- 著者
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壱岐 一郎
- 出版者
- 沖縄大学
- 雑誌
- 沖縄大学人文学部紀要 (ISSN:13458523)
- 巻号頁・発行日
- vol.2, pp.43-52, 2001-03-31
20世紀日本のジャーナリストの多くはペンをもって論陣を張ったが,後半から末期にはテレビ,ラジオなどによって持論を展開した。トーク,つまり話,語りかけの言論活動であった。60年代の田英夫(TBS,共同通信出身,以後,参議院議員),70年代後半からの筑紫哲也(朝日新聞出身,テレビ朝日,TBSキャスター)がその典型であろう。2000年夏,大阪を本拠にして,1日平均5枚書きながらテレビ,ラジオのコメンテーターを14年務めた黒田清(大阪読売出身,1931-2000)が全国の多くのファン,友人,知人に惜しまれて逝った。本稿はそのトーク・ジャーナリスト黒田清を解明し,あわせて21世紀を前に東京偏在の日本の大国的,大企業的ジャーナリズムがこのままでいいのか,を考える。すなわち,問われているのは20世紀日本の反省にほかならず,東アジア共通の思想家孔子は「過ははかちてこれを改むるに揮(はばか)ることなかれ」と言い残しているのである。