著者
高桑 いづみ
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.166, pp.131-152,図巻頭1p, 2011-03

紀州徳川家伝来楽器の内,国立歴史民俗博物館が所蔵する龍笛・能管あわせて27点について,熟覧及びX線透過撮影を通して調査を行った。その結果,高精度の電子顕微鏡によって従来「平樺巻」とされてきた青柳(H‒46‒39)が,樺ではなく籐ないしカラムシのような蔓を巻いていたことが判明し,仏像の姿に成形した錘を頭部に挿入した龍笛があることが判明するなど,従来の調査では得られない成果が多々あった。一方,付属文書と笛本体が一致しない例もあり,笛が入れ替わった虞れも考えられる。たとえば能管の賀松(H‒46‒53)は,付属品や頭部の頭金の文様から,『銘管録』に載る「古郷ノ錦」ではないかと推測される。いつの時期か不明だが,コレクションの実態が混乱したようである。時期は不明だが,紀州徳川家のコレクションは少しづつ散逸してきた。その事実と照らし合わせながら,今後さらなる調査が必要になるであろう。Among the musical instruments of the heirloom of Kishu-Tokugawa Family, 27 pieces of Ryuteki/ Nokan in total owned by the National Museum of Japanese History were investigated through close observation and radiography.Observation by a high precision electron microscope revealed that vine such as cane or calamus instead of birch was wound around Aoyagi (H46-39) , which had been considered to be "Hira kabamaki," and that some Ryuteki had a weight formed into a Buddha statue inserted into its head. This investigation produced many such new findings that had not been revealed by past research. There was a case where the pipe body did not agree with the accompanying document, and there is a possibility that the pipes changed places. As an example, it is inferred that the Nokan called Gasho (H46-53) is the "Kokyo no Nishiki" mentioned in Meikanroku, judging from the accessories and the pattern of Kashiragane ( decorative end cap) at the head. The specific time is not known, but there seems to have been confusion over the actual status of the collection. Since some point in time, Kishu Tokugawa Family's collection has been scattered and lost gradually. Further investigation is needed to check against the facts.
著者
岩田 浩太郎 イワタ コウタロウ
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.57-77, 2003-03

本稿では、近世荷主の経営帳簿に記載された「着値」の概念に関する検討を手がかりに、遠隔地間取引をおこなう荷主の価格計算・損益管理の方式について実証的な考察をおこなった。従来の研究では、「着値」の概念やその市場取引において持つ機能について掘り下げた検討がなされてこなかった。紅花生産地帯である羽州村山郡の商人や豪農、京都紅花屋の経営文書の分析から、以下の諸点をあきらかにした。(1)着値とは、商品がある地点に到着する迄にかかった総経費を実際額面ないし単位あたり原価で示すもので、流通過程の諸段階において元値を厳密に示す概念であった。(2)着値は、市場における実際の売買交渉においては荷主にとっての損益ラインを示す単位あたり値段として機能した。(3)荷主は着陸計算を基礎にそれに一定の利潤を上乗せした差値で市場に対する価格要求をおこない、仕切後は商品個々の着値と手取税金を比較し損益計算を実施していた。(4)経営を進展させていた豪農の場合、紅花の銘柄別・産地別あるいは出荷ルート別に損益計算をおこない、さらには中央-地方(産地)の市場相場変動をふまえながら利益予測をおこない出荷形態の選択をおこなうなどの損益管理を展開していた。(5)着値による原価表示・損益計算は村山郡のみならず全国の紅花荷主に共通した方式であった。また、この方式は村山郡の商人や豪農が実施した「のこぎり商い」の帰り荷についても採用されていたことが確認でき、遠隔地間取引における荷主の原価積算および損益記録の方法として広く通用していたことを指摘した。最後に本稿でおこなった考察は、(A)世直し状況論において論点とされた豪農経営発展をめぐる「幕藩制的市場関係の規定性」の実態的な吟味、(B)幕藩制的市場における価格形成のヘゲモニーの実態的な検討、などの課題のための実証的な前提であり、方法的な視点であることを指摘した。