著者
壱岐 一郎
出版者
沖縄大学
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-10, 2003-03-31

アメリカにおける01年の9・11事件は20世紀の2度にわたる原爆投下にも等しい世界史的意義をもつ。では,ブッシュ政権下における現地メディアはどもかく,東京メディアは「同時多発テロ」を正しくとらえて報道したか,大きな疑問がある。映像メディアはWTCセンターのツインタワー崩壊の瞬間を繰り返し放映した。ワシントン・ペンタゴンの百倍をこえる放映量であろう。また,02年9月17日,日朝首脳会談当日,NHKは放送の大半を拉致報道に費やした。これらの反復は「公平」で「客観的」だっただろうか。日本を代表する放送が政権の広報局に傾く中で,ニュースとその解説の難しさを痛感せざるをない。テレビが言論機関ではなく政権の広報機関に陥りやすいこと,そこには国益を別にして「民益」を損なう重大な陥穽のあることに気付く。つまるところ,巨大映像メディアは歴史文化の広く深い理解が求められていることを知るべきであろう。
著者
井村 弘子
出版者
沖縄大学
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.43-53, 2007-03-31

本稿は,長期間ドメスティック・バイオレンス(DV)被害を受けてきた一女性の心理的状態を,ロールシャッハ・テストを通して詳細に検討したものである。ロールシャッハ反応の分析結果から,(1)純粋形態反応率(F%)の低さ,(2)非生物運動反応(m)の多さ,(3)総良形態反応率(R+%)の低さ等が認められ,これらは先行研究で指摘された心的外傷後ストレス障害(PTSD)の反応特徴に一致した。その一方で,(1)特殊部分反応(Dd)の多さ,(2)安定した感情統制力(FC>CF+C),(3)両向的体験型,(4)公共反応(P)の適量産出といった本被験者のパーソナリティ特性や,回復への手がかりも認められた。これらの結果を踏まえ,DV被害とPTSDとの関連,DV被害女性の心理的特徴,DV被害からの回復に効果的な心理的援助について考察した。
著者
釜本 健司
出版者
沖縄大学
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.43-52, 2006-10

本稿の目的は,1970年代後半以降の高校教育課程の特質の一端を提示することである。本稿では,社会系教科(「社会科」「地理・歴史」「公民」)を主な考察対象とし,その「教科体系」(教科内の科目の構成)の展開を,高校教育課程全体の変化や教育課程編成の類型の視点から歴史的理論的に検討して,「未履修」の背景を考察する。考察の結果,1970年代後半以降の高校教育課程の特質として,科目選択論理の単純化があげられた。また,「未履修」の背景として,次の二点が明らかとなった。一点目は,1989年版高等学校学習指導要領で「選択・必修混成型」ともいうべき「教科体系」をもつ社会系教科が導入され,履修パターンの意義づけが困難化したことである。二点目は,1990年代以降,高校社会系教科の必修科目数の増加で,高校進学者や授業時数および大学入試の動向と,教育課程編成方針との乖離が大きくなったことである。
著者
圓田 浩二
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.11, pp.1-12, 2009-01

本稿の目的は、日本におけるスクーパ・ダイビングの変容を解明することにある。スクーパ・ダイビングは、その初期にはスピア・フィッシングを行うスポーツとして認知され、人気を博していた。当時のスクーパ・ダイビングは、スピア・フィッシングを行うことを目的とするチャンピオン・スポーツの性格をもっていた。しかし、ダイバーの増加にともない、漁業法との関係で、漁業協同組合の許可なく魚を採取することができなくなり、ある時期からスピア・フィッシングが行われなくなった。日本におけるスクーパ・ダイビングは、1960年代後半から1990年代にかけて、ダイビング・スタイルの変更を余儀なくされた。そこで新しいダイビング・スタイルとして登場したのが、潜ること自体を目的とするファン・ダイブであった。ファン・ダイブは、水中の海洋生物や海底の地形を見て写真を撮ったり、水中での浮遊感覚を楽しむものであるから、水中銃で魚類を撃って捕獲するスピア・フィッシングとは性格が全く異なっていた。1990年代後半に発売されたデジタル・カメラの普及は、スクーパ・ダイビングの目的を水中の海洋生物や海底の地形などを写真に掘ることへと変えていった。日本のスクーパ・ダイビングの目的は、スピア・フィッシングによる魚を「捕る」ことから、ファン・ダイブによる海洋生物や地形などをカメラで「撮る」ことへの移行として考えれるだろう。こうして、日本のスクーパ・ダイビングは、スピア・フィッシングを行うことを目的とするチャンピオン・スポーツとしてのスクーパ・ダイビングから、ファン・ダイブを行うことを目的とするレクリエーション・スポーツとしてのスクーパ・ダイビングへと変化していったのである。This paper clarifies the transformation of SCUBA diving in Japan. In its early days, it was acknowledged as a competitive sport involving spearfishing and became popular. However, as the number of divers increased, fisheries law made it illegal to obtain fish without the permission of a fishery cooperative. In addition, spearfishing was prohibited at certain times. Consequently, the nature of SCUBA diving in Japan was forced to change between the late 1960s and 1990s. A new diving style evolved, which consisted of fun diving, in which participants observed the marine organisms and topography of the sea bottom, and enjoyed the sensation of floating in the water. The two forms of diving-usin g a speargun to shoot fish versus fun diving-are quite different in character. The spread of digital cameras in the late 1990s allowed SCUBA divers to photograph marine organisms and seascapes. Consequently, in Japan, SCUBA has been transformed from a competitive sport involving catching fish by spearfishing to a recreational sport involving taking photographs during fun diving.
著者
壱岐 一郎
出版者
沖縄大学
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.19-28, 2000-03-31

