著者
渡邉 大
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.100-78, 2007-03-01

上古音研究の書である『音学五書』が、顧炎武にとってはなぜ「道を明らめ」「世を救う」ための著述となりえたのか、顧炎武の経世意識と古音研究との結びつきについて「音学五書敘」および「答李子徳書」を中心に考察を加え、顧炎武にとって、古音学とは、音学の衰退により乱れが生じていた経書のテキストを正し、そこに載せられた「経世致用」の道を明らかにするためのよすがであり、また、忘れ去られていた経書自身が有する秩序とその信頼性を明らめるすべというふたつの意味を有していたということを確認した。
著者
山本 卓
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.1-31, 2011-09-01

ダダイズム、そしてシュルレアリスムの詩人として出発したルイ・アラゴンはいわゆる「アラゴン事件」の後にシュルレアリスムの陣営を追われ、長い曲折を経てレアリスムの小説家として生まれ変わる。その後、長らく「現実世界」の連作や『レ・コミュニスト』の作家として社会主義レアリスムの立場に立つ人間だと見なされてきた。そのアラゴンが晩年になって発表した『死刑執行』(1965)や『ブランシュまたは忘却』(1967)は批評家たちや読者たちから一種の驚きをもって迎えられた。そこには明らかにシュルレアリスム的な手法への「先祖返り」が認められたからだ。この時期に書かれた自伝的なエッセイ『私は書くことを決して覚えようとしなかった、または冒頭の一句』(1969)はアラゴンにおける言葉の誕生の秘密を明らかにしようという優れて生成論的なテクストであり、アラゴンの後期小説を読み解く上でも数多くの示唆を与えてくれる作品なのだ。
著者
チャプレン マイケル 羽田 美也子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-30, 2014-09-01

早川雪洲主演のサイレント映画 『チート』 (1915)は、金・女・悪人という普遍的なテーマを扱いながら、その底流に人種問題を密接に絡み合わせた衝撃的な作品である。その後のリメイク作品4本を併せて取り上げ、それぞれの作品の背景、テーマに込められた意味を比較文化的見地から考察する。
著者
白井 啓介
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.74-93, 1998-01-01

本文探讨洪深在1923年所"改译adaptation"的话剧《少奶奶的扇子》之文学价值。该剧的演出,当时誉为"轰动全沪,开新剧未有的局面"。其原因一般认为:"写实的处理方法,演员的表演自然、细腻、真实""舞台布景,服装、道具也力求艺术风格的统一性和演出的完整性"等演出方面之出色使之然。本文主要核对分析英国王尔德原作《Lady Windermere's Fan(温德米尔夫人的扇子)》和洪深改讳作品之间异同。经过台词和人物形象处理的对照,得出以下结论。一则洪深一剧被称为"对话流利警畅俏皮动听"的成就主要出于原作台词本身之妙。洪深的贡献却在于把台词之美引进到中国现代话剧上来,因之使白话文学的表现力更加丰富多采。二则是洪深改讳本和原作之间的差距。洪深把金女士当做一个"伤心"人物来处理,因此应该同情她,安慰她。可原作里Mrs. Erlynne的人物形象并不尽然,她亦可有当做一个不受旧有社会观念拘束的"开明"女士来处理的余地。这两个剧本间人物形象的改变,或许由于洪深受到五四时期妇女解放运动风潮之影响而带来的。
著者
マイケル チャプレン 羽田 美也子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.59-73, 2016-09-01

フィルム・ノワールの巨匠と呼ばれるドイツ人映画監督フリッツ・ラング(Fritz Lang, 1890-1976)の最初期の作品に、『ハラキリ』(1919)がある。彼の初期の代表作である『ドクトル・マブゼ』(1922)、『メトロポリス』(1927)、『M』(1931)のような作品とは明らかに一線を画しているロマンチシズムの極致のような『ハラキリ』は、内容的にはまさにドイツ版「蝶々夫人」である。「蝶々夫人」は、原作はアメリカ人ジョン・ルーサー・ロングによる短編小説で、初出は1898年『センチュリー・マガジン』誌1月号である。これが大評判となってアメリカ人劇作家デイビッド・ベラスコが戯曲化、この舞台をイギリスで観て感激したイタリア人プッチーニが1904年にオペラ化したものが、全世界を席巻したという経緯がある。19世紀後半から20世紀初頭にかけてのジャポニスム全盛期の象徴的作品と言っても過言ではない。この作品を「ハラキリ」というタイトルで、1919年というジャポニスムも下火になりつつある時期に製作したフリッツ・ラングの意図は、どこにあったのであろう。また、以後時代を風刺する作品を撮り続け、社会や人間に対する不信感を抱き続けたラングにとって、この作品はどういう意味を持っていたのであろうか。彼の描く悪役には通底するモチーフがあり、それは最初期に制作された『ハラキリ』にも見て取れる。一見その後の作品とは指向が全く違っているかのようにみえる『ハラキリ』であるが、他作品と同様に人間への不信感というものが独特の味わいで描かれている。本稿では、これらの点につき、表象文化(映像)の観点からの分析と、ジャポニスムを軸とした検証を各自が担当し、可能な限り多角的視点で論じることを試みた。
著者
江種 満子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.65-91, 2004-01-01

