著者
松岡 雅裕
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.231-242, 2007-09-30 (Released:2010-04-01)
参考文献数
28
著者
松尾 信明
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.473-488, 2011-03-31 (Released:2013-03-01)
参考文献数
48

近年の身体論における「相互に同調する関係」にたいする関心の高まりをどのように位置づけることができるか?本稿の問いである.身体論におけるその受容と展開の社会学上の意義と位置を究明することをめざして,わたしたちは「相互に同調する関係」の受容史をふりかえり,〈西原和久の社会学〉に注目する.身体論に近づきながらも,しかし西原は身体論におけるその受容と展開を問題にしてはいないことがわかる.つぎに身体論の受容と展開の内容をみれば,これが〈西原以後〉にあることが判明するが,“growing older together”がそこではじゅうぶんに論じられてはいないこともはっきりする.この欠如を埋めるために〈西原以後〉のエイジング研究にふれながら“growing older together”の特質を明らかにするのである.以上をつうじて,身体論の受容と展開の位置づけを行うことができる.限定された主題に探究のねらいを定めてはいるが,本稿は「相互に同調する関係」の研究・〈西原の社会学〉・エイジング研究・身体論のあいだに成立するより広範なすじみちの存在を指し示すものとなるのである.
著者
戸江 哲理
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.536-553, 2012
被引用文献数
1

本稿は, ある会話的な手続きの解明を目指している. またこの作業を通じて, 親という立場がコミュニケーションにおいて実現されるプロセスを例証したい. この会話的な手続きは, 子ども (乳幼児) をめぐって親と親ではない者の発言によって遂行される, 行為の連鎖である. この行為の連鎖は, 呼応する2つの行為 (と付随的な行為) から構成されている. 連鎖第1成分を親ではない者が, 連鎖第2成分を親が遂行する. 連鎖第1成分の発言は親に対して, 子どもが現在この場で取った行動を子どもの普段の様子に位置づけるように促す. 本稿はこれを<説明促し>と呼ぶ. 説明促しは, その話者が当該子どもについてよく知らないことを発言のなかに刻印することで認識可能となる. そしてこの知識の欠如は, 説明促しが当該子どもの行動が生じた後の位置で, 描写というかたちを取って組み立てられることで刻印される. これに対して連鎖第2成分の発言を差し出す親は, 自分のほうが子どもについて詳しいという含意をもつ応答をする. この応答には, 詳しいという証拠があるタイプとないタイプがある. 子どもの普段の様子が語られる応答は前者である. また応答が後者である場合, 連鎖第1成分の話者は, 前者のような応答を求めてもっと直接的な手段で子どもの普段の様子についての情報を要求することができる. このような説明促し連鎖を通じて, 親は子どもにかんする<応答可能性=責任>を果たしているといえる.
著者
清水 洋行
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.69-78, 2010-06-30 (Released:2012-03-01)
参考文献数
15

1 0 0 0 OA 転職

著者
渡辺 深
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.2-16, 1991-06-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
37
被引用文献数
6 6

本研究の目的は、日本における労働者と職業のマッチング過程で構造変数が果たす役割を考察することである。グラノヴェターの弱い紐帯の仮説の検証を中心に、労働者のネットワークが年収、企業規模、職位、会社帰属意識、職務満足度などの転職結果に及ぼす影響を分析する。弱い紐帯の仮説とは、「転職者は、強い紐帯よりはむしろ弱い紐帯によって、多くの就職情報を得るだろう」、あるいは、「転職者は、強い紐帯よりはむしろ弱い紐帯によって、望ましい転職結果を得るだろう」という仮説である。東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県に在住の男性転職経験者を調査対象とし、弱い紐帯の仮説を検証した。回帰分析の結果より、前職の属性や労働者の基本的属性を統制しても、強い紐帯を通じて十分な就職情報に接近できること、また、強い紐帯が望ましい転職結果 (年収、会社帰属意識、職務満足度) をもたらすことが明らかになった。故に、本研究のサンプルでは弱い紐帯の仮説は支持されなかった。弱い紐帯の仮説とは逆に、日本では強い紐帯が転職において戦略的な機能を持っている。また、特定のネットワーク資源が特定の転職結果に対して特異的に影響を及ぼすことがわかった。また、紐帯の強さ、コンタクトの影響、仲介者の数などのネットワーク特性が情報収集度に影響を与え、情報収集度は会社帰属意識や職務満足度に作用することが観察された。この様に、情報がネットワーク資源と転職結果を結ぶ媒介変数であることが示唆される。最後に、日本における強い紐帯の使用に影響を与える文化的要因について考察する。
著者
松本 三和夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.30-43,123, 1992-06-30 (Released:2009-09-16)
参考文献数
35

