著者
石井田 恵 Megumi Ishiida
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.65-89, 2021-03-31

近年、アメリカにおけるキリスト教シオニストの影響力に注目が集まっている。しかし、キリスト教シオニズムは1990 年代以降、東アジアでも影響力を拡大しつつある。このうち、一部の国や地域における特定の団体についての研究は存在するが、それらを体系的に扱った研究はない。そのため、一部の団体に特徴的な--いわば個別的事例を、キリスト教シオニズムに普遍的な事柄と見なし、この運動の実像を見誤る結果を招来しかねない。そこで、本稿では韓国、中文圏、日本におけるキリスト教シオニズムの歴史的展開を辿り、様々な団体による宣教活動、政治活動について概観する。そして、それぞれの組織に共通する特徴が見られる一方で、宣教活動や政治に対する積極性に関しては、差が認められること--多様性が見られることを、指摘する。また、その違いは各国のキリスト教シオニストが置かれている社会的状況や文化的違いを反映している可能性を示唆する。
著者
松山 洋平 マツヤマ ヨウヘイ Matsuyama Yohei
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.89-101, 2014-03-31

本稿の目的は、「不信仰の地」においてイスラームがいかに語られるべきかという課題に対するイスラームの神学的基盤を提示することである。そのために本稿では、スンナ派の代表的神学派の一つであるマートゥリーディー学派の信仰論に着目し、「不信仰の地」の非ムスリムの地位と、「不信仰の地」における信仰の要件の議論を考察する。マートゥリーディー学派においては、イスラームの教説が知られていない地域=「不信仰の地」の人間にも、造物者の存在を認識する義務が課される。これは一見「厳しい」見解であるが、この教説は逆説的に、「不信仰の地」においては、イスラームの正しい知識に基づかない神信仰が全き信仰として承認されるとする言説を生む。つまり、「不信仰の地」において人は、造物者の承認一点をもって信仰者として承認される。この圏域においてイスラームという宗教は、固有の信仰箇条の総体としての実定宗教としてよりも、唯一神信仰を呼びかける包括的メッセージとしての側面を強調し、提示されるべきである。This paper considers the theological basis for re-thinking how Islam is to be represented to non-Muslims in a land of infidelity, where little or no teachings and practices of Islam are known, with special reference to theories of Māturīdism. Regarding the theory on those who did not receive the propagation of Islam, Māturīdism, contrary to Ash`arism, does not acknowledge their immunity from the responsibility of believing in the Creator's existence, and requires them to have faith in it based on `aql (reason). This idea results in an attitude that validates the faith of an individual in a land of infidelity, who lacks knowledge about the essentials of the Islamic creed and does not fulfill core religious duties, and regards him as a true believer. This tenet of Māturīdism leads to the idea that in a land of infidelity, Islam could assume the form of a comprehensive call to monotheism, not the form of a positive religion, or cluster of specific tenets.
著者
平野 貴大 Takahiro Hirano
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.99-119, 2019-03-31

本稿の目的は、現在のイランの最高指導者であるハーメネイーのシャイフ・ムフィード観を分析することで、現代のシーア派学者が同派とムウタズィラ派との教義上の類似性をどのように説明するのかを解明することである。その分析を通じて、ハーメネイーをムフィードの学統に繋がる中道的な法学者・神学者として位置づけることも目指す。欧米研究者の通説によれば、ムフィードはムウタズィラ派をイマーム派に導入した、もしくはムウタズィラ派に強く影響を受けた合理主義者であるとされる。ハーメネイーは欧米研究者のムフィード観を批判し、ムフィードは法学と神学における伝承主義と合理主義の中道的な学統の創始者であると主張した。シーア派がムウタズィラ派を導入したという主張を否定することは、ハーメネイー独自の学説ではなく、シーア派学者の間の定説となっていた。以上より、保守派/原理主義者とみなされる傾向にあったハーメネイーはムフィードの学統に繋がる中道的な法学者・神学者として再評価されるべきであるといえる。
著者
石井田 恵 Megumi Ishiida
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.58-77, 2019-03-31

