著者
北村 宗彬
出版者
一般社団法人 日本メディア英語学会
雑誌
時事英語学研究 (ISSN:21861420)
巻号頁・発行日
vol.1979, no.18, pp.74-81, 1979-09-10 (Released:2012-11-13)

語学教育研究所の故比屋根安雄主事は常に「英語は実技として身体で覚えさせなければならない」と主張されていた。そして「そういう指導のできる先生があまりいない」と嘆きながら他界された。その比屋根先生のご推薦で語研の研究員にしていただいた私は、英語の教師というより、英語のコーチまたは監督として生徒の指導をしようと決心し、現在に至っている。幸い西脇順三郎先生のお宅が近く、ご子息の順一君が慶応義塾普通部で私の授業を受けることになったのがきっかけで、 (1) 外国語教育について同先生から徹底的な教えを受けたこと、 (2) 3年間のミシガン大学大学院留学中に、高名なFries, Lado, Pike, Marquardt, Twaddell, Peterson, その他の教授方の授業でいろいろな教育上のヒントを得たこと、さらに (3) 慶応普通部では1学年生徒250名の殆んど慶応高校へ進学するため、最低線上にある生徒にも、外部からの受験合格者に劣らない実力をつけねばならなかったこと-この3つの原因乃至理由によって、私は、普通部教諭時代に、いわゆる〈受験英語〉とは異った形式の英語の教え方をいくつか考案し実行することができたのである。現在、慶応義塾大学工学部で〈口語英語〉に基礎をおいた授業を担当しているが、その基本はこの時代につくられたものである。
著者
杉浦 正好
出版者
一般社団法人 日本メディア英語学会
雑誌
時事英語学研究 (ISSN:21861420)
巻号頁・発行日
vol.2005, no.44, pp.15-28, 2005-09-01 (Released:2012-11-13)
参考文献数
13

英語の借用語の大部分を占めるのはラテン語やフランス語などのインドヨーロッパ語族系の語彙であるが、日本語の流入も近年多くなりつつある。本稿では第一に、米国の辞典Merriam Webster's Collegiate Dictionary第10版のCD-ROMを利用し、英語の中にどのような日本語語彙が流入したかを通時的に考察した。第二に、この調査で見つかった125の語彙について、オークランド在住の84人のニュージーランド人を対象にどれほど認知されているかを定点観測してみた。その結果、(1)原語である日本語とは意味と用法が微妙に変化していること、(2)上記辞典に収集されている語彙全てが必ずしも一般に認知されているわけではないが着実に英語圏に進出していること、が分かった。比較データとして、コーパスを利用して編纂されたLongman Dictionary of ContemPorary English第4版をも参考にした。データの比較分析をしつつ、今後の研究の方向付けも探ってみた。
著者
新妻 絢
出版者
一般社団法人 日本メディア英語学会
雑誌
時事英語学研究 (ISSN:21861420)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.45, pp.29-42, 2006-09-01 (Released:2012-11-13)
参考文献数
23

本稿では、サイードの二項対立的言説に対する批判を分析することにより、ヒューマニズムにもとづく批評の重要性について論じた。二項対立的な言説は (1) 歪んだ理解を促す、 (2) 「他者」の排除につながる、 (3) 無意味な対立関係を作り出すという点で問題がある。二項対立的言説にとらわれない思考を人びとに促すためには、二項対立的思考に代わる理解の枠組みが必要である。ヒューマニズムにもとづく批評は、権力の側の排他的で好戦的な集団的アイデンティティの強化を目指す二項対立的な思考から、あらゆるものとのつながりを強調する新たな理解の枠組みへと転換を図るための一つの効果的な批評モデルである。
著者
渡辺 和幸
出版者
Japan Association for Media English Studies
雑誌
時事英語学研究 (ISSN:21861420)
巻号頁・発行日
vol.1977, no.16, pp.12-19, 1977