科学者、科学者の行動、科学者のネットワーク、科学者集団、科学制度、社会システムのすくなくとも六つの活動水準を分析の単位として、どのような型の首尾一貫した科学社会学の理論が構成できるかを吟味し、理論の帰結を科学者集団の制度化論に関連づけて特定する。一九八〇年代以降、科学社会学は問題ごと、研究センターごとに研究スタイルの細分化が進むいっぽう、分野全体を基礎づける概念や理論にかならずしもじゅうぶんな見通しが得られていない。こうした状況に鑑み、本稿ではまず科学社会学の基礎概念を決め、研究前線における多様な研究動向間の橋渡しが可能なよう、科学社会学の外延を確定する。ついで、科学社会学の課題の内包を内部構造論、制度化論、相互作用論に分節して特定し、科学者集団の状態記述に関するかぎり、各課題が相互に共約可能であることを証明する。最後に、制度化論を見本例として理論の含意を例示する。とりわけ、制度化がじっさいにどのような起こり方をするかのパターンに関する規約 (制度化の規約) を理論に導入すべきことを提唱する。それを用いて理論を展開し、事実分析にとって有意味な、しかし直観だけではみえにくい逆説的な帰結 (専門職業化が制度化を伴わぬ事例 [ナチズム科学] の存在) が導けることを示したい。
著者
浦野 茂
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.60-76, 1998-06-30

物語を語ることは何よりもまずひとつのおこないである。すなわち, 物語を語ることは, それによって多様な道徳的含意をともなった具体的なおこないを相互行為の場面のなかでなすことなのである。ゆえに, 現実の代理=表象という観点に結びついた問いとは独立にそしてそれに先行して, まずそれが相互行為の場面のなかでなしているおこないに即して, 物語は理解される必要がある。物語についての相互行為分析はこの点に照準をあてるものである。本稿は, この認識を出発点にして, 新潟県佐渡島の人々によって語り継がれてきた「トンチボ」についての物語を例としてとりあげ, それが社会的に共有された「口承の伝統」として実際の相互行為のなかで成し遂げられていくそのしかた, およびそれが相互行為の経過に対してはたらきかけてゆくそのしかた, これらを記述してゆく。この作業をとおして, 口承の伝統というものが私たちの生活のなかでしめている脈絡のひとつを具体的に示す。
著者
浦野 茂
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.727-744, 2005-12-31
被引用文献数
1

集合的記憶への社会学的分析は, 記憶が集合的アイデンティティ形成の資源とされてきた姿を明らかにすることに, その批判的意義があると考えられている.しかし他方で, こうした分析がその分析対象である現実における集合的アイデンティティ形成の動きへと寄与していってしまう事態が, 問題として指摘されてもいる.<BR>おそらくこうした事態は, 集合的記憶への社会学的分析の根本的前提そのものを再検討する必要性をつよく示唆しているものと考えられる.すなわち, 記憶というものをある形で概念化することを通じて成立している社会学のあり方それじたいを, 検討することが必要となるのである.そして本稿ではその検討の場を, 19世紀末から20世紀前半にかけてのW I トマスがアメリカ合衆国の移民問題と接触するなかで行った議論とその変容に求める.<BR>実際そこに確認できるのは, 当初は遣伝概念と結びついていた記憶概念が, この結合を支えていた状況の消失とともに, 文化や伝統, 言語を具体的拠り所として新たな概念化をこうむり, それと相即して生物学から明確に区別された狭義の社会学的議論が合衆国において自律していく過程である.この結果として現れるのは, 一方で合衆国への移民の強制的同化の動きに対して移民の記憶を根拠にして批判しつつ, 他方で同化のために移民の記憶へと積極的に働きかけていく技術的装置としての位置づけをも担っていく, 社会学の姿である.
著者
野村 佳絵子 黒田 浩一郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.449-467, 2005-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
14
被引用文献数
1

日本では, 1970年代の半ば頃から, 人びとの健康への関心が高まり, それまでよりも多くの人びとが健康を維持・増進するための行動を心がけるようになったといわれている.周知のとおり, これらの現象は「健康ブーム」と呼ばれている.医療社会学では, このような「ブーム」の背景に, 「健康至上主義」の高まりを想定している.しかし, 「健康ブーム」も「健康至上主義」の高まりも, それらの存在を裏付ける証拠はいまのところ存在しない.そこで, 本論では, 書籍ベストセラーが人びとの意識や関心を反映しているとの仮定のもとに, 健康に関するベストセラーの戦後の変遷を分析することを通して, 人びとの健康についての意識の程度やあり方の変化を探った.その結果, 健康に関する本のベストセラーは1970年代の半ばに初めて登場したわけではなく, 1950年代後半から今日まで, そう変わらない頻度で現れていることが見出された.また, 「健康ブーム」といわれる時期の初期およびその直前には, 医学をわかりやすく解説する啓蒙書がベストセラーになっていることが発見された.したがって, 1950年代後半から今日まで, 人びとの健康への関心の程度にはそれほど変化がないということになる.また, 「健康ブーム」とされる時期に特徴的なことは, 健康への関心の高さではなく, むしろ, 健康に良いと信じられていることに対する批判的な意識の高まりではないかと推測される.
著者
田村 健二
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.44-52, 1972-07-30