近年、キリスト教シオニズムは、世界情勢を理解する上で看過できないグループとして存在感を増してきている。キリスト教シオニズムは欧米だけでなく、日本にも存在する。中田重治(1870-1939)は、日本ホーリネス教会の源流となった伝道者である。中田はユダヤ人に強い関心を持ち、1932年以降、イスラエル主義への傾倒を強めた。そして、世界の終わりにイスラエルが回復され、その時、日本人が軍事的および宗教的な使命を果たすと主張した。本稿ではイスラエル主義とも呼ばれる中田の晩年の思想を、日本におけるキリスト教シオニズムの一例として考察し、中田がユダヤ人の回復に救済史的意味を認め、ユダヤ人に過度な理想を投影していた可能性、さらにそれが多重的なユダヤ人理解を形成させ、結果的に、反ユダヤ主義を批判した中田を無意識的に反ユダヤ主義的にさせた可能性を指摘する。また、考察を通して、キリスト教シオニズムが一部のクリスチャンに支持されている理由、キリスト教シオニズムが抱える課題を明らかにすることを目指す。
著者
島田 大輔 Daisuke Shimada
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.64-86, 2015-03-31

本稿は、戦前期日本における回教政策に関して、大日本回教協会を中心に実証・分析を加えたものである。従来の研究では、一次史料の収集・比較分析は不十分であり、必ずしも実態が明らかではなかった。第一に、あまり分析されてこなかった四王天延孝会長期も含めて、回教協会の組織運営・諸活動の実態を通史的に明らかにした。第二に、日本政府からの補助金・事業指示の分析をもとにして、大日本回教協会を、外務省の回教政策を実行するために設立された、外務省の外郭団体だと明らかにした。第三に、陸軍の回教政策とは異なった観点に立つ、外務省の回教政策の内実を明らかにした。外務省の回教政策とはすなわち、中東を中心に全イスラーム世界を対象とし、手法として文化工作を最重視することであった。極東占領地内に回教政策を局限した陸軍との間にはある種の棲み分けがなされていた。ただし、戦局の悪化、回教協会に対する大東亜省の影響力増の結果、以上の図式は崩されることになった。
著者
早藤 史恵 ハヤフジ フミエ Hayafuji Fumie
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.19-34, 2018-03-31

マルコ14章3-9節、マタイ26章6-13節に記される「イエスに香油を注いだ女」の物語で、イエスは女の行為に対し「わたしに良いことをしてくれたのだ」と告げる。一般に、ギリシア語で「良い」を表す語はagathosやkalosである。この物語では、両福音書とも、kalosが使われている。kalosは古典ギリシア語においては、主に美しさを指すことばであり、非常に重要な意味を持つ。一方、七十人訳聖書においては、耽美的な側面が退くとともに、そのことばの持つ意味合いも、古典ギリシアほどの重要性はないといわれてきている。本稿では、七十人訳聖書におけるkalosの使用法を探ることにより、従来の語義的説明の妥当性を再検討し、kalosの持つ意味の広がりや深さについて論考する。その中で、同義語であるagathosとの違い、kalosと「真」、「神の喜び」との関係を明らかにし、さらには、七十人訳聖書におけるkalosの重要性にも言及する。これらを通して、上掲の物語を解釈する手がかりをつかむ。In the story "A Woman who Anoints Jesus" (MK14:3-9, MT26:6-13), Jesus says, "She has done a good thing to me." Generally speaking, in Greek, the words which denote "good" are agathos and kalos. In this story, kalos is used. In the ancient Greek, kalos is the word which mainly means "beauty," and it has a very important meaning. On the other hand, in LXX, they say that the aesthetic aspect is not emphasized; moreover the meaning and the role of the word becomes less important. In this thesis, I review the usual semantic explanations by studying the use of kalos in LXX, and I argue about the extent and depth of the meaning of kalos. I reveal how kalos differs from agathos. I also expand the relationship between the word kalos and "truth" and "joy of God." Moreover, I refer to the importance of kalos in LXX. From this, I look for clues to interpret the story.
著者
神田 愛子 カンダ アイコ Kanda Aiko
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.17-32, 2014-03-31

