著者
韓 雯
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.22, pp.31-46, 2012-03

日本中世の説話、軍記物語、謡曲などに、「学問を好む木」─「好文木」という梅の別称が見える。鎌倉時代の説話集『十訓抄』に初出し、『晋起居注』に見える中国の皇帝が学問を好むと梅の花が咲き、学問を怠れば梅の花が散るという話に由来すると言われている。しかし、出典とされる『晋起居注』について考察すると、内容、主人公の人物像、梅のイメージなどの面から、いくつかの問題点が浮かび上がった。それにひきかえ、「好文木」の話は日本ではよく天神の飛梅伝説と結びつき、とくに天神信仰が流行する中世から盛んに説かれていたことに気づいた。小論は、天神信仰と梅の関係をめぐって、「好文木」説話成立のルートを考察したものである。
著者
山本 美紀
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.22, pp.17-30, 2012-03

鎌倉時代初期、藤原定家によって創られた『物語二百番歌合』は、『源氏物語』と『狭衣物語』の物語の歌を番えた前半部の『百番歌合』と、『源氏物語』と『夜の寝覚』などの十篇の物語の歌を番えた後半部の『後百番歌合』からなる。各歌合は百番二百首からなり、それぞれに詞書と作者名が添えられている。古くよりこの歌合は、散逸物語の本文調査や、定家所持の『源氏物語』の本文を探る対象として取り扱われてきた。しかし、『物語二百番歌合』はひとつの作品であり、そこには創作者 藤原定家の意識が織りこまれている。『物語二百番歌合』の各番の詞書は、歌の背景がわかるよう物語の一部を表出しており、そのようにして物語の歌を番えるという手法をとって歌と物語、また歌と物語の関係を表している。そこで、本論文では『物語二百番歌合』の前半部である『百番歌合』の三つの番に着目し、歌と物語の視点から定家の制作意図の一部を探る、新たな試みである。
著者
大塚 望 Nozomi OTSUKA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.23, pp.15-33, 2013-03-20

「とする」と「にする」は,共起する格助詞がトかニかという一文字違いでありながら,両者が示す意味や用法また統語構造は,大きく異なっている。これまで両者を比較する研究は見られなかったが,本稿ではこの二つの表現を一緒に考察することによって,その共通点,相違点がさらに明らかにされると考え実例を収集し比較した。共通点は,決定と同定を意味する用法を持つ点。相違点は「とする」が引用,仮定,将前,決定,同定を,「にする」が決定,変化,実現努力,仮想同定の意味を表す点と構文の違いであった。その意味分類の基準として主語の存在と変化前の想定という特徴を引き出した。結局は「する」の持つ形式性がこのような多様な意味用法を示すのである。
著者
阮 毅 Yi RUAN
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.24, pp.29-43, 2014-03-20

『金瓶梅』は、明の万暦年間中頃に書かれた長編小説である。正保元年に日本に入り、儒者の間に流行した。優れた漢学素養をもつ森鷗外が、その『金瓶梅』にいかに影響され、また、どのようにそれを作品創作に生かしたのかを考えるのが小論の目的である。三好行雄氏をはじめとする先行研究では、森鷗外の『雁』と『金瓶梅』のかかわりを、西門慶、潘金蓮、武大郎三者の関係を岡田、お玉、末造の関係に見立てているが、そこから一歩踏み込んでの研究はされなかった。果たして、それは「見立て」の関係であるかどうかを考えなければならない。小論は鷗外のその他の作品をふれながら、比較文学見地から、『雁』と『金瓶梅』との関係をより綿密な考察によって、明らかにしていくものである。
著者
大塚 望 Nozomi OTSUKA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.24, pp.41-61, 2014-03-20

「する」は日本語の中で最もよく使用される単語の一つである。最もよく使われるということは,日本語を学習する者にとっては最もよく知っていなければならない単語であるということになる。初級レベルの日本語教科書(『みんなの日本語初級』『初級日本語げんき』)では「する」をどう提示し,何を教えているのか全文調査を行い,実際に「よく知る」レベルまでの学習ができるのかどうか考察した。その結果,基本的な例文は提示されていたが,その説明が無いまたは不十分なものがあった(表参照)。一方,類義語「やる」は説明が全くなく,数例掲載されているに過ぎなかった。以上の結果を日本語学習の更なる充実のための基礎資料としたい。
著者
張 楠 Nan ZHANG
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.23, pp.89-107, 2013-03-20

本論文は『源氏物語』の中に出てくる上巳(三月三日)の行事を取り上げ,中国の歳時文化と道家の文化が重なっている事実で,古代日本の年中行事における道学思想の受容を考察してみた。具体的に三方面から展開する。一, 上巳の祓いと曲水の宴は,道家思想から生まれた行事である。二, 桃に避邪の呪力があるという道教の信仰に支えられて,桃の花は上巳の祓えの花としての位置を確立して行くのであると思われる。三, 桃の女性象徴は,女の子の無邪気と結び付いて,日本の桃の節供(女の節供)になるかもしれないと思われる。
著者
守屋 三千代 Michiyo MORIYA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.26, pp.27-38, 2016-03-20

