- 著者
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渡辺 優
- 出版者
- 日本宗教学会
- 雑誌
- 宗教研究 (ISSN:03873293)
- 巻号頁・発行日
- vol.86, no.3, pp.505-529, 2012-12-30
神秘主義研究にとって「体験」は最重要の鍵概念である。しかし、「神秘主義」概念自体が近世西欧キリスト教世界に起源をもつのと同様、現在に至るまで我々の神秘主義理解を多かれ少なかれ規定している体験概念もまた、固有の歴史的背景をもつ。近世神秘家たちの権威の源泉となった体験は、同時代の認識論的(学問論的)転回の産物であり、新世界旅行記や十七世紀科学革命において新しく構成された体験/経験概念と一致している。他方、少なくとも近世に至るまで、一人称の知覚的体験を信憑性の権威とする信とは異なる信の様態がたしかに存在した。近世神秘主義においても、体験より「純粋な信仰」に価値をおく傾向が認められる。十七世紀フランスのイエズス会士J.-J.スュランは、数々の超常の体験にもかかわらず、ついには通常の信仰に神秘の道を見出した。彼の魂の軌跡を辿ることによって、「現前」の体験を神秘主義の本質とみなす理解は根本的に問い直され、新たな神秘主義理解を提起する「不在」の地平が拓けてくる。