著者
田靡 裕祐 宮田 尚子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.57-72, 2015
被引用文献数
1

本稿ではNHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査データの2次分析を行い, 日本社会における仕事の価値の布置と, その長期的な変化の趨勢について検討した. R. Inglehartの価値変動の理論に依拠すれば, 社会が豊かであるほど, また豊かな時代に育った世代であるほど, 仕事におけるイニシアチブや責任といった内的価値への志向が高まるという仮説が導かれ, その妥当性はいくつかの先行研究によって確かめられている. しかしながら, 長期不況や労働市場の流動化による社会・経済的格差の拡大を背景として, とくに若い世代においてそのような志向が保持され続けているのかについては, 新たな検証が必要である.<br>1973年から2008年までの社会調査データを用いた2次分析の結果, 高度経済成長の恩恵を受けた新しい世代ほど, 外的価値よりも内的価値を志向する傾向があることが確かめられた. しかしその一方で, 90年代のバブル経済崩壊の後, 若い世代において内的価値への志向が抑制され, 外的価値への志向が高まっていることも同時に明らかとなった. このような知見は, 雇用制度や労働環境の変化に伴って, 仕事の価値の揺らぎ――外的価値への「回帰」や「多様化」が生じ始めている可能性を示唆するものである.
著者
青木 秀男
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.89-104, 2015

本稿は, 1945年8月6日に広島で炸裂した原爆について, 市内の被差別部落A町を事例に, 被害の他町との差異を分析し, その意味を, 災害社会学の概念 (社会的脆弱性, 復元=回復力) により解釈する. そして1つ, 原爆被害の実相を見るには, 地域の被害の<構造的差異>を見る必要がある, 2つ, 地域には被害を差異化する力と平準化する力が作用し, それらの力の拮抗と相殺を通して被害の実態が現れる, という2点を指摘し, 災害社会学を補強する. A町民の原爆死亡率は, 爆心地から同距離の他町とほぼ同じであったが, 建物の全壊・全焼率および町民の負傷率が高かった. そこには, ①A町には木造家屋が密集していた, ②建物疎開がなかった, ③原爆炸裂時に多くの人が町にいた (仕事場が自宅であった) 等の事情があった. また同じ事情で, A町民は多くの残留放射能を浴び, 戦後原爆症に苦しむことになった. そこには, A町の, 被爆前の社会的孤立と貧困の <履歴効果> と, 被爆による生活崩壊・貧困・健康障害の <累積効果> があった. 他方でA町民は, 被爆直後より被害からの復元=回復に向けた地域共同の努力を開始した. 地域共同は, A町の人々の必須の生存戦略であった. A町には, 地域改善運動や部落解放運動の基盤があった. しかしそれでもA町は, 戦後も孤立した町にとどまった. 地域の景観は大きく変った. しかし被害の構造的差異は, 不可視化しながら持続した.
著者
青木 秀男
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.89-104, 2015

本稿は, 1945年8月6日に広島で炸裂した原爆について, 市内の被差別部落A町を事例に, 被害の他町との差異を分析し, その意味を, 災害社会学の概念 (社会的脆弱性, 復元=回復力) により解釈する. そして1つ, 原爆被害の実相を見るには, 地域の被害の<構造的差異>を見る必要がある, 2つ, 地域には被害を差異化する力と平準化する力が作用し, それらの力の拮抗と相殺を通して被害の実態が現れる, という2点を指摘し, 災害社会学を補強する. A町民の原爆死亡率は, 爆心地から同距離の他町とほぼ同じであったが, 建物の全壊・全焼率および町民の負傷率が高かった. そこには, ①A町には木造家屋が密集していた, ②建物疎開がなかった, ③原爆炸裂時に多くの人が町にいた (仕事場が自宅であった) 等の事情があった. また同じ事情で, A町民は多くの残留放射能を浴び, 戦後原爆症に苦しむことになった. そこには, A町の, 被爆前の社会的孤立と貧困の <履歴効果> と, 被爆による生活崩壊・貧困・健康障害の <累積効果> があった. 他方でA町民は, 被爆直後より被害からの復元=回復に向けた地域共同の努力を開始した. 地域共同は, A町の人々の必須の生存戦略であった. A町には, 地域改善運動や部落解放運動の基盤があった. しかしそれでもA町は, 戦後も孤立した町にとどまった. 地域の景観は大きく変った. しかし被害の構造的差異は, 不可視化しながら持続した.
著者
山﨑 沙織
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.105-122, 2015
被引用文献数
3

