著者
岩本 真理子
出版者
富山大学ヘルン(小泉八雲)研究会
雑誌
ヘルン研究 (ISSN:24328383)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.105-109, 2018-03-31

富山大学のヘルン文庫に保管されているハーンの蔵書には、意外なほど多くのドイツ文学作品が含まれている。それらはすべて英語またはフランス語訳であるが、これらの本はハーンがドイツ文学に深い関心を寄せていたことを示している。これを手掛かりの一つとしてハーンとドイツ文学の関係を調査し始めたところ、ドイツ語圏でのハーン受容に関して興味深い事実が明らかになってきた。ハーン作品のドイツ語版が初めて出版されたのは彼の他界の翌年、1905年である。ドイツ語版は1905 年のKokoro を皮切りに毎年一冊ずつ出版され、1910 年には六巻からなるハーン著作集が出揃った。このドイツ語版著作集を詳細に調べると、ドイツ語圏でのハーン受容にユダヤ系文化人たちが関わっていたという意外な事実が浮かび上がってくる。
著者
池田 志郎
出版者
富山大学ヘルン(小泉八雲)研究会
雑誌
ヘルン研究 (ISSN:24328383)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.66-76, 2017-03

ラフカディオ・ハーン(1850-1904)の『怪談』(Kwaidan 1904)は、日本のみならず海外でもよく読まれている。また、日本では、中学校や高校の英語教科書にも「ムジナ」や「雪女」などが掲載されている。しかし、そもそも、なぜハーンは日本に伝わる昔話や説話などから、それらの物語を選んで『怪談』を作り上げたのだろうか。そこにはハーンを引き付けた何かがあったはずである。『怪談』の話には種本があることは本人も明らかにしているが、当然のことながらそれは単なる翻訳ではなく、ハーンなりの理解や解釈が入ったものである。それらの物語を読んでみると、孤独感、孤立感、疎外感など「ひとりであること」からくる感情が頻繁に見て取れる。そこで、本論考では、『怪談』の中から「雪女」と「耳なし芳一」を取り上げ、登場人物たちの「ひとりであること」がハーンにとってどのような意味を持っているのかについて考えてみたい。
著者
河野 龍也
出版者
富山大学ヘルン(小泉八雲)研究会
雑誌
ヘルン研究 (ISSN:24328383)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.55-63, 2018-03-31

本稿では、大正作家に対するハーンの影響力が最も顕著に現れた例として佐藤春夫を取り上げ、まずは春夫の直接的な言及からそのハーン観を観察する。次にデビュー作「田園の憂鬱」と翻訳「孟沂の話」を取り上げ、ハーンの思想や文学手法が春夫の創作活動にどう活かされたかをより具体的に検証することで、第一書房版『邦訳小泉八雲全集』(1926-1928)刊行以前の近代日本文学におけるハーン受容の一端を明らかにしてみたい。
著者
池田 志郎
出版者
富山大学ヘルン(小泉八雲)研究会
雑誌
ヘルン研究 (ISSN:24328383)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.66-76, 2017-03

ラフカディオ・ハーン(1850-1904)の『怪談』(Kwaidan 1904)は、日本のみならず海外でもよく読まれている。また、日本では、中学校や高校の英語教科書にも「ムジナ」や「雪女」などが掲載されている。しかし、そもそも、なぜハーンは日本に伝わる昔話や説話などから、それらの物語を選んで『怪談』を作り上げたのだろうか。そこにはハーンを引き付けた何かがあったはずである。『怪談』の話には種本があることは本人も明らかにしているが、当然のことながらそれは単なる翻訳ではなく、ハーンなりの理解や解釈が入ったものである。それらの物語を読んでみると、孤独感、孤立感、疎外感など「ひとりであること」からくる感情が頻繁に見て取れる。そこで、本論考では、『怪談』の中から「雪女」と「耳なし芳一」を取り上げ、登場人物たちの「ひとりであること」がハーンにとってどのような意味を持っているのかについて考えてみたい。
著者
河野 龍也
出版者
富山大学ヘルン(小泉八雲)研究会
雑誌
ヘルン研究 (ISSN:24328383)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.55-63, 2018-03-31

本稿では、大正作家に対するハーンの影響力が最も顕著に現れた例として佐藤春夫を取り上げ、まずは春夫の直接的な言及からそのハーン観を観察する。次にデビュー作「田園の憂鬱」と翻訳「孟沂の話」を取り上げ、ハーンの思想や文学手法が春夫の創作活動にどう活かされたかをより具体的に検証することで、第一書房版『邦訳小泉八雲全集』(1926-1928)刊行以前の近代日本文学におけるハーン受容の一端を明らかにしてみたい。
著者
石井 花
出版者
富山大学ヘルン(小泉八雲)研究会
雑誌
ヘルン研究 (ISSN:24328383)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.54-84, 2019-03-31

小泉八雲の再話文学の中には特殊な形態で出版されたものがある。それは、ちりめん本である。八雲のちりめん本は長谷川弘文社から5冊刊行されており、よく知られたものとしては楊枝の妖精が登場する『ちんちん小袴』(Chin Chin Kobakama)が挙げられ、八雲の再話文学を研究するにあたってこれらちりめん本は無視できない重要な作品であるといえる。本稿では、第1章でまず八雲がちりめん本に惹きつけられ、実際に長谷川弘文社から自身のちりめん本を刊行するまでの経緯について書簡を引用しながら整理し、第2章で『若返りの泉』が成立した過程を明らかにしていく。
著者
結城 史郎
出版者
富山大学ヘルン(小泉八雲)研究会
雑誌
ヘルン研究 (ISSN:24328383)
巻号頁・発行日
no.1, pp.37-49, 2018-03