12世紀のユダヤ思想家マイモニデス(1138-1204)は、スペインのコルドバでラビの家系に生まれ育った。当時この地域はムワッヒド朝(1130-1269)下にあり、迫害を逃れるため一家はアンダルス南部と北アフリカを流転、モロッコのフェズ、イスラエルの港町アッコを経てカイロ旧市街フスタートに定住、自身はアイユーブ朝(1171-1250)の宮廷医となる。彼の著作には、アンダルス時代の『論理学』(Maqāla fī ṣināʿat al-manṭiq)や、ユダヤ暦に関する『置閏法』(Maʾamar ha-ʿibbur, 1157/1158)、転居後に執筆した『ミシュナー註解』(Pirush ha-mishnayot, 1161-1168)、『イエメン書簡』(Iggeret Teman, 1172)、『ミシュネー・トーラー』(Mishneh Torah, 1168-1177)、また哲学的著作『迷える者の手引き』(Dalālat al-ḥāʾirīn, 1185-1191)、『復活論』(Maʾamar tehiyyat ha-metim, 1191)の他、地中海沿岸のユダヤ共同体に書き送ったレスポンサや書簡が残存している。イスラーム王朝興亡の只中にあって、ユダヤ人のラビとして、またイスラーム王朝の宮廷医として、彼の遍歴が彼の著作にどう反映したのかを、『イエメン書簡』を中心に考察する。Moses Maimonides was born and grew up in Cordoba, Spain. At that time, Al-Andalus was under the control of the Almohad (1130-1269). Maimonides' family moved around Southern Spain and North Africa, through Fez and Acre, and finally settled in Fustat. He became a physician of the Ayyubid (1171-1250). His works include Treatise on the Art of Logic (Maqāla fī ṣināʿat al-manṭiq) and On the Jewish Calendar (Maʾamar ha-ʿibbur, 1157/1158), written during his stay in Al-Andalus; Commentary on the Mishnar (Pirush ha-mishnayot, 1161-1168), Epistle to Yemen (Iggeret Teman, 1172), and MishnehTorah (Mishneh Torah, 1168-1177) written after he settled in Fustat. His philosophical works include The Guide of the Perplexed (Dalālat al-ḥāʾirīn, 1185-1191) and The Treatise on Resurrection (Maʾamar tehiyyat ha-metim, 1191). Other works of Maimonides are responsa and epistles sent to the Jewish communities in the Mediterranean region. This essay will examine how his biography and the socio-political environment affected his works, in particular, Epistle to Yemen.
著者
加納 和寛 Kazuhiro Kano
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.49-68, 2014-03-31

第二次世界大戦後のドイツが国内外のユダヤ人・ユダヤ教に関して「贖罪」の態度を取り続けているのは言を俟たない。こうした中で、ドイツ国内のユダヤ人数は、1990年頃を境として突如急増する。これは旧ソ連に居住していたユダヤ人が流入したためであり、彼らはユダヤ人ではあるがナチスに迫害された者やその関係者とは限らない。この新しい状況のもと、ヴッパータール市バルメン地区にある、1934年にナチスに反対する第一回告白教会会議が開催され、いわゆる「バルメン宣言」が採択されたゲマルケ教会(ラインラント州教会所属)の敷地の一角に2002年、ゲマルケ教会および州教会の全面協力のもと、新たにユダヤ教のシナゴーグが建設された。このことをバルメン宣言と関連づけて評価する向きもある中で、これまでの「贖罪」モデルに加えたキリスト教とユダヤ教の新たな対話や共存の可能性について、ドイツにおける両者の社会的共存の現実を踏まえつつ、神学的および信仰的な交流の実態と理想とについて検討する。
著者
辻坂 真也 Shinya Tsujisaka
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.1-20, 2021-03-31

