著者
阿部 直美 アベ ナオミ Naomi ABE
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.5, pp.89-94, 2006-01-31

子ども達が主体性を失いつつあるといわれる昨今、日々の保育の中での保育者の言葉がけひとつひとつが大きな役割を担っていると考えられる。本論文では様々な場面での保育者の言葉がけを四段階に仮定した。事例を挙げ、具体的な言葉を取り上げながら、各段階における保育者の言葉がけによって変化する「保育者の思い」と「子どもの思い」を比較検討した。結果、子どもの主体性を育むための保育者の言葉がけのあり方について一考察を得た。
著者
石川 義之 イシカワ ヨシユキ Yoshiyuki ISHIKAWA
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.4, pp.105-127, 2005-01-31

この論文は、A県在住の男女を対象に実施したドメスティック・バイオレンスの調査データを統計的に解析したものである。統計解析は、女性調査と男性調査の2つがある中で、男性調査を中心に行われた。 分析によると、女性のDV被害経験率は男性のそれに比して顕著に高い。また、男性のDV加害経験率は女性のそれよりも高い。以上から、ドメスティック・バイオレンスは、事実上、男性から女性に対して向けられた暴力行為を指す現象であると捉えることができる。ただし、女性のDV被害経験率と男性のDV加害経験率との比較から、男性は自らの行ったDV加害行動の多くをそれとして自覚していないことが知られる。 無自覚的行為を含む男性のDV加害諸行為(DV加害経験)を規定する基礎要因を統計解析によって探った。この点に関して、以下のことが明らかとなった。 1.男性のDV加害経験と男性の現在の年齢 : 比較的に年齢の高い層のほうが低い層よりも男性のDV加害経験率が統計的に有意に高い。 2.男性のDV加害経験と男性の現在の仕事 : 男性の現在の仕事が「家族従業者」である場合男性のDV加害経験率は最も高く、「勤め人」である場合それが最も低い。 3.男性のDV加害経験と男性の現在の雇用形態(「勤め人」の場合): 男性の現在の雇用形態が「パートタイム、アルバイト、嘱託、臨時など」の非正規労働である場合のほうが「正社員、正職員」という正規労働である場合よりも男性のDV加害経験率は高い。 4.男性のDV加害経験と現在の同居家族の状況 : 「3世代以上の家族」に所属する男性においてDV加害経験率が最も高く、「同居家族なし」の単身男性においてそれが最も低かった。 5.男性のDV加害経験と現在の居住地域 : 居住地域による男性のDV加害経験率に統計的な有意差は認められなかった。このことは、DVが都市化現象であるとする見方に対する反証となる。 6.男性のDV加害経験と現在の家族の経済状況 : 「下」の経済階層に帰属する男性のDV加害経験率が最も高く、「上」の経済階層に帰属する男性のそれが最も低かった。 7.男性のDV加害経験と現在の妻(パートナー)の年齢 : 相対的に高年齢層に属する妻(パートナー)を持つ男性のほうが低年齢層に属する妻(パートナー)を持つ男性よりもDV加害経験率が高かった。 8.男性のDV加害経験と妻(パートナー)の現在の仕事 : (1)妻(パートナー)の現在の仕事が「家族従業者」である場合において男性のDV加害経験率が最も高く、「自営業主」である場合にそれが最も低い。(2)妻(パートナー)の現在の仕事が「雇用労働者」である場合と「家事専業」である場合とを比較すると、「雇用労働者」である場合のほうが男性のDV加害化率が高かった。 9.男性のDV加害経験とと妻(パートナー)の現在の雇用形態(「勤め人」の場合): 妻(パートナー)の 現在の雇用形態が「パートタイム、アルバイト、嘱託、臨時など」の非正規労働である場合のほうが「正社員、正職員」という正規労働である場合よりも男性のDV加害化率は高い。 10.男性のDV加害経験と妻及び夫の教育歴(学歴): 男性のDV加害経験率が最も高かったのは教育歴が「妻のほうが夫よりも長い」場合で、次いで「両者の教育歴はほぼ同じくらい」、「夫のほうが妻よりも長い」場合は最も低率となっている。 11.男性のDV加害経験と現在の回答者(夫)の家族の収入や家計の状況 : 夫・妻の「両者の収入はほぼ同じ」場合において男性のDV加害経験率は最も高く、次いで「妻の収入のほうが夫よりも多い」、「夫の収入のほうが妻よりも多い」場合にはそれが最も低くなっている。
著者
上野 矗 ウエノ ヒトシ Hitoshi UENO
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.5, pp.25-33, 2006-01-31