一般に日本語は「ナル的言語」であると言われ、「ナル表現」への志向性が顕著に見られるが、「ナル的言語」は日本語だけではない。例えば韓国語やトルコ語も「ナル的言語」であり、「ナル」に相当する動詞が存在し、「ナル表現」もよく用いられる。この三言語の「ナル」とナル相当語[tweda, olmak] のうち、日本語と韓国語では主に変化の意味を表すが、トルコ語ではそれ以外に誕生・出現・存在などの意味を表す。こうした意味を現代日本語に求めると、「実がナル」という例しか見当たらないが、『古事記』では神々や国の誕生の場面で誕生・出現の「ナル」が多数観察される。ナル表現
著者
山中 正樹 Masaki YAMANAKA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.25, pp.1-12, 2015-03-20

近代の日本文学研究においては、伝記研究の成果をもと\nに作家の思想信条を明らかにし、作品はその表現だと位置\nづける〈作家論〉が主流であった。その後、三好行雄の〈作\n品論〉が登場し、近代文学研究の中心的位置を占める。\n この三好〈作品論〉を打ち砕いたのが、R・バルトの理\n論であり、そこから生まれた〈テクスト論〉である。しか\nし日本における〈テクスト論〉は、バルトの理論の中核で\nあった〈還元不可能な複数性〉の意味を正しく理解せず、\nバルトが退けた〈容認可能な複数性〉の範疇に留まるもの\nであった。そのため、多数の〈読み(解釈)〉がすべて容\n認されるという、アナーキーな状況が生まれた。\n それに加え、21世紀を迎える前後に巻き起こった「国文\n学者の自己点検/反省」は、日本の近代文学研究の息の根\nを止めることとなる。ここにいたって「〈文学〉を研究す\nることも教えることも不毛/不可能である」という考えが\n蔓延し、研究の主流は〈文化研究〉に移行した。\n こうした状況の中で、〈文学(研究)〉の復権を目指すと\nともに、〈「読むこと」自体を問い直す〉原理論の構築を標\n榜して提出されたのが、田中実氏の第三項論である。第三\n項論とは〈主体〉と〈客体〉の二項に加え、〈客体そのもの〉\nという第三項を立てる「世界観認識」である。〈客体その\nもの〉とは私たちの認識の源泉ではあるが、決して私たち\nの感覚や言語では直接的には捉えられないものである。し\nかしその第三項を措定することで〈還元不可能な複数性〉\nを潜り抜け、世界を私たちの手に取り戻すことが可能になる。それは私たちの世界〈認識〉の在り様を根本から問い\n直すものであり、新たなる文学研究の領域を切り拓いたも\nのであるといえよう。
著者
山岡 政紀
出版者
創価大学
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.A1-A36, 2003-03
著者
山岡 政紀
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.24, pp.27-39, 2014-03-20

日本語の動詞テイル形の解釈はアスペクトの視点から行われることが多いが,「ああ,腹が立つ」のように人称制限のある主観的感情表現をテイル形に換えると,「彼は腹が立っている」のように人称制限が解消される。このような現象を根拠として,テイル形のより本質的な意味をアスペクトではなくエビデンシャルであるとする主張がなされている。本稿では動詞ル形が持つ発話時への局在性とテイル形が持つ時間幅との意味対立が結果として <感情表出> と <状態描写> という文機能の対立を表していることを論証した。また,「私は腹が立っている」のような第一人称主語で感情表現のテイル文は <状態描写> ではあるがエビデンシャルとは言えないので,それを根拠の一つとしてテイル形の意味はエビデンシャルよりもアスペクトの方がより本質的であることを考察した。
著者
金子 弘
出版者
創価大学
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.A51-A60, 2003-03
著者
張 楠
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.23, pp.89-107, 2013-03

本論文は『源氏物語』の中に出てくる上巳(三月三日)の行事を取り上げ,中国の歳時文化と道家の文化が重なっている事実で,古代日本の年中行事における道学思想の受容を考察してみた。具体的に三方面から展開する。一, 上巳の祓いと曲水の宴は,道家思想から生まれた行事である。二, 桃に避邪の呪力があるという道教の信仰に支えられて,桃の花は上巳の祓えの花としての位置を確立して行くのであると思われる。三, 桃の女性象徴は,女の子の無邪気と結び付いて,日本の桃の節供(女の節供)になるかもしれないと思われる。
著者
金子 弘
出版者
創価大学
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.A15-A26, 1995-03
著者
金子 弘
出版者
創価大学
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.1-7, 2008-03