Lafcadio Hearn's mother tongue was English, although he also spoke some French and of course Japanese. He wrote in English and was undoubtedly influenced by Irish folklore, legends and culture. Hearn in a letter to W. B. Yeats once wrote, "I had a Connaught nurse who told me fairy tales and ghost stories." So, with his deep interest in and knowledge of Irish Legends, and in particular the story of Oisin and Tir na nOg, Hearn was well positioned to make comparisons between Japanese and Irish legends and thereby to complain of Urashima Taro's easy death, when he wrote "The Dream of a Summer Day" included in his Out of the East.Hearn seems to have in mind the legend of Oisin when he says, "Things are quite differently managed in the West." In the legend of Oisin the hero does not voluntarily break his promise with Niamh. Furthermore, following his downfall, Oisin, although an ancient man, remained alive and led a solitary life in this world to the last. Hearn was equally fascinated by the legend of Urashima Taro, but he might have been simultaneously forced to compare the relatively swift and easy death, without long suffering, of Urashima Taro, as against that of Oisin. It is difficult to find plausible conclusions for Hearn's emotional wavering.In order to examine the question I first of all took up the legend of Urashima Taro along with the legend of Oisin. Secondly, I elucidated Hearn's Western views on the legend of Urashima Taro. Thirdly, I broadened my points to examine the communion with the other world in comparison with the story''Yuki-Onna" included in Kwaidan. Lastly, I compared the difference between the West and the East to be explored in the story and discussed Hearn's impact on Japanese culture. Hearn had a keen interest in the folklore of Japan and rewrote it as stories with literary fragrance. His method is called retelling or adaptation. Hearn was a superior writer who could spread his wing of imagination.In those days, the Japanese supported the idea to "Quit Asia and Join Europe." Indeed, Hearn rewrote many stories about Japanese culture which we ourselves had forgotten. Japan enthusiastically imported Western culture and disrobed its own clothes. In doing so, the Japanese also lost sight of their love of nature. When we reflect on such historical flow, we Japanese feel that Hearn's foresight on Japanese culture was precocious. However, we ourselves are now reflecting nostalgically on traditional Japanese culture. Of course, if we didn't accept European cultures, we could not have developed as we did, but we are particularly conscious of our own lost culture in the current global world.Anyway, Hearn contributed to spinning beautiful stories out of crude Japanese folklore. But, in addition, Hearn could assimilate into Japanese culture and introduce them to the Western world. We cannot praise his exploits too much. What he has done for Japan is that he uncovered traditional values buried in the unconscious of the Japanese people and introduced those values abroad while at the same time enlightening the Japanese.Hearn's stories remind us of what Japanese are and how we are constructed, because he rewrote our own traditional values. Hearn might have been worried more than anyone else at the time with the loss of Japanese culture. Hearn's stories move us because they touch our heartstrings. This is true of''Yuki-Onna." It speaks to us of a cosmic human harmony with nature.
著者
廣松 勲
出版者
富山大学ヘルン(小泉八雲)研究会
雑誌
ヘルン研究 (ISSN:24328383)
巻号頁・発行日
no.2, pp.31-35, 2017-03

複数の言語文化を横断したラフカディオ・ハーンの生涯において、マルティニック島での生活は比較的短い期間であった(1887年から1889年)。とはいえ、旧首都であるサン・ピエールに滞在したハーンは、ルイジアナや日本でのように民話や諺等の聞き書きを続けながら、当該地域の19世紀末の言語・文化・社会に関する貴重な資料を残した人物として知られている。本発表では、このようなマルティニックの社会文化的背景を確認した上で、この時代のハーンが残した作品群について簡単に紹介を行った。次に、当該地域におけるハーン受容の一つの事例として、ハーンのマルティニック滞在に関する作品を発表した作家・民族学者イナ・セゼール(Ina Césaire)の小説『私はシリリア、ラフカディオ・ハーンの女家庭教師:1888年、マルティニック島サン・ピエールにおける言葉のやり取り』について、内容と形式の両面から分析を行った。
著者
水野 真理子
出版者
富山大学ヘルン(小泉八雲)研究会
雑誌
ヘルン研究
巻号頁・発行日
vol.4, pp.28-40, 2019-03-31

アメリカにおける日本表象の系譜について考察する際には、ハーンの日本関連著作の検討は避けられないだろう。それと同時に、近年注目を集めている女性作家エツ・スギモト(杉本鉞子)による『武士の娘』(A Daughter of the Samurai)(1925)を代表作とした彼女の数々の作品も、分析対象にする必要があると思われる。そこで、両者の作品を日本表象の観点から比較し、類似点、および相違点などを確認したい。さらにハーンとスギモトがアメリカの作家や後に続く日本文化論者に、どのように評価されたのかを探ってみたいと思う。そして、そこで得られた結論を、今後の日本表象の系譜考察の一助としたい。
著者
長岡 真吾
出版者
富山大学ヘルン(小泉八雲)研究会
雑誌
ヘルン研究 (ISSN:24328383)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.36-39, 2017-03

ラフカディオ・ハーン(1850-1904)の研究者である牧野陽子は『神々の国の首都』(平川祐弘訳)の「解説」のなかで、ハーンが日本人読者に受け入れられる理由について次のように述べている。「ハーンの叙述には、日本を見る目の暖かさと、外見ではなしにその奥の心までくみとる深い理解力がにじみでており、彼の描く明治日本の風物は魂の郷愁に似た懐かしさを読者に覚えさせ、そこには現代日本人の忘れかけた古き良き日本の姿があるといえる」(387)。しかし、日本からすれば異文化出身であるハーンが、なぜ日本人読者に「奥の心までくみとる深い理解力」があると感じさせるのであろうか。あるいは、そのように読者に感じさせるハーンの文章にはどのような特徴があるのだろうか。