本稿は, 1960年代に年間6万人の参加者を集めた長野県PTA母親文庫を研究対象とし, その参加者たちにとって「読書」がいかなるものであったか, また, その「読書」はどのような立場や能力に結びつく活動だったかを問うものである. それにあたってはエスノメソドロジーの視座に基づいて参加者たちのつくった文集をひもとき, 参加者たちが母親文庫での「読書」経験をどのように提示しているかを検討する.<br>検討の結果, 本稿の問いに以下の3点から回答を与えることができた. 1点目は, 参加者たちが, 「時代の変化について行く」ために読書をしていたことである. ただし, 参加者たちは「時代の変化についていくこと」を母親特有の課題ではなく自分と周囲の人々すべてにとっての課題と考えていた. 2点目は, 参加者たちが読書することと農家の主婦であることを両立させようとしていたことである. 家事も農作業も読書もすることは困難であったが, この困難の共有は参加者たちの仲間意識を強固にした. 3点目は, 独自の「読書」観をもつようになった参加者たちが「読書」活動により, 「農家の主婦」でもなく「教育する母親」でもなくいられる貴重な場を得ていたことである. この場は, 参加者たちが, 読書を「農家の主婦」の振る舞いから抜け出す行為と位置づけていたこと, また, 自分たちのことを子供よりも時代に遅れがちと見なし, 子供の世話より「読書」を優先させることを正当化していたことで支えられていた.
著者
山﨑 沙織
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.105-122, 2015
被引用文献数
3

本稿は, 1960年代に年間6万人の参加者を集めた長野県PTA母親文庫を研究対象とし, その参加者たちにとって「読書」がいかなるものであったか, また, その「読書」はどのような立場や能力に結びつく活動だったかを問うものである. それにあたってはエスノメソドロジーの視座に基づいて参加者たちのつくった文集をひもとき, 参加者たちが母親文庫での「読書」経験をどのように提示しているかを検討する.<br>検討の結果, 本稿の問いに以下の3点から回答を与えることができた. 1点目は, 参加者たちが, 「時代の変化について行く」ために読書をしていたことである. ただし, 参加者たちは「時代の変化についていくこと」を母親特有の課題ではなく自分と周囲の人々すべてにとっての課題と考えていた. 2点目は, 参加者たちが読書することと農家の主婦であることを両立させようとしていたことである. 家事も農作業も読書もすることは困難であったが, この困難の共有は参加者たちの仲間意識を強固にした. 3点目は, 独自の「読書」観をもつようになった参加者たちが「読書」活動により, 「農家の主婦」でもなく「教育する母親」でもなくいられる貴重な場を得ていたことである. この場は, 参加者たちが, 読書を「農家の主婦」の振る舞いから抜け出す行為と位置づけていたこと, また, 自分たちのことを子供よりも時代に遅れがちと見なし, 子供の世話より「読書」を優先させることを正当化していたことで支えられていた.
著者
土場 学
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.314-329, 1993

現代社会の高度の複合性を支えているのは、権力や貨幣と並んで、愛というメディア (シンボルによって一般化されたコミュニケーション・メディア) である。本稿の目的は、ルーマンのメディア論に基づいて、産業化あるいは近代化の名のもとにくくられる社会変動のなかで愛というメディアが果たした役割を明らかにすることであり、またそれにより「社会変動のメディア論的モデル」の可能性を開示することである。そのさい、社会変動のメディア論的モデルは、従来の社会変動論のようにミクロ・レベルあるいはマクロ・レベルのいずれか一方に一貫して変動のメカニズムを想定するのではなく、むしろミクロとマクロを連結するメカニズムとしてのメディアに理論的焦点を当て、そのメディアを機能させる意味空間 (ゼマンティーク) に生じた「ゆらぎ」が社会変動をもたらす、という発想に基づく。本稿では、この社会変動のメディア論的モデルに基づいて、産業化あるいは近代化を特徴づける重要な社会変動の一つである「近代家族」の成立の過程を、愛というメディアの自律化の過程として説明することを試みる。そしてそこにおいて、愛というメディアのゼマンティークの歴史的変遷が、少しずつ、しかし着実に近代家族の成立のための条件を整えてきたことを明らかにする。
著者
藤澤 三佳
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.42, no.4, pp.374-389,483, 1992-03-31 (Released:2009-11-11)
参考文献数
17
被引用文献数
1