経験的現象学的方法から涙に関するこれまでの研究を通じて、勘が質的な意味分析法に基礎的かつ重要な認識方法として注目されてきた。勘は、人間科学の方法として直感的方法のひとつとして位置づけられるからである。黒田亮によれば、勘は覚=Comprehensionを、竹内によれば、第六感を意味する。勘は、黒田亮の心的立体感(psychical stereoscopy)、また黒田正典の人のゲシュタルト化された経験の総体の重心にある。筆者は、これを相反し合う経験の統合点にみる。いずれにもせよ、勘は、二分思考法にではなく、統合的思考法に依拠している。こうした意味及び実践の実際からも、勘は、臨床心理学の方法論上有意義で重要な認識方法と位置づけられる。と同時に、なお一層の検討が要請されよう。
著者
桶谷 弘美
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要 (ISSN:13471287)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.107-120, 2003-01-31

五嶋みどりは国際的に傑出したヴァイオリニストとして著名である。本稿は、彼女を幼くして並はずれた技能をもつヴァイオリニストとなしえた要因を探ろうとする試みである。とりわけ、世界の音楽界の頂点に立つ彼女の活動を可能にさせた家庭での教育がどのようなものであったのかを追究してみることにした。 高度の音楽的技術を生み出すには才能だけでなく、たゆまざる努力を重ねなければならないことはだれもが認めるところであろう。優れた芸術家であっても専門分野の最も高い水準の域に到達することの困難さは、音楽界においてもごく普通にみられる事象である。しかし、その分野におけるごく少数の抜きんでた存在として認められることを目指して、平生の日々において、若い人たちが技術の習得のために練習に精を出し尽力しているのは何によるものなのであろうか。 専門分野での最高峰の地位を切望するどの音楽家でも、大きな犠牲を払う心構えがなければならないはずである。多くの者が中途で脱落していくなかで、そのような代償をすすんで払い、それによって得るものは何であろうか。大抵の場合、子供がその素質をもって興味を示す事柄に子供を方向づけることは親の責任である。たとえ時には、親が子供をそのように導きながらもそれを強要していると受け取られても。 本稿では、みどりの母・五嶋節がわが子を幼児期から将来音楽家として大成させるため、その素質を伸ばそうとした教育のあり方を論じてみることにする。五嶋節は大学時代ヴァイオリンを専攻したが、結婚のためその志を果たすことができなかった。みどりは彼女の初めての子であった。そのため、長年いだいていた世界的なヴァイオリニストになる夢をわが子に託したのである。なお論文執筆にあたって援用した主な資料は、奥田明則著『母と神童-五嶋節物語』である。
著者
川上 正浩 小城 英子 坂田 浩之 Masahiro KAWAKAMI Eiko KOSHIRO Hiroyuki SAKATA
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.7, pp.57-65, 2008-01-31

川上・小城・坂田 (2007a) は,現代大学生における科学に対するイメージを自由記述によっ て収集し,テキストマイニング手法を用いて分析した。その結果,現代大学生の科学イメージは,実 験をしたり,宇宙について調べたり,勉学したりするものであり,そこに有用性を感じる一方でロマ ンをも感じていること,また先進性や力動性といった進歩するイメージを抱いていることが示された。 本研究では,川上他 (2007a) の自由記述データをもとに,科学続・自然観を測定する尺度を構成す ることを目的とする。大学生 316 名を対象とした質問紙調査の結果から,現代大学生の科学観・自然 観を構成する因子として,癒す自然,未来を築く科学,脅威を与える科学,保護を求める自然,人智 を超えた自然,脅威を与える自然の 6 つの因子が抽出された。癒す自然、得点については性差が認めら れ,男性よりも女性で得点が高いことが示された。Kawakami,Koshiro, & Sakata (2007a) collected university students' view of science with a free description questionnaire and analyzed them with Text Mining Technique. As a result,it was shown that university students' view of science was to conduct experi­ ments,to examine space, and to study, to be both romanticism and utility,and to had advancing image as progressive and dynamism. The purpose of this study was to con­ struct a scale for university students' view of science and nature,based on the free descri­ ption data of Kawakami et al. (2007a).Three hundred and sixteen university students were participated in a questionnaire survey. The responses were analyzed by factor analysis,and as a result six factors were extracted: "healing nature","future-promising science","threatening science","nature beyond human control","nature to be conserved",and "threatening nature". The results also showed the sexual difference on the score of "healing nature",that is, the scores were higher in woman than in men
著者
仲谷 兼人 ナカタニ カネト Kaneto NAKATANI
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.5, pp.57-69, 2006-01-31