E. Singer ("Identity vs. Identification", in Review of Existential Psychology, 1965, pp. 160173) states that identity is "a personal definition arrived at by attention to and cultivation of individual experience", whereas identification is "a self-definition by adoption, a self-delineation provided by others". On the basis of various theories and experimental data, Singer concludes that identity and identification are mutually incompatible. In my opinion, this conclusion is only partially correct and contains some important oversights with respect to the nature of human development. <BR>The first oversight pertains to the individual experience which he views as central to identity. In most instances of his discussion, he appears to regard individual experience as intra-individual experience which is separate from human relationships. However, I wish to point out that a human being cannot exist in separation from human relationships. That is to say, a human being has both intra-individual experience and joint experience shared with others. He exists by autonomously combining these two kinds of experience. The individual experience of a human being is precisely this autonomous experience which combines these two kinds of experience as its constituents. <BR>A second oversight pertains to the existence of two kinds of identification. The identification referred to by Singer signifies merely the adoption of a self-definition provided by others in joint experience with them. This should be designated as "identification within joint experience", and it certainly is incompatible with identity. However, this joint experience is not the sole type of experience in human relations. Rather, there is experience wherein all component experiences, including the above joint experience, are mutually accepted and contained. Human identity develops mostly in this experience in which all personal individual experiences are stably contained. This principle is often evident in the processes of child development and counselling. Therein we can find that a parent or counsellor, trusted by the self, may provide the self with a more stable, supportive definition. The self then adopts the stable self-definition provided by the other and thus grows more stabilized. It is then that the self, on the basis of this stability, undertakes to acknowledge and accept all of its own experiences genuinely and thus is able to develop its identity. This process should be designated "identification within over-all inclusive experience". Far from being incompatible with identity, it actually fosters identity. <BR>When the components mutually have this over-all, inclusive experience and identity is possessed, a reconstruction of new joint experience takes place. It is here that a true "I and you" solidarity comes into being.
著者
佐々木 交賢
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.110-126,134, 1965-12-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
32
著者
小倉 康嗣
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, 2001-06-30
被引用文献数
1 1

本稿は, 高齢化社会の内実への歴史的再認識を出発点として, 「高齢化」ないし「老い」の問題を, 全体社会の根本的変革や新たな社会構想の問題へとつなげていく研究枠組を開拓していく試みである.つまり「高齢化」ないし「老い」の社会学的研究に関する「生成的理論」の構築を目指して, 探索的な経験的研究を行っていくうえでの理論的インプリケーションを明確化し, その概念枠組の構築を図ることが本稿の目的である.<BR>理論的インプリケーションを明確化する際の主張は2つある.第1に, 高齢化社会の内実を「再帰化する後期近代」という歴史的ダイナミズムにおいて認識すること (1節), 第2に, その認識を取り入れてthe agedからaging へと照準を合わせ直し人間形成観の問題圏へ入ること (2節), である.これら 2つの主張は, パースペクティブとしての〈ラディカル・エイジング〉として統括される (3節).<BR>つづく概念枠組の構築作業においては, いかなる事象にどのような概念的参入を図ればよいのかを検討することによって, さきの理論的インプリケーションを具象化する.まず, 現代日本における「中年の転機」を〈ラディカル・エイジング〉の理論的インプリケーションの集約事象として位置づけ (4節), その作業を媒介に〈再帰的社会化〉という概念構成を導出し, 同時に〈再帰的社会化〉の基盤をめぐる探索課題を提起することによって概念的参入の足場を築く (5節).
著者
宇都宮 京子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.365-374, 2007-12-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
21
著者
貞包 英之
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.593-607, 2008-03-31
被引用文献数
4

2002年末より,ネットをとおして知り合った者が自殺をともに企てる「ネット自殺」と呼ばれる事件が流行する.2005年末までに2度の波が観察され,そのなかで未遂を含め計69件,のべ204人がこの事件に参加したのである.<br>事件の最大の特徴は,他の集団自殺でのようには幻想やイデオロギーの共有が確認されなかったことにある.事件では他者の介入をなるべく排除した自殺が選択された.つまりネット自殺では集団で行われながら,個々に孤立する「私的」な死が観察されたのである.<br>近代社会は,問題状況としての死を社会と対立する否定的な要素として想定してきたといえよう.たとえば死のタブー化を主張する議論では,生を規範とする社会から死が否定的なものとして締め出されていることが問題とされる.またアノミーを前提とした議論では,社会の正常な秩序が欠如する際に自殺は発生するとされる.しかしネット自殺では,こうした近代的な図式に回収されない自殺の現象が確認された.すなわち事件では集団形成と矛盾せず,それゆえ社会の否定的要素とならない死が観察されたのである.そうした自殺を発生させることで,事件は自殺の前提となる配置を変えたあらたな社会の形成について示唆している.本論は,ネット自殺事件をとおしてそうした現代社会の特徴を探る試みである.
著者
飯島 伸子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.25-45, 1970-06-30
被引用文献数
1 4