紀元前4千年紀から、3千年紀末期までの古代メソポタミアにおいて、シュメールの神エンリルは、シュメール人の王権において重要な立場を担っていた。この神はしばしば、王権や、杖、国土などの授与者として現れていた。シュメール人最後の王朝であるウル第三王朝は、王の神格化を行っていたことで知られるが、この時代は王だけでなく、神エンリルと関わりの深い存在も神格化していることが確認できた。特に顕著だった事例が、神エンリルの玉座であり、この玉座は神格化されるだけでなく、神エンリルと並んで神殿に配置され、そして供物を受け取っていた。これはウル第三王朝において、玉座がその所有者の代理を務めるという機能を得ていたためであった。本論の目的は、エンリルの王権神としての役割の発展を分析すること、そしてウル第三王朝期における、神エンリルと関係する事物の神格化と、王の神格化の関係を検討することである。
著者
神田 愛子 Aiko Kanda
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.17-32, 2014-03-31

12世紀のユダヤ思想家マイモニデス(1138-1204)は、スペインのコルドバでラビの家系に生まれ育った。当時この地域はムワッヒド朝(1130-1269)下にあり、迫害を逃れるため一家はアンダルス南部と北アフリカを流転、モロッコのフェズ、イスラエルの港町アッコを経てカイロ旧市街フスタートに定住、自身はアイユーブ朝(1171-1250)の宮廷医となる。彼の著作には、アンダルス時代の『論理学』(Maqāla fī ṣināʿat al-manṭiq)や、ユダヤ暦に関する『置閏法』(Maʾamar ha-ʿibbur, 1157/1158)、転居後に執筆した『ミシュナー註解』(Pirush ha-mishnayot, 1161-1168)、『イエメン書簡』(Iggeret Teman, 1172)、『ミシュネー・トーラー』(Mishneh Torah, 1168-1177)、また哲学的著作『迷える者の手引き』(Dalālat al-ḥāʾirīn, 1185-1191)、『復活論』(Maʾamar tehiyyat ha-metim, 1191)の他、地中海沿岸のユダヤ共同体に書き送ったレスポンサや書簡が残存している。イスラーム王朝興亡の只中にあって、ユダヤ人のラビとして、またイスラーム王朝の宮廷医として、彼の遍歴が彼の著作にどう反映したのかを、『イエメン書簡』を中心に考察する。
著者
辻 圭秋 Yoshiaki Tsuji
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
no.1, pp.15-26, 2010-02-28

本論文は、「イスラーイーリーヤート」という概念に対する理解を、(1)現代イスラーム世界のウラマー、(2)I.Goldziher、(3)S.D.Goitein、の三者から探り、Goiteinのイスラーイーリーヤート理解が前二者とは大きく異なることを明らかにする。(1)現代イスラーム世界のウラマーによるイスラーイーリーヤート理解は、「ユダヤ教・キリスト教的な信頼できない言説の総体」であり、実際にユダヤ教に由来するかどうかは問わない。(2)Goldziherも、個々の言説のユダヤ教的来歴を問題として俎上に載せることはあっても、大部分はウラマーの規定に従っている。他方、(3)Goiteinはイスラーイーリーヤートを、「ユダヤ教に由来する言説」と理解する。Goiteinによるイスラーイーリーヤート研究の方法論は、ユダヤ学における教父研究に近いものであり、一神教研究のみならず、イスラーム・ユダヤ教交渉史を考える上で極めて有益な知見をもたらすものであることを明らかにする。
著者
山本 孟 Hajime Yamamoto
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
no.11, pp.1-15, 2020-03-31