絵画表現の本質は2次元の平面上に3次元の空間を再現するところにある。このことと、網膜像に基づいて立体的な空間を認知している我々の視知覚システムの機能との間には強い類似性が指摘できる。本稿では絵画に見られる各種の遠近表現法、特に線遠近法をとりあげ、ルネサンス期以降の西洋絵画と江戸期の浮世絵を比較して論じている。知覚心理学と芸術心理学の立場から、単眼性の「奥行き知覚の手がかり」が芸術表現の意図とどのように調和し、利用されているか、例を示しながら紹介した。 初期の浮世絵の中にはルネサンスの線遠近法の直接的・間接的影響を受け、紙面上に構成された奥行きのイリュージョンを楽しむものがみられた。これを浮絵と呼ぶ。浮絵はくぼみ絵の別称が示すように奥行き感の表現を重視したが、次第に線遠近法の制約、限界を意識し、最盛期には洗練された独自の空間表現が見られるようになった。葛飾北斎は伝統的な日本画の表現と線遠近法に基づいて構成される近代的な風景表現を画面上に描き分け、観察者を窮屈な幾何学的枠組みから解放した。また直線を用いず、多くの同心円で構成された画面から新たな幾何学的遠近法の可能性を示した。安藤広重は伝統的な俯瞰図を遠近法と調和させ、観察者の視線を誘導することによって空間の広がりを表現することに成功した。同時期西洋では印象派がルネサンス以来の空間表現の限界を打破すべく台頭し始めていたが、幕末の開国以降、浮世絵は西欧、とくにフランスでよく知られるようになり、ジャポニズムの流行とともにロートレック、セザンヌ、ドガ、ゴッホをはじめとする後期印象派に強い影響を与えた。
著者
竹田 博信 Hironobu TAKEDA
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.9, pp.261-269, 2010-01-31

「遅刻は当たり前」「タメ口(目上の者に対する友だち言葉)は当たり前」「周りに流されやすい」「うまくいかないと,みんな他人のせいにする」「自分の考えや主張が無い」「プライドは高いが学力は 低い」「 競争が不得意」等々。これらは,採用担当者が情報交換をする研修会で,最近の学生の印象を語りあったものである。2000 年以前は「マニュアルに頼ってばかりで面白みに欠ける」「個性と自分勝手をはき違えている」など行動には移すが,マニュアルに頼る学生が多い。という評価が多かった。しかし, 2000 年以降,とりわけ 2005 年以降最初に書いたような自己主張が無い,もしくは最初から「戦い」を避けるような学生が多くなってきたという声が多くなってきた。 しかし,彼らを採用し,企業戦士として育成していくのは企業の使命であるから,企業はこのような学生を吟味して採用していく必要がある。そこで,今の学生が置かれている環境を把握するとともに,採用担当者は学生たちをどう見て,何を憂慮されているのかの視点から,大学に出来ることを探った。
著者
石川 義之 Yoshiyuki ISHIKAWA
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.7, pp.1-35, 2008-01-31

本稿では,身体的虐待を中心に,子ども虐待の基礎理論を展開する。基礎理論の構築は,子ど も虐待への対応において重要な役割を果たすであろう。主な内容は,以下のとおりである。
著者
上野 矗 ウエノ ヒトシ Hitoshi UENO
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.4, pp.63-74, 2005-01-31

