだけでなく日本におけるナショナルチームについても重要な分析の視点を提供することを論じる。レスター派を中心とするフーリガン研究との論争からカルチュラル・スタディーズのサッカー研究は、特に労働者階級のファンたちが文化的アイデンティティを構築するときの媒介としてサッカーを捉えてきた。そして彼らは、サッカーが一次的なカーニバレスクをファンに提供し、またそこで育まれる文化が資本主義社会や管理社会の対抗文化になりうるとした。カルチュラル・スタディーズはそのようなファンの自己同一化のあり方を、ブロンバーガーの「集合的イマジナリー」という概念によって説明した。これはプレースタイルが核となってファンの人々が心に抱き、それに同一化する「わがチーム」のイメージである。しかし、そうした「わがチーム」への自己同一化は、同時に複雑な人種的・国民的な包括と排除のプロセスを含んだ節合形態として認識されなければならない。つまり「集合的イマジナリー」にはすでに特定の人種的・国民的枠組みが書き込まれているのである。カルチュラル・スタディーズのサッカー研究が提示したこの視点は、日本の社会状況を分析するときにも有効である。2002年ワールドカップにおけるナショナルチームを表象するメディアは自己や他者に対するステレオタイプ化されたイメージを流通させたが、この視点にしたがえば、それによって身体的・人種的に特定化され固定化された「日本人であること」の集合的イマジナリーが構築され、ある特定の身体図式が「日本人であること」としてファン (日本国民) の文化的アイデンティティ形成に関与したのではないかと考えられる。
著者
西村 秀樹
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.37-49,132, 2001-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
40
被引用文献数
1 1

大相撲における立ち合いは、勧進相撲としてプロ相撲興行が成立した江戸時代初期には、行司という第三者によって客観的にその立つタイミングが提示されるというものであった。しかし、大相撲が多彩な「わざ」が展開されるスポーツへ発展していくにつれ、それは、両力士同士の相互主観的な「意」の一致、つまり「阿吽」の呼吸で立つ方法へ変化していった。これは、近代スポーツにおける判定の客観的合理化の流れとは逆行している。ここに、大相撲が純粋なスポーツに徹しきれない性格、すなわち大相撲の芸能性がある。この「阿吽」の呼吸で立つということは、互いの「合意」で立つということにほかならないが、それは、互いに呼吸を「合わせ」ながらも、なおかつ互いが自分の呼吸をぶつけあっていくことによってもたらされるものなのである。阿吽の呼吸とは、相手の呼吸であるとともに、自分の呼吸でもあるということだ。それゆえ、この立ち合いには、「同調」と「競争」という二律背反なるものが統合されている。両力士が「合わそう」とするだけの「調和」は深さをもたない。両力士が互いの呼吸のリズムをぶつけ合っていくことによって、互いの個性が出しきられたところで真の「合意」が成立する。それが究極の深さをもった「調和」である。大相撲における立ち合いは、この「同調」と「競争」という相反する二つの関係形式を一つの行動様式へと統合している文化としてとらえられるのである。
著者
宮澤 武
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.59-74, 2018-03-30 (Released:2018-04-06)
参考文献数
38

競争を基本原理とするスポーツにおいて、勝利することに多様な価値が付随し、「負け」はマイナスの側面しか持ち合わせないようにみえる。しかしながら、新聞等のメディアによって「負け」はプラスの価値を付与され取り上げられる。こうした矛盾ともいえる事態を解明するため、新聞記事が「負け」をどのように取り上げているかを分析し、なぜ「負け」にプラスの価値が付与されるのかを明らかにすることが本稿の目的である。 本稿において分析対象とした記事は、戦後から現在(1946~2016年)までの読売新聞東京朝刊から、スポーツにおける「負け」を取り上げたものとした。国立国会図書館の新聞記事索引データベース「ヨミダス歴史館」と「日経テレコン21」を利用し、「負け」を見出し語に検索し、4,407件の記事を得た。スポーツにおける「負け」は批判すべきものか、もしくは称賛すべきものか、そして新聞記事において「負け」が批判および称賛される際、どのような側面に価値が見出され、語られているかに注目し、ドキュメント分析を用いて分析を進めた。 分析の結果、闘志や根性などの“精神論”を「負け」と結びつける状況が読み取れた。こうした状況は、「負け」を捉える記事と「負け」を称賛する記事の両方にみられた。また、努力や鍛錬などの用語に象徴される「厳しい練習」を称えることで、「負け」をポジティブに語る状況が浮き彫りになった。こうした価値観の背景には何があるのかを、日本人のスポーツ観の特徴と関連づけて考察した。新聞記事においてそうした価値観を継続的に語ることには(a)日本人の伝統的アイデンティティを再生産する機能と、(b)競争社会において生産された敗者を救済する機能の2つがあるのではないかと考えられる。
著者
中川 敏子
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.81-89,110, 2004

これまでの日本におけるスポーツとジェンダーに関する研究の多くは、ステレオタイプに基づいた女性選手像とそれを報道するマスメディア批判に終始している。女性たちは、歴史的にスポーツの発展に貢献していることが明らかにもかかわらず、表象においては、保守的な男女の性役割に基づいた言説におしとどめられてきた。フィギュアスケートは、かつて男性のスポーツとされていたが、女子選手が進出し、今日では女性のためのスポーツとさえ言われている。こうしたなかで、女子選手がどのように表象されてきたのかを分析することは重要と思われる。本論文では、1920年代から1930年代に活躍し「銀盤の女王」と呼ばれたソニヤ・ヘニーを取り上げる。彼女の氷上での功績および映画での役柄、実人生を見ながら、女子フィギュアスケーターがどのように表象され、どのように位置づけられてきたのかを歴史的コンテクストに着目して考察する。まず、1900年以降においては、フィギュアスケートの発展に貢献した4人の女性たちに着目し、彼女たちの功績があってヘニーの活躍が可能になったことに言及する。つぎに、1930年代にヘニーが出演した映画作品6本からヒロインの表象のされ方を明らかにする。それによって、「銀盤の女王」のステレオタイプがどのように形成されたのかを分析する。そして、どのように新しい理想の女性像が出現し、その一つであったはずの「銀盤の女王」が保守的で伝統的な男性中心の思想により歪曲されてしまったのかを論じる。