前稿で中断した「こわれ指輪」論を発展させ、テクスト全体の構造を、「女権」という主題軸と「指輪」によるレトリックの軸の相互関係としてとらえた。さらにこれらの二つの軸に埋もれるようにして、植木枝盛のいわゆる「歓楽」への視線が瞥見できる点を指摘。これはのちの紫琴時代のテクスト群がみせる粘弾性の強い人間観の貴重な兆しである。しかし紫琴時代に至るまでには、女権論者清水豊子を挫折させた二つの体験(大井事件による妊娠出産と古在由直との結婚)が介在する。この時期を、豊子書簡と古在書簡および掌篇「一青年異様の述懐」によって考えた。その後、夫の由直の留学によって僥倖のように訪れる紫琴時代をいくつかのテクストによって読み解く。なかでも「葛のうら葉」の位置は最も重要である。「葛のうら葉」は、構造的に清水豊子時代の「こわれ指輪」をなぞるかにみえて、じつはその後の豊子の体験と英知と想像力を結集して、異質な世界へ超え出た成熟の文学的達成である。
著者
樋口 泰裕
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.97-81, 2000-10-01

陳の徐綾撰『玉台新詠』十巻とは如何なる書物で、また如何なる問題を孕んでいるのか、四庫提要の撰者は、成書の時期、本集の体裁及び内容、文学的及び資料的価値、そして版本といった幾つかの視点から解説する。当然、そこには時代の限界などによる問題点も若干窺えようが、当時第一級の知識と見識を誇る学者たちによって執筆されたそれは、現在もなお尊重されるべき指摘を富有した、『玉台新詠』という書物を理解していく上で看過できない基本的な文献なのである。
著者
文教大学目録学研究会
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.108-80, 2016-03-15

本稿は、章学誠『校讎通義』の訳注である。今号では、巻三の「漢志諸子第十四」全三十三条のうち、第十一条から第二十三 条までを訳出する。樋口が担当した。前号に引き続き、底本には、葉瑛『文史通義校注』(中華書局、一九八五年)を用い、あわせて、嘉業堂本、劉公純標点の『文史通義』(古籍出版社、一九五六年、中華書局新一版、一九六一年)、葉長清『文史通義注』(無錫国学専修学校叢書、一九三五年)、王重民『校讎通義通解』(上海古籍出版社、一九八七年、傅傑導読、田映㬢注本、上海古籍出版社、二〇〇九年)、劉兆祐『校讎通義今註今訳』(台湾学生書局、二〇一二年)などを参照した。
著者
磯山 甚一
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.1-26, 2002-10-01

前回はロビンソン・クルーソー物語が今日のわが国で「絶海の孤島」物語として読まれていることを明らかにした。しかし実際にはロビンソン・クルーソーの島は大陸沿岸のカリブ海に位置しており、その島における物語は18世紀カリブ海言説と考えるべきである。今回は、そのカリブ海言説としての物語が近代世界のなかでどのように読まれ、わが国では「絶海の孤島」物語となってきたかを検証する。そのためにまず、題名にある 'adventure' という語が日本語で「冒険」と訳された事実に注目する。その事実にどのような暗示があるか、'adventure' と「冒険」のそれぞれが持つ意味を確認する。そして両者の意味を比べると、訳語の「冒険」は 'adventure' のそなえる意味の一部を伝えるにすぎないこと、ロビンソン・クルーソー物語について、それを「冒険」物語として、あるいは 'adventure' 物語として読むかぎり、彼の島における生活について語ることはできないことを明らかにする。
著者
遠藤 織枝
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.12-23, 2006-10-01

戦時中の雑誌の用語研究の一環として、天皇関連の敬語使用の実態を報告する。戦時中の皇室に関する敬語には特殊なものが多くあり、また、その使用については厳しい強制があった。戦後まもなくの敬語の見直しで、それらの特殊性が浮き彫りにされた。しかし、その使用された当時の実態に関する報告は少ない。今回の戦時中15年間の雑誌のグラビアの文章を通して明らかになったのは、尊敬にも謙譲にも二重三重の敬語が使われ、過剰・誇張と思われるほどの敬語使用が日常であったという事実である。
著者
山本 卓
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.27-63, 2007-03-01