ここでは、ショッキングな出来事を契機に人間不信に陥ったケースを例示し、援助的理解をはかるT様グループのかかわり合いのプロセスに経験的現象学的方法による意味分析を試みる。そこから感情体験表明としての涙が援助的理解にとってもつ意味と効用に関して検討を加えようとする。 検討結果は、次のようである。 1)感情体験表明としての涙がその意味と効用たらしめるのには、送り手と受け手の反応の仕様が大きくあずかっている。 2)涙は心理的なしこりを溶かす。 3)涙は抑制された情緒的エネルギーを解放し、カタルシスをはかる。 4)涙は心の傷を癒す。 5)涙は気づきや洞察への契機となり、導き手となり、その証明を確認する。 6)涙は援助的理解を確実にし、また深めていく。 7)涙は、人をして生涯時間の時制を"生きられた時間"の展望に向けた再編成をはかり、そこから新しく生産的で健やかな生活世界への道を開らく。すなわち、過去をいまに引き入れ既往化し、新しい意味づけを見い出し、これを足場に、未来を将来化し、新しい展望を拓らくのである。 8)なお、涙は、丁度ステロイド剤がそうであるように、両刃の刃で、その効用と同時に有害ともなりうるとの認識の重要さが指摘される 。
著者
湯浅 愼一
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要 (ISSN:13471287)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.47-52, 2009-01-31

人間の本質を単に植物や動物等という他の存在者から区別して考察しようとするとき,人間という概念の非規定性ないし多義性ゆえに人間の本質の考察は迷路でその指針を見失う。それに対してハイデッガーは人間を世界の内に在って自らの存在の可能性に向けて自らを投企する存在,すなわち 現存在として捉え,それを分析することを彼の課題とする。後期に至ってハイデッガーは現存在の分 析から存在そのものの意味の解釈に移行し,ここで20世紀の形而上学及び経験科学の徹底した主観主義化と人間主義化を指摘し,烈しく糾弾する。
著者
石川 義之
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要 (ISSN:13471287)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.139-159, 2003-01-31

筆者たちは、1999年〜2000年に関西圏に在住の女性を対象に無作為抽出法による性的被害の実態調査を実施した。この調査データの統計分析によって有意であることが確認された諸変数間の関係は次のようであった。(1)性的被害と5つのデモグラフィック原因(回答者の現在の年齢、現在の配偶者との同居状況、現在の母親との同居状況、回答者が育った地域、回答者の現在の雇用形態)との関係。(2)性的被害と心理的損傷(=客観的トラウマ変数)との関係。(3)性的被害の頻度、加害者のタイプ、被害継続期間と主観的トラウマ変数との関係。(4)性的被害とPTSD症状(=客観的トラウマ変数)との関係。(5)心理的損傷とPTSD症状との関係。(6)性的被害経験と「否定的」生活経験(=客観的トラウマ変数)との関係。(7)心理的損傷と「否定的」生活経験との関係。(8)PTSD症状と「否定的」生活経験との関係。以上の諸関係から性的被害のもたらす影響の流れを抽出すると、その影響の流れのメイン・ルートは、性的被害→心理的損傷→PTSD症状→「否定的」生活経験、と定式化できる。この連関から、PTSDの発症や「否定的」生活の発生を防止するためには、より前の段階での専門家等による治療的・福祉的介入が必要であることが示唆された。
著者
石川 義之 Yoshiyuki ISHIKAWA
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.8, pp.1-24, 2009-01-31

本稿は. r人間科学研究紀要Jl 7 号に掲載した小論の続編である。111 身体的虐待の危険因子」 では,個人の精神病理,親子関係,家族の環境,状況的・社会的な条件に関連した危険因子について 考察する。112. 身体的虐待への対応」では,子どもの保護,心理的な治療,地域による介入について 言及する。113. まとめ」では,展開された身体的虐待の基礎理論の骨子を要約する。前編を含め本論 文は,子ども虐待への対策は子ども虐待ついての確かな理論を踏まえて策定されなければ,実効ある 対策とはなり得ないという仮説の上に立って執筆されている。This paper is a sequel of my paper "the Basic Theory of Child Abuse: with special reference to Child Physical Abuse," The Humαn Science Reseαrch Bulletin 01 Osαhα Shoin Women 's University,7: 1-35. The section 11 "Risk Factors associated with Child Physical Abuse" treats of factors associated with individual pathology,factors associated with the parent-child relationship,factors associated with family environment,and factors associ­ ated with situational and societal conditions. The section 12 "Response to Child Physical Abuse" refers to protection of children at risk, psychological treatment for physical abusive adults and children with physical abuse histories, family interventions, and community interventions. The section 13 "Summary" describes the main points of thebasic theory developed of Child Physical Abuse. This paper which includes Part 1 is on the assumption that intervention and prevention strategies for child abuse cannot be effective without being based on certain theories of child abuse.
著者
石川 義之
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要 (ISSN:13471287)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.119-172, 2004-01-31