ヒッタイト王国は前2千年紀のアナトリア中央を中心に栄えた王国である。前13世紀のヒッタイト王ハットゥシリ3世が作成した『ハットゥシリ3世の弁明』という文書には、王と王妃プドゥヘパの「愛」について述べられる箇所がある。本稿では、この文書において王と王妃の愛が語られる理由を、ヒッタイト語で「愛」と訳される語の用例から考察する。愛にかんする語の用例には、男女の関係としての「愛」と支配者の関係としての「愛」がある。このことを踏まえると、ハットゥシリとプドゥヘパの「愛のある関係」とは、イシュタル神の力で異性として惹かれ合い、夫婦として調和のとれた様子を意味したと理解される。加えて、政治的文脈で使用される用例からは、支配者たちが契約関係を結ぶための法的根拠となる術語であったこともわかる。したがって、『ハットゥシリ3世の弁明』にみられる「愛」とは、愛情をもった夫婦であることを示すと同時に、ハットゥシリ3世が政治的なパートナーとしてプドゥヘパの高い地位を法的に認めるために言及したものと考えられる。The Hittite text known as the Apology of Ḫattušili III (CTH 81) mentions "love" between the king Ḫattušili III and his queen Puduḫepa. This paper reveals the reason their "love" was narrated in the text from an analysis of the usage of Hittite words that indicate "love." Their love, which was granted by the goddess Ištar/Šauška, shows how they were attracted to each other, and in harmony, became husband and wife. In the political context, love between rulers was cited as legal act, therefore in Ḫattušili III and Puduḫepa case, it justifies the couple's binding in a political partnership. Thus, with the inclusion of episodes describing their love, Ḫattušili III might had intended to show the legal recognition of Puduḫepa's high status in the Hittite royal family being almost equal to that of her husband as well as to show that their affection was indeed granted by Ištar.
著者
山下 壮起 ヤマシタ ソウキ Yamashita Soki
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
no.1, pp.39-51, 2010-02-28

ネイション・オブ・イスラーム(以下NOI)は、ブラックナショナリズムを基盤にした教義と指導者ルイス・ファラカンのカリスマによって、現代の黒人社会において影響力を持っている。1984 年の大統領選挙をきっかけに、NOI は大きな転換を見せた。それまで批判してきた黒人教会と連帯することで黒人社会への影響力を強化し、アメリカ政治に積極的に参与するようになったのである。黒人社会の支持を獲得したファラカンは、ブラックナショナリズムのリーダーとして黒人社会の感情に即した政治的終末論を展開してきた。しかし、彼の終末論は、時代によってその内容に非一貫性が見られる。それは、アメリカに対する黒人社会の感情の変化に対応し、そこからの支持を維持するためであった。本論文は、1984 年と2008 年の大統領選挙戦の比較を通してファラカンの非一貫性を分析し、その背景にあるものを明らかにするものである。
著者
平岡 光太郎 ヒラオカ コウタロウ Hiraoka Kotaro
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
no.1, pp.52-64, 2010-02-28

北米では第二次世界大戦後にユダヤ学が人文科学の内の一学問と認識されるようになり、2005 年にはユダヤ学に関する分野の学位授与を行なう機関の数が70 以上に及ぶ。一方、日本ではとくに近年になって、ユダヤ学の興隆が見られるようになった。現在では、ユダヤを対象とする主要な研究会・学会として、「日本ユダヤ学会(旧称:日本イスラエル文化研究会):1960-」、「神戸・ユダヤ文化研究会(旧称:日本・ユダヤ文化研究会):1995-」、「京都ユダヤ思想学会:2008-」を挙げることができる。本稿では、それらの学術団体の趣意書などの考察を通して、日本においてユダヤ学がどのような方法や目的を設定しているかを確認し、日本のユダヤ学史の一端を示すことを試みる。
著者
木村 風雅 キムラ フウガ Kimura Fuga
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.78-95, 2018-03-31