BBCニュースのアナウンサーの話す英語は "BBC English" とも言われ、イギリス英語の標準的なスタイルと言われてきたが、現在ではかつて程のprestigeはないそうである。また地方の方言を話す一般の人々の間には、BBCの英語は、特色のない、個性に欠けた単調な英語と映ることもあるらしい1。しかし、ラジオやテレビの普及で、BBCの用いる英語は、イギリス人の誰からも容易に理解される英語とされている。誰にでも理解されるという点で、ある人には特色のない、個性に欠けた言葉と映るのも仕方のないことであろう。<BR>一般的に言って、ニュースで用いられる英語そのものが、その性格上単調とならざるを得ないのである。講演とか演説とかに比べて速度が早いにもかかわらず、それでいて一語一語かなり明瞭に、しかも感情を入れずに、中立的に伝えるという制約を受けるニュース放送は本来やや単純で、単調な言葉の流れを生み出しがちである。しかしあまりformalで気取ったものでも困るし、それでいてvulgarにならないようにするために、どのような音声的スタイルを維持しているのであろうか。<BR>1969年7月と8月の国内放送 (NottinghamとLondonで録音したもの) 、1973年の国内放送 (Edinburghで友人三宅忠明氏に録音してもらったもの) を中心に、1970年から1976年までの海外放送を補助的資料として、BBCニュースの音声的特徴を吟味してみよう。
著者
野口 宏
出版者
一般社団法人 日本メディア英語学会
雑誌
時事英語学研究 (ISSN:21861420)
巻号頁・発行日
vol.1979, no.18, pp.54-62, 1979-09-10 (Released:2012-11-13)
参考文献数
7
著者
村田 いづみ
出版者
Japan Association for Media English Studies
雑誌
時事英語学研究 (ISSN:21861420)
巻号頁・発行日
vol.1988, no.27, pp.29-40, 1988

1986年9月22目、中曾根前首相は自民党全国研修会で講演し、その中で、次のような人種差別として米国の言論界から批難をあびる発言を行った。「日本は、これだけの高学歴社会になっておる。相当インテリジェントなソサエティーになってきておる。アメリカなんかよりはるかにそうです、平均点からみたら。アメリカには、黒人とかプエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって、平均的にみたら非常にまだ低い。」 (引用部分は、『中央公論』1986年11月146~162ページによる。) 当時、日本のマスコミは、総じて発言の重大さに気付かず、何紙かの新聞がわずかに報じただけであった。一方、ロイター通信が東京新聞の記事を引用しながら、同発言を米国へ向けて打電したのが契機となり、米国のマスコミ界はこの発言を大きく取りあげた。<BR>本論では、中曾根発言に関する投書を中心として、key words (phrases) による内容分析から抽出される目本人像について考察する。研究対象とした新聞は、日本で馴染の深い米国の代表的新聞、<I>New York Times, Washington Post, International Herald TribuneとLos Angeles Times</I>の4紙である。これらの新聞の、同発言に関する記事の取りあげ方は、表1に示す通りである。
著者
花木 亨
出版者
Japan Association for Media English Studies
雑誌
時事英語学研究 (ISSN:21861420)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.46, pp.49-62, 2007

1960年代以来、フォーク・ロック歌手ボブ・ディランは同時代のアメリカ社会を鋭い感受性と批評精神で捉え、その独創的な詩と音楽の世界によって大衆を魅了し続けてきた。本論では、ディランの半生を描いたマーティン・スコセッシ監督のドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』という文化的テクストを読み解くことで、現代アメリカ人たちにとってディランが持つ象徴的意味について考察する。はじめに、ボプ・ディランと『ノー・ディレクション・ホーム』を本考察の対象に選んだ理由を述べる。続いて、この映画に描かれるディラン像を簡単に吟味する。最後に、アメリカ社会に内在する他者としてのディランは、彼の生きる社会を内側から批評し、同時代のアメリカ人たちに自分を見っめなおす契機を与えてきたのではないかという一つの解釈を導き出す。
著者
Rodney A. Dunham
出版者
Japan Association for Media English Studies
雑誌
時事英語学研究 (ISSN:21861420)
巻号頁・発行日
vol.1993, no.32, pp.179-189, 1993-09-01 (Released:2012-11-13)
参考文献数
11

Culture and language are interrelated aspects of a society and represent the society's social reality. As differing societies come into contact, they are exposed to different social realities and need to alter their language to accommodate the new elements. Often this is done by adding loanwords. While this phenomenon is common to all languages, the concern here is with the borrowing of Japanese words by English-language mass media.Although individual English speakers who come into direct contact with a foreign culture are most affected, the mass media have a greater influence over the language as a whole. This is due to the increase in intercultural contact as the mass media creates a global community. The media are caught between the languages in that they must use English and yet report on things that are non-English. Closer observation of the media shows that the Japan-based media tend to use more Japanese words than do the media outside of Japan. In this way, one can see how closely language is tied to social reality and that increased cross-cultural contact changes each person's social reality proportionately. Cross-cultural contact through the mass media changes the language in a similar way.