散文と詩とを二項対立的な視点で捉えるのが、アラゴンの同時代の散文観における通念だった。だが、こうした二分法的な単純化によっては捉えることのできない散文の中の異質な要素の存在が、アラゴンの散文には認められる。散文の中での詩的言語の奔放な使用、言葉遊びの思いがけない展開、コラージュ的な表現の唐突な挿入などのさまざまな技法がそれである。その中でも、とりわけ重要な問題だと考えられる散文の中の詩的言語と音声性の問題を分析する。
著者
浦 和男
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.149-191, 2010-03-01

笑いに関する研究が国内でも本格的に行われるようになって久しい。大学でも笑い学、ユーモア学の名称で授業を行い、笑い学という領域が確実に構築されている。笑いそのものの考察に限らず、笑いと日本人、日本文化に関する研究も少しずつ行われている。これまで江戸期の滑稽に関する笑いの研究はすぐれた専攻研究が多くあるが、それ以降の時代の笑いに関する研究は十分に行われていない。本稿では、基礎研究の一環として、明治期に出版された笑いに関連する書籍の目録をまとめた。本稿で扱う「笑い」は、滑稽、頓智などに限定せず、言語遊戯、風俗など、笑いを起こす要素を持つものを広く対象としている。目録としてだけではなく、通史的に編纂することで、明治期を通しての笑いの在り方を考察できるように試みた。また、インターネットで利用できるデジタル資料情報、国立国会図書館で所蔵形態についての情報も付け加えた。
著者
浦 和男
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.41-69, 2009-03-01

文明開化とともに西洋の笑話が原文で紹介されるようになる。新聞・雑誌類では明治10年以降の掲載が確認され、明治25年には福沢諭吉が「開口笑話」を出版し約350篇の笑話を紹介した。明治30年代後半になり、西洋の笑話を利用した英語学習書が相次いで出版され、英語読本類にも笑話が掲載される。その背景には、明治20年代後半からの英語教育の普及と産業発展による英語ブームと、文法に重点を置かない実用英語指向の高まりがある。また、この時期には新しい「笑い」を求める雰囲気があり、西洋の笑話の英語学習への利用が高まったとも考えられる。原文による笑話の学習を通じて、明治期の読者は多文化に接触し、日欧に共通する笑いの存在を知ることで、日本人が異質でないことを知ることができた。これらの英語学習書の英語教育的な意義、扱われた西欧笑話の日本の笑いへの定着、近代文学への影響など、今後検討しなけらばならない問題は多く残されている。
著者
遠藤 織枝
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.1-27, 2009-03-01

戦時中の日本語の一面を、ルビによって捉えようとするものである。戦時中の家庭雑誌『家の光』は1942年8月号までは、記事全体にルビが振られていた。そのルビで「日本」に「ニホン/ニッポン」のいずれのルビがふられているのかをみると、1935年ごろまでは、すべて「ニホン」であったのが、戦局が激しさを増すと同時にほとんど「ニッポン」に替えられてしまっている。また、「知識階級(インテリ)」のように、外来語が従来語・訳語のルビとして用いられる例が多い。そこから、外来語の定着の仕方をみるものである。つまり、外来語導入の過渡期的なものに、そのような外来語と漢字語の併記がされると考えられるので、当該の語句を当時の新聞・辞書、また戦後の新聞・辞書で使用の実情を調べた。その結果、外来語として、現在の新聞では「知識階級」はほとんど使われず外来語由来の「インテリ」が優勢になっている。一方で「空港(エアポート)」のように戦前の雑誌で併記されていた語の中には外来語でなく、「空港」が圧倒的になっているものがあることがわかった。導入された外来語の中にも、従来語・訳語の方が優勢になっていった語があることを示した。
著者
佐倉 香
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.75-122, 2000-01-01

イタリア・ルネサンスの典型的な「万能の人( uomo universare )」として知られるレオナルド・ダ・ヴィンチ( Leonardo da Vinci ,1452-1519)の遺産には、芸術作品の他に、生涯を通じて記された膨大な頁数の手稿がある。手稿の内容は、絵画、彫刻、建築の他、解剖、天文、幾何、物理、数学、寓話など多岐にわたるが、彼はそれらの多くにおいて、最終的な表現手段である芸術、特に絵画表現に昇華させることを目論んでいたと思われる。こうしたレオナルドの諸活動は、観察に基づいた独自の方法によっている点でおおむね共通する。そして、レオナルドが最も注目し、多様な視点から観察、分析を続けた対象のひとつに「水」があった。本論文では、この「水」のモティーフに焦点を絞り、さまざまな記録や描写とその発展過程とを整理した上で、このモティーフに見るレオナルドの自然観察と芸術表現との関わりについて考察する。