日本古代史のいわゆる古墳時代から7世紀末までを高校教科書では約20ページにわたり記述している。5世紀の倭国の五王から7世紀の聖徳太子,天智天皇という流れである。この原典は『日本書紀』で,教科書は戦前の神国史観を否定しているものの,まず6世紀以降をほぼ正しいとしているといってよかろう。戦後史学において,中国史,韓国史との比較,巨大古墳の考証などが進んだとはいえ,まだ重大な疑義が存在する。その大きな柱は中国史料の伝える前3世紀の徐福集団の渡来と6世紀の扶桑国である。1999年は扶桑国僧・訪中1500周年にあたるので,私は日本国内4地域で「扶桑国の謎・シンポジウム」を試みた。『日本書紀』の黙殺した史料の復権であるが,無視する学界と共にマスメディアと教科書メディアに再考を迫るものであった。この『日本紀』(日本書紀)をかの紫式部は「片そば」と批判し,公爵西園寺公望(1849-1940)は「妄誕*の書を信じると国に大いに損がある」(*でたらめ)と書き残したが,20世紀の歴史は「損」どころではなかったのではなかろうか。
著者
西尾 敦史
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.10, pp.77-95, 2007-12

社会福祉の援助者はその援助場面で「援助困難」を抱えることが少なくないために、「援助困難」を軽減する方法が必要となる。そこで「援助困難」は、利用者と援助者の「計画された変化の過程」に、また人と環境の相互作用の接点に生じるというソーシャルワーク、とりわけライフモデルのそれが培ってきた認識を基本に、個人の資源と環境の資源を評価する分析枠組みを設定した。この枠組みを使用し、沖縄県における地域福祉権利擁護事業の実態調査(2007)における「援助困難」の要因を分析したところ、問題の要因、問題相互の関連、また制度・政策面での課題を明らかにすることに一定の貢献があった。「援助困難」を客観的に、また全体的に見ることのできるポジションを確保することは、援助実践面においても、政策決定においても有効であり、ライフモデルソーシャルワークによるニーズの分析枠組みの有効性・可能性についてさらに検証していくことが期待される。
著者
朝倉 輝一
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.11, pp.31-42, 2009-01

本稿では、道徳教育におけるケアの倫理の在り方を検討する。教育学者ノディングズのケアの倫理は、関わり合いの中での受容性や相互性を重視する。一方、クーゼは看護倫理の立場から、ケア一元論ではなく、患者にとっての最善と社会的正義を同時に追求できる選好功利主義を対置する。特に道徳判断力形成にとっては、二者択一的なモラルジレンマよりも、医療倫理にみられるようなケーススタディをモデルとしたモラルジレンマ解決のための対話が必要である。
著者
宮城 龍彦
出版者
沖縄大学
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.57-66, 2002-03-31

本資料は,琉球政府時代の久志村における1965年7月から1966年6月までの社会教育主事勤務表(日誌)である。当時の久志村(現在名護市東部)は人口約6千人の稲作を中心とした農村であったが,1960年代には急速に砂糖きび作への転換が進んでいた。そして,村の南部(辺野古区)にはすでに米軍の基地とその周辺の街が形成されていた。日誌からは,社会教育主事は頻繁に字の公民館(字事務所を兼ねる)を訪問・指導し,地域社会との結びつきが強いことがわかる。また,社会教育主事の活動から,当時の社会教育行政が最も力を注いでいたことは「家庭教育学級」や「婦人会活動」,「教育隣組」等の生活に深く関わる事への指導であったことがわかる。