この論考は、A県在住の男女を対象に実施したドメスティック・バイオレンス(DV)に関する実態・意識調査からのデータを基に、全国調査や他都道府県調査のデータをも比較対照しながら、DVの病理を解明したものである。 ドメスティック・バイオレンスを身体的暴力、精神的(心理的)暴力、性的暴力、ネグレクトの4つに分類した上で、DVの経験率、DVの認識度、DV発生の要因・条件・背景、DV被害の影響、DV被害についての相談、DV問題解決のための方策などについて、経験的データに基づく分析がなされている。 調査分析から得られた最も重要な発見は、DVの被害経験率は男性に比して女性が圧倒的に高く、しかも女性のうちでもDVの被害を最も受けやすいタイプは、伝統的家父長制男性社会のパターンからはずれた意識を持ち行動する革新的タイプの女性であること、したがって、DV問題の解決のためには、伝統的家父長制男性社会のパターンに固執し、それから逸脱する女性に対して暴力をもって対応する男性の意識・行動傾向を是正することが重要であることが示唆されたこと、であると言えよう。
著者
杉浦 隆
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要 (ISSN:13471287)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.1-8, 2003-01-31

オノマトペ+つく」という形態を持った複合動詞の統語的および意味的特徴の分析を行う。「つく」には非能格タイプと、非対格があり、それぞれ異なったLCSを持つことを示す。また、オノマトペ表現は「つく」に対する副詞的付加語として機能し、「つく」のタイプによって、状態変化の結果を表すものと、活動の様態を表すものがあることを示す。
著者
上野 矗
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要 (ISSN:13471287)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.63-74, 2005-01-31

ここでは、ショッキングな出来事を契機に人間不信に陥ったケースを例示し、援助的理解をはかるT様グループのかかわり合いのプロセスに経験的現象学的方法による意味分析を試みる。そこから感情体験表明としての涙が援助的理解にとってもつ意味と効用に関して検討を加えようとする。 検討結果は、次のようである。 1)感情体験表明としての涙がその意味と効用たらしめるのには、送り手と受け手の反応の仕様が大きくあずかっている。 2)涙は心理的なしこりを溶かす。 3)涙は抑制された情緒的エネルギーを解放し、カタルシスをはかる。 4)涙は心の傷を癒す。 5)涙は気づきや洞察への契機となり、導き手となり、その証明を確認する。 6)涙は援助的理解を確実にし、また深めていく。 7)涙は、人をして生涯時間の時制を"生きられた時間"の展望に向けた再編成をはかり、そこから新しく生産的で健やかな生活世界への道を開らく。すなわち、過去をいまに引き入れ既往化し、新しい意味づけを見い出し、これを足場に、未来を将来化し、新しい展望を拓らくのである。 8)なお、涙は、丁度ステロイド剤がそうであるように、両刃の刃で、その効用と同時に有害ともなりうるとの認識の重要さが指摘される 。
著者
高橋 裕子
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要 (ISSN:13471287)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.95-103, 2005-01-31

アスペルガー障害(Asperger's disorder: ASP)とは、DSM-IVにおいては高機能広汎性発達障害(high-function pervasive developmental disorder; HFPDD)の下位障害に分類されており、1944年にアスペルガーが報告した自閉症の中でも比較的言語発達が良好なタイプを指す。この障害の特徴として「社会的相互作用の質的障害」があるが、高い能力を有しながらも社会適応が困難である点、本人も周囲もこの質的障害を正しく認知し、適切な対応や支援を求めることが難しい点は、社会的な次元の問題であると同時に、障害の個人差を見極めにくいことが関与している。 本稿では、成人後にアスペルガー障害であると診断された女性のロールシャッハ反応に現れる特徴を形式構造解析の観点から検討し、援助の手がかりとした事例を報告する。
著者
徳永 正直
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要 (ISSN:13471287)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.9-18, 2005-01-31