ガザーリーは西欧でも中世からアルガゼルの名で知られ、多くの研究が蓄積されている。従来の研究では、ガザーリーを高踏的な思弁神学者あるいは哲学者と見做し、彼の宗教思想もアシュアリー派神学、あるいはイブン・シーナーなどの哲学者との比較を通じて分析されることが多かった。しかし、思弁神学的側面からのみ彼の信仰論を考えることは、晩年に思弁神学への批判を通じて独自の思想を展開した彼の全体像を理解するには不十分である。本稿では、従来のガザーリーの研究史を批判的に検討し、ガザーリー自身が思弁神学に対してどのような評価を行っていたのかを再検討しながら、思弁神学とは別の場所で信仰の成立を構想していた彼独自の信仰理論を検証する。その際、字義的には人間の気性や気質、天性を意味するフィトラの概念に着目し、彼がフィトラ概念を手掛かりに、実定宗教としてのイスラームを相対化する形で、唯一神信仰の新たなあり方を模索していたことを指摘する。Al-Ghazālī has been known as Algazel in Western Europe since the Middle Ages, and there is considerable research about him. In previous studies, he has been recognized as an intellectual speculative theologian or a philosopher, and his thoughts have often been compared with those of al-Asha'rīyah and Avicenna. However, it is not enough to research his faith theory only from a speculative theological perspective, especially because he developed his thoughts through his criticisms against conventional theology in his later years. In this paper, we examine critical historical studies about al-Ghazālī as a theologian. Re-examining his evaluation of the speculative theology(kalām), we research his original faith theory, which does not need the speculative theological methods. We then point out that he uses one of his key theological terms, fiṭrah, to seek primitively monotheistic faith from existing Islam.
著者
渡邉 典子 ワタナベ ノリコ Watanabe Noriko
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.43-59, 2011-03-31

1970 年代の日本の新新宗教ブームを牽引したGLA(God Light Association)総合本部の二代目の教祖高橋佳子は会員に「ミカエル」1 と信じられており、会員にカウンセリング的なふりかえり(「神理」という教えの実践)技法やスピリチュアルなターミナルケア2 を提供している。現代のGLA 会員の活動からは、個人化・グローバル化社会で競争を強いられている人々や、感情労働3 を求められるサーヴィス業の人々に支持されるようなスピリチュアルな「心の技法」が見出せる。この「心の技法」へのニーズにより、刺激反応図式の古典的パラダイムの主体が刺激に反応する受動的な存在であったことに対し、現代の主体とは、自己の行動をコントロールする能動的な存在であることを示し、そこに至る心身管理の自己責任性の重視を考察する。そして、GLA の神観、初代教祖高橋信次や弟子らのチャネリング4、瞑想や座禅などの「心の技法」を題材に、後期資本主義時代の新新宗教の教説の「心理主義化」傾向を分析するKeiko TAKAHASHI, the present leader of God Light Association (GLA), one of the Japanese neo new religious movements from the 1970's, is called as "Mikhail" by members, and she offers terminal care for members, which is a kind of spiritual counseling. We can observe from GLA activities a desire for "the technique of the heart" by the people in the service industry doing emotional labor, and they are forced to compete in individualized and globalized society. By analyzing the technique of the heart, it is argued that the old modern self was just a passive actor who behaves in response to external stimulation, and that today's self should actively control his or her own behavior with the emphasis on self-responsibility. Also, from the view point of GLA's God image, channeling by the founder Shinzi TAKAHASHI and his disciples, and Zen meditation, doctrines of neo new religions in the late capitalism are fairly "psychologized".
著者
辻 圭秋 ツジ ヨシアキ Tsuji Yoshiaki
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.37-50, 2015-03-31

