著者
安田 三郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1-2, pp.190-194, 1954-01-30 (Released:2009-10-20)

1 0 0 0 OA 新しい群集

著者
清水 幾太郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.2-8, 1951-08-30 (Released:2009-11-11)
著者
後藤 美緒
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.51-68, 2011-06-30 (Released:2013-03-01)
参考文献数
30

本稿は,戦間期の学生団体である東京帝大新人会(1919-1929,以下新人会)が行った読書実践を論じる.その際,とりわけ諸活動を遂行していく中で新人会が得た「科学から空想へ」という着想に注目し,着想にいたる論理を分析することを通し,戦間期に高等教育を受けた人びとの社会運動が,いかなる可能性と挫折を有していたのかを明らかにする.機関誌や労働学校での講義といった新人会の読書実践から浮かび上がるのは,会員らの読書実践が社会的属性を超えた連帯の模索であったことである.会員らは読書を通じて,労働者や貧困層をとりまく劣悪な生活環境や労働状況を認識し,その中で生きる彼らもまた,同一の時代に生きる人々であることを自覚した.そして,読書を自らの社会的地位を強化する読み方と手段から,いわゆる社会的弱者を包摂する社会を改善するための手段へと展開した.その過程において彼らは,知識の送り手と受け手の立場が無限に交替することを経験し,諸活動の遂行の中で自らが働きかけた現状に対し,応答する責任に気づいた.テクストを用いることで現状を「科学」的に解釈し,さらにその解釈を新たな共同性の「空想」へと発展させた新人会の読書実践は,自己に胚胎する受動性への気づきに支えられた活動であった.
著者
池田 義祐 佐々木 永滋
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.57-71, 1957-02-25

In an attempt to study positively one aspect of the contemporary huge urban society, we have taken up the case of Kyoto City (with a populationn fooe million and one handred thousand) and tried to determine the marriage pattern of its inhabitants in terms of where they have found their marriage partners since 1901. After analysing 14, 886 marriage cases, we have arrived at the following conclusions. <BR>1. In about 40%, of those cases, the marriage took place between the inhabitants of Kyoto City. The percentage of such cases, however, has been decreasing. <BR>2. In about 30%, an inhabitant of Kyoto was married to a person coming from the distant area (from 50 to 800 kilometers from Kyoto). The percentage has been decreasing. <BR>3. In other cases, the marriage was between an inhabitant of Kyoto and a person from the area within 50 kilometers from the city. The percentage of those cases has been rather constant <BR>In short, in many cases, the marriage takes place between the two living not for apart from each other. On the other hand, if we look at the picture more dynamically, we notice the tendency that marriage of the two living comparatively for are representing a greater percentage over the period. <BR>Finally, we have detected similar trends in the marriages statistics concerning rural communities.
著者
藤川 賢
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3, pp.320-334, 1996-12-30

共同体主義にたいしては, 近代を擁護する立場などからいくつかの批判がなされてきているが, 共同体の意義を説こうとする姿勢を単純に批判することは難しい。個人主義の存在論的解釈への否定は近代についての見方を深めるためにも有用であると考えられ, 実際に個人の解放という議論の中でも共同体への視点は重要性を増している。本稿は, この点での共同体主義の意義を認めたうえで, なお共同体が主義として主張されることの問題を追及しようとするものである。特に, 共同体的なつながりへの重視を個人の社会への従属から峻別する保証をどこに求めるかという点を中心にしながら, G.H.ミードの社会的自我論と対比的に検討を行った。そこで論じたのは, 第一に, それらがミードと同様に社会の中から個人を捉えようとする立場を取りながら, そのことと共同体に共通する道徳の取得との区別が曖昧になっており, 結果として, 個人が社会的変化に与える影響を見る視点を狭めていることである。第二には, このように共通の道徳を強調するために, 社会改革の方向がその範囲内に限られ, 伝統主義的にならざるを得ないことである。それらにたいして本稿では, 他者の態度を取得するという社会的自我の成立を社会的な能力として見るミードの考え方からは, 諸個人が社会の範囲を拡大し, 社会改革への役割を持つことを強調する, 共同体と個人を相互的に捉える視点が可能なことを示した。
著者
今枝 法之
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.319-332,383, 1984-12-31 (Released:2009-11-11)

