著者
嘉本 伊都子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.62-82, 1997-06-30

本稿は, 近代日本の搖籃期における「国際結婚」を『明治前期身分法大全』を通して分析する。明治政府は, ナポレオン法典を模しながら, 明治6年に内外人民婚姻条規を制定した。国籍法, 帰化法制定よりも実に四半世紀も早く国際結婚に関する法律を定めたことになる。「外国人の婿養子」が「日本人タルノ分限」を得ることを許した規定は, 世界でも稀であった。分限とは, 「家」の成員になることによって得られる社会的地位を指す。<BR>ナポレオン法典と内外人民婚姻条規との相違を, 婚姻によって, 妻の国籍は夫に従い, その結果父の国籍が子に伝わる西洋型の「父系血統優先主義」と「分限主義」とに分けて考察する。さらに, 「国際結婚」の歴史的実態に密着した分析枠組みを提案する。国籍法制定以前の考察期間における「国際結婚」の分析は, 夫あるいは妻の国籍別で分類するよりも, 婚姻形態と「分限」の得失に着目した以下のカテゴリーを利用したほうが, 有益であると考える。<BR>(a) 日本人女性と外国人男性の組み合わせで日本人女性が「婚嫁」する場合<BR>(b) 日本人女性と外国人男性の組み合わせで外国人男性が「婿養子」となる場合<BR>(c) 日本人男性と外国人女性の組み合わせで外国人女性が「婚嫁」する場合<BR>(d) 日本人男性と外国人女性の組み合わせで日本人男性が「婿養子」となる場合<BR>上記のような歴史社会学的類型を用いて, 分限主義時代の「国際結婚」の特徴を明らかにする。
著者
嘉本 伊都子
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 = Contemporary society bulletin : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.15, pp.43-58, 2021-03

明治国家は、1872年に壬申戸籍を作成し、結婚や離婚を新たな近代的な制度でコントロールを開始した。同年いわゆる芸娼妓解放令を国際的な対面上出すも、それは新たな近代的公娼制度への布石でもあった。検黴をうけ、登録された娼妓のみが、客と性的な関係を結ぶことができるシステムであった。大日本帝国の植民地拡大は、海外醜業婦と呼ばれる売春婦という国辱的な評価の拡大でもあった。その中には、湾妻、満妻とよばれる妾も含まれた。一方で写真花嫁も近代的な写真を交換して夫となる日本人男性のもとへ海をわたる花嫁たちもいた。花嫁であることを証明するためにハワイやアメリカの移民局では結婚式を挙げさせていた期間もあった。本稿は20世紀初頭、なぜ花嫁は海を渡るのか、当時妻になるとはどのような意味をもったのかを解明する。移民局での挙式のスタイルは、神前結婚という「伝統の発明」に引き継がれ、花嫁の無事到着を知らせる結婚写真は、〈伝統〉と〈モダニティ〉の接合が移民先にスピンオフしたものととらえられるのではないか。写真は更なる憧憬をかきたて、連鎖していった。内地での伝統と近代性の接合と同時に、あるいはそれよりもはやく、海を渡ることで近代性を獲得していた可能性を示す。 The Meiji government controled marriage and divorce through koseki (family registration) since 1872. In the same year the emancipation of Geigi and Syougi (geisha girls and prostitutes) also came into effect; however, this also marked the beginning of the modern Licensed Prostitution System. Only Syougi who had passed an examination for venereal diseases and possessed a license could have intimacy with the customer. As the Empire of Japan had extended its power, Japanese prostitutes had also appeared in many regions and acquired a certain reputation. Some of them became concubines as Wantsuma in Taiwan and Mantsuma in Manchuria; meanwhile, many picture brides crossed the sea after exchanging photographs with their husbands-to-be. It was quite natural for Hawaiian and American authorities to suspect them of being prostitutes. In order to prove they were really wives, the authorities required them to have a wedding ceremony and have their picture taken at the immigration office. This paper will examine why brides crossed the sea. What kind of connotation did becoming a wife have in those days? The wedding ceremony at the immigration office might have affected the ceremony boom of the invention of Shinto style weddings in the early twentieth century. Spinning off from modernity is a key concept of understanding why brides crossed the sea.
著者
嘉本 伊都子 KAMOTO Itsuko
出版者
京都女子大学現代社会学部
雑誌
現代社会研究 (ISSN:18842623)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.23-50, 2011-12

旧姓長田信子さんは、アメリカ軍に徴兵され極東での勤務を志願した飯沼星光さんと渋谷の富ヶ谷教会で結婚式をあげ、1953年9月に軍用船で海を渡った。彼女自身は戦争花嫁だとは思っていない。なぜなら星光さんはアメリカで生まれた二世ではあるが、幼少期から青年期までを日本で過ごしたいわゆる帰米二世であるからだ。日本人という同人種ゆえに国際結婚とは位置づけていないのである。しかし、アメリカ国籍をもつ日系二世のG・Iと、日本人女性との結婚は、敗戦後の国際結婚の歴史なかでも重要な位置を占める。飯沼信子さんのケースを取り上げることによって、研究上、焦点が当てられてこなかった帰米二世との「国際結婚」について考察していく。
著者
二宮 周平 立石 直子 金 成恩 嘉本 伊都子 高田 恭子 梅澤 彩 松久 和彦 松村 歌子 佐々木 健
出版者
立命館大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

3つの研究チームを設け、第1に「子の養育保障システム」として、①離婚後の親権・監護権の共同化、②面会交流の継続的実施を保障する仕組み、③養育費の分担と履行確保の仕組みを取り上げ、第2に「子の意思反映システム」として、④子の意見表明の保障、⑤子への情報提供、⑥子どもの手続代理人の活用を取り上げ、第3に「合意解決促進システム」として、⑦協議離婚、家事調停各段階の合意解決の促進、⑧DV事案への対応、⑨国際離婚とハーグ条約への対応を取り上げ、実務や隣接諸科学等からの検証を受け、現実的な「親の別居・親の離婚における子どもの権利保障システム」を構築する。