Alice Miller hat konsequent eine flammende Anklage gegen die Padagogik erhoben. Wenn die Erziehung die Verletzung der Rechten des Kindes ware, wurde sie die schwarze Padagogik genannt. Das kind hat eigentlich Sehnsuchtiges Verlangen nach der Liebe der Eltern. Sie haben oft mit der Angst des kindes vor Verlust seiner Eltern manipuliert und auf das gute fur sie gunstige Kind aufziehen lassen. Das ist nichts anderes als Verbrechen. Deshalb hat sie vorgeschlagen, die schwarze Padagogik in eine weisse Padagogik umzuwandeln. Hier handelt es sich um den Dialog mit dem Kind. Aber der ist nicht so einfach, nicht nur weil Lehrer oder Erzieher den Schulern Uberlegen sein mussen, sondern auch weil sie von der Seite der Schuler aus nicht verstehen konnen.
著者
仲谷 兼人
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要 (ISSN:13471287)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.57-69, 2006-01-31
被引用文献数
1

絵画表現の本質は2次元の平面上に3次元の空間を再現するところにある。このことと、網膜像に基づいて立体的な空間を認知している我々の視知覚システムの機能との間には強い類似性が指摘できる。本稿では絵画に見られる各種の遠近表現法、特に線遠近法をとりあげ、ルネサンス期以降の西洋絵画と江戸期の浮世絵を比較して論じている。知覚心理学と芸術心理学の立場から、単眼性の「奥行き知覚の手がかり」が芸術表現の意図とどのように調和し、利用されているか、例を示しながら紹介した。 初期の浮世絵の中にはルネサンスの線遠近法の直接的・間接的影響を受け、紙面上に構成された奥行きのイリュージョンを楽しむものがみられた。これを浮絵と呼ぶ。浮絵はくぼみ絵の別称が示すように奥行き感の表現を重視したが、次第に線遠近法の制約、限界を意識し、最盛期には洗練された独自の空間表現が見られるようになった。葛飾北斎は伝統的な日本画の表現と線遠近法に基づいて構成される近代的な風景表現を画面上に描き分け、観察者を窮屈な幾何学的枠組みから解放した。また直線を用いず、多くの同心円で構成された画面から新たな幾何学的遠近法の可能性を示した。安藤広重は伝統的な俯瞰図を遠近法と調和させ、観察者の視線を誘導することによって空間の広がりを表現することに成功した。同時期西洋では印象派がルネサンス以来の空間表現の限界を打破すべく台頭し始めていたが、幕末の開国以降、浮世絵は西欧、とくにフランスでよく知られるようになり、ジャポニズムの流行とともにロートレック、セザンヌ、ドガ、ゴッホをはじめとする後期印象派に強い影響を与えた。
著者
野中 亮
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要 (ISSN:13471287)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.161-175, 2003-01-31

本稿の目的は、エミール・デュルケームの社会学を、方法論を中心に再検討することである。 『社会分業論』『社会学的方法の基準』において呈示された方法論は、素朴な実証主義に基づいたものであり、『自殺論』やそれに続く『宗教生活の原初形態』において大きく改変されていった。その課程で、方法論としての象徴主義は理論へと変化していったのである。 『宗教生活の原初形態』で展開された方法論は、象徴論と儀礼論とを包含するものであった。本稿では、この方法論を、信念体系にかかわる象徴論と、行為にかかわる儀礼論とを接合したものととらえ、 『社会分業論』から『宗教生活の原初形態』にいたるデュルケームの理論体系の一貫性・整合性を強調した。 この作業によって、これまで懸案とされてきた集合的沸騰論をよりクリアなものにすることができ、これまで汲み尽くされてはいなかったデュルケーム理論の含意をより明確にすることができたのである。
著者
野中 亮
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要 (ISSN:13471287)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.195-209, 2002-03-01

This paper is an attempt to reinterpret Emile Durkheim's Les formes elementaires de la vie religieuse. In this text, we can see a remarkable imbalance between theoretical significance of 'le sacre' and 'le profane'. This imbalance, however, is the solvable subject. First of all we investigate the cause of this imbalance by reinterpreting De la division du travail sociale, Les regles de la methode sociologique, Le suicide. In this work, we find a keystone for a solution of this imbalance, 'morphologie sociale'. These arguments which based on positivism were regarded as 'semi-behaviorist objectivism' or 'sociologistic positivism' by Talcott Parsons. Secondly 'morphologie sociale' varied with the time, but Durkheim's motif-Idealistic Social integration-did not change. Thirdly it was natural that the framework of the Durkheim's social theory was reconstructed in Les formes elementaires, Durkheim emphasized the importance of 'rite' and 'symbolism'. Imbalance between theoretical significance of 'le sacre' and 'le profane' represented Durkheim's dilemma that he had to give up his positivism or his idealism.