イエメン・ユダヤ詩の特徴は多岐にわたるが、その中でも特に興味深いものに、アラビア語で「ジャワーブJawāb」、ヘブライ語で「シール・マアネー Shir Ma'ane」と呼ばれる作詩技法がある。ジャワーブには二類型あり、アラブ詩学の用語でいう「ムアーラダMuʿāraḍa」、及び「ズィヤーダZiyāda」という二つの技法を含む概念である。前者は、先行する特定の詩と同じ韻律・押韻・主題・特徴的な単語でもって作詩したものであり、元の詩を知る者には瞬時にどの詩を元に作られたのか判別できる。後者は、先行する詩を基に作詩するのは同様であるが、その先行する詩に手を加えることなく、その上に作詞者による新しい詩句を付け加え、全く新しい詩を作り出す技法である。このジャワーブ、なかんずくズィヤーダはイエメン詩に集中的に観察されるが、従来研究者の注意をあまり引いてこなかった。本論文では形式からみたその技法の分類を示し、またその形式によってもたらされる特徴を示す。Being influenced by Jewish academic centers such as Jerusalem, Babylonia and so on, Yemenite Jewry have long created their own poems. During the Spanish Golden Age, they passionately embraced the new style of Hebrew poems, and then, from the 17th century on, they succeeded in creating their own style, thanks to adopting the poetic technique of their Muslim neighbors. One of the unique features in the field of poetics that is loved by the Jews of Yemen, is undoubtedly the genre called in Arabic "Jawāb," which literally means "a Response (to a former poem)." Although this phenomenon has been known among researchers, there has still been no comprehensive study on this theme. In this introductory paper I suggest that, first of all, Jawāb poems can be divided into two categories, Muʿāraḍa and Ziyāda. Then I present the idea that Muʿāraḍa can be further sub-divided into two and Ziyāda into three categories, suggesting their uniqueness in terms of changing their original context.
著者
松山 洋平 マツヤマ ヨウヘイ Matsuyama Yohei
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.65-77, 2010-02-28

本稿の目的は、アメリカ合衆国で活躍するイラク出身のウラマー、ターハー・ジャービル・アル=アルワーニーの提起する「クルアーンの主権」理論と、そこから導出される政治論の意味、及びアルワーニーの思想全体に与えるそのインパクトを考察することにある。「クルアーンの主権」理論は、神の最終啓示であるクルアーンを啓示「封緘」以降の時代を生きる人間の行為規範における最高権威として規定し、クルアーンを人間的読解によって解釈する学的努力の必要性を主張する。それは、預言の「封緘」以前に適用されていた、強制的・直接的介入に基づく「神的主権」とは性質を異にする、神の新たな主権形態である。またアルワーニーは、「クルアーンの主権」実現の手段としてジハードを定義し、独自の政治論を展開する。この「クルアーンの主権」理論は、アルワーニーが提起する諸言論の理論的素地として、また「ウラマー」が発信する新しい「形式」のイスラーム思想の萌芽として認識することが可能である。
著者
島田 大輔 シマダ ダイスケ Shimada Daisuke
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.64-86, 2015-03-31

本稿は、戦前期日本における回教政策に関して、大日本回教協会を中心に実証・分析を加えたものである。従来の研究では、一次史料の収集・比較分析は不十分であり、必ずしも実態が明らかではなかった。第一に、あまり分析されてこなかった四王天延孝会長期も含めて、回教協会の組織運営・諸活動の実態を通史的に明らかにした。第二に、日本政府からの補助金・事業指示の分析をもとにして、大日本回教協会を、外務省の回教政策を実行するために設立された、外務省の外郭団体だと明らかにした。第三に、陸軍の回教政策とは異なった観点に立つ、外務省の回教政策の内実を明らかにした。外務省の回教政策とはすなわち、中東を中心に全イスラーム世界を対象とし、手法として文化工作を最重視することであった。極東占領地内に回教政策を局限した陸軍との間にはある種の棲み分けがなされていた。ただし、戦局の悪化、回教協会に対する大東亜省の影響力増の結果、以上の図式は崩されることになった。This article focuses on the Islamic policy in prewar Japan. First, it traces the activities and organizational management of the Dai Nippon Kaikyo Kyokai (DNKK), from beginning to end. Secondly, by analyzing the business instructions and subsidies for the DNKK from the Japanese government, it becomes clear that the DNKK was established in order to execute the Islamic policy of the Ministry of Foreign Affairs (MFA). Thirdly, it makes clear the Islamic policy of the MFA, which takes a different point of view from the Army. The Islamic policy of the MFA targeted the entire Islamic world centering on the Middle East, and gave paramount weight to cultural activities. At first, segregation of the Islamic policy had been made between the MFA and the Army, because the Army confined its Islamic policy only in the occupied territories in the Far East. However, such segregation was collapsed later, as a result of the deterioration of the war situation and increased influence of the Ministry of Greater East Asia for the DNKK.