Both 'the postulate of adequacy' (A. Schutz) and 'double hermeneutic' (A. Giddens) can be considered as critiques of positivism. I think positivism has two main components, the 'unity of science' and the 'rationality of science'. The 'rationality of science' is my coinage. It refers to the belief that scientific knowledge is rational and objective and much better than any other forms of knowledge epistimologically.Traditionally some social theorists have critisized solely the idea of the “unity of science”. That has depended on the dichotomy of 'Geisteswissenschaften' and 'Naturwissenschaften'. Schutz and Giddens refute the “unity of science”, too. Their views can be seen as up-to-date styles of criticism on positivism. But I argue that their critiques do not necessarily succeed. So I will suggest that to gain the post-positivistic self-understanding of sociology, sociologists must criticize not only the 'unity of science' but also the 'rationality of science' by reference to Feuerabend.
著者
大内 田鶴子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.513-530, 1999-03-30 (Released:2010-11-19)
参考文献数
25
被引用文献数
1

「自治会」と呼びながら自治の要素の弱まっているのが, 現代の自治会・町内会の特徴である。米国のネイバーフッド・アソシエーションは個人の主体的参加によるボランタリーな組織であるのに対して, 日本の町内会は行政端末的で組織運営の方法も米国と異なるといわれる。このような相違点にもかかわらず, 現代社会の最小単位として住民の日常生活に果たす役割はきわめて類似している。本稿では, 日本の自治会・町内会が, 米国のネイバーフッド・アソシエーションから, 行政参加を促す「草の根レベルの自治の技術」として組織運営上の技術を学ぶために, 近隣団体の規約 (ポートランド市のサンプル・バイローと東海自治体問題研究所編纂のモデル規約) の比較考察を行なった。比較の結果, バイローは合意形成, 調整の公開性, 公平性を確保しようとする手続きの規定に重点が置かれるコミュニケーション型であり, モデル規約の方は「何をどう行うか」を規定している事業執行型であることが明らかになった。モデル規約には合意形成や公平性確保の技術 (広い意味での政治技術) が不足している。日本の近隣団体が自治の技術として, 米国のネイバーフッド・サンプル・バイローから学ぶべき要素は, 1. 活動会員という考え方, 2. コミュニケーション重視, 3. 役員が会員に奉仕する機構, 4. 少数意見の重視である。
著者
池田 太臣
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.51-67, 2004-06-30

支配は, 政治学および社会学において, 中心的なテーマのひとつであった.けれども近年, この支配についての関心は衰退し, その概念の有効性も疑われつつあるように思われる.この'支配概念の有効性の衰退'ともいえる現象は, 一体, いかなる理由によるものであろうか.<BR>この問いに答えるためには, なによりもまず, 支配研究の源流にさかのぼる必要があると思われる.というのも, 支配概念の導入の初発の関心を明らかにすることではじめて, その概念の社会科学上の存在意義を解明することができるからである.<BR>今述べた "支配の社会学の初期設定" を探るために, 本稿では, トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』を取り上げる.なぜなら, この書におけるホッブズの議論こそが, 支配の社会学の嚆矢であると考えることができるからである.<BR>上記の関心にしたがって, 本稿では, まずホッブズの議論の特徴として2つの点を指摘する.これらが, "支配の社会学の初期設定" である.さらに, このような設定を可能にしたホッブズの思想的前提を, 人間観と社会観との2つの観点から明らかにする.この指摘によって, ホッブズの議論の限界と可能性が明らかになると同時に, ホッブズ以降の支配論ないし支配の社会学の歴史を整理するための足かがりが得られる.そして最後に, 議論の簡単なまとめと今後の研究の展望について触れることにしたい.
著者
吉田 民人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.46, no.3, pp.274-294, 1995-12-30 (Released:2009-10-19)
被引用文献数
1 1
著者
中井 美樹
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.699-715, 2009-03-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
36
被引用文献数
1 4

本研究では,性別役割分業と結びついたライフコースの特徴と職業の諸側面がどのように人々の権力・権限ある地位へのアクセスに影響しているかを,社会階層と社会移動の全国調査(SSM)データの分析により明らかにした.女性はもっぱら家庭との役割調整を行いながら断続的な就業パターンをとるという制度化されたライフコースは今なお優勢であり,女性の職業キャリア中断/継続の要因のイベントヒストリー分析からは,高学歴女性が必ずしもフルタイム継続しないことや若年女性の雇用流動化の傾向が示された.子どもや高安定高報酬の夫の存在といった家族要因もまた女性を無職化に導くことが確認された.また男性と女性がいかなる性構成の職業的文脈において昇進可能性が高まるのかを検討した結果,女性は男性職および女性職にフルタイム継続就業している場合に権限ある地位に接近しやすい傾向が明らかになった.ただし男性がマイノリティである職域でもむしろそれら少数の男性に権限への接近が有利な傾向がある.さらに,男性は同じ勤務先での就業経験が長いほど,高学歴ほど管理的地位に到達しやすい一方で,女性は自身の人的資本が職務権限への接近にほとんど意味を有しない.分析結果から,ライフコース的視座を組み込んだ職業政策の必要性が示唆される.