精神病は、その病歴者に、あらゆる社会的規範を逸脱するという、非常に大きく、かつ特殊なスティグマを付与し、その結果、病者はすべての点で「社会」から排除される。そこには、いわば「予言の自己成就」ともいわれる過程がみられる。本稿では、病者当事者にとってのアイデンティティの問題やそこからの解放の問題をとらえるにあたり、患者会の会報への投稿文の記述から、 (1) 精神病のもつ、社会性にまつわるスティグマの性質について、従来からの諸研究を検討しながら考察し、 (2) そのスティグマ付与の結果として、入院中や退院後をとうして社会性をもつことが困難になるという、いわゆる「予言の自己成就」過程について示し、 (3) 精神病のスティグマを付与された当事者が社会性喪失というスティグマからの解放を試み、社会を再び模索する過程、 (4) その解放への試みにも内在するスティグマの増大に関して考察する。
著者
佐藤 嘉一
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.37, no.1, pp.35-44,129*, 1986-06-30

日常経験、日常知、日常生活を改めて見直す動きが、近年社会学、哲学、言語学などの諸専門的学問分野で盛んである。社会学の分野では、とくにエスノメソドロジー、象徴的相互作用論、現象学的社会学などの<新しい>社会学が日常生活を問題にしている。本稿で問題にしている事柄は、次の三点である。<BR>一、 社会学の内部で日常経験の世界に関心をむけさせる刺激因はなにか。日常経験へと志向する社会学が<新しい>と呼ばれるのはなぜか。日常経験論とシステム理論とはどのような問題として相互に関連するのか。<BR>二、 一で明らかにした<科学の抽象的現実>と<生活世界の具体的現実>との<取り違え>の問題を、シュッツ=パーソンズ論争を例にして検討する。<BR>三、 ルーマンのシステム理論においても、<科学の自己実体化>の角度から二の問題が論じられている。ルーマンの論理を検討する。
著者
平井 勇介
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.97-115, 2014 (Released:2015-07-04)
参考文献数
19

本稿の目的は, 森林環境保全や生活保全のために地権者自らが所有権を一時的に制限しようとした, 地権者組織の論理を明らかにすることである.本稿の事例地は, 都市近郊に位置し, 開発圧力が非常に高い場所である. 一般的に, そのような地域で計画された自然再生事業や自然環境保全活動に対して, 地権者の協力を得ることは難しいと想定される. しかしながら, 事例地の地権者組織は, 一時的ではあれ自らの所有権を制限する, 事業への条件つき賛成案を提案したのだ.この地権者組織の所有権制限の論理とは, 簡略に述べれば地域社会の「秩序再構築」であった. 事例地では, 1990年代に生じたダイオキシン問題によって, 地権者間に経済的・心理的な格差がうまれていた. なぜなら, ダイオキシン問題の原因となった産業廃棄物業者などへ土地を貸借/売却した地権者や平地林を売らずに守り続けた地権者などが, 地域社会に併存していたためである. 地権者組織は, この地権者間の格差を是正するという案だからこそ, それぞれの地権者の所有権を制限する, 自然再生事業への条件つき賛成案を組織の総意とできたのである.こうした事例から本稿では, 森林環境保全や生活保全のために所有者自らがその権利を一時的に制限しようとした論理として, 地域社会の「秩序再構築」が挙げられることを明らかにした.
著者
深谷 直弘
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.62-79, 2014 (Released:2015-07-04)
参考文献数
28
被引用文献数
4

本稿は, 長崎・新興善小学校校舎保存問題を事例として, 建築物・場所をめぐる記憶実践を権力との対抗関係だけに着目するのではなく, 各集団の記憶の対立という視点から, 記憶とモノ, 社会の関係性を検討した. 市の解体決定プロセスと保存をめぐる態度の分析を通じて見えてきたのは, この保存問題は, 保存/解体の対立ではなく, 場所の記憶をめぐる対立であったということである.現物保存を訴えた保存運動側は, 「校舎」が被爆者のかつての治療の場であったことから, 現物保存するよう訴えた. 他方, 再現展示 (メモリアル・ホールとしての保存) を訴えた新興善小学校関係住民は, 「校舎」をあくまで「母校」として捉えていた. そのため, 被爆者の治療の場であった頃の記憶は「校舎」には見出していなかった. むしろ「母校」の中で受け継ぐべき原爆の記憶は小学校内の行事である献花・慰霊祭や平和学習にあった. つまり, 同じ小学校校舎を, 救護所としてみるか, それとも, 母校としてみるのかによって, 両派の保存の態度が違いとなって現れたのである.本稿で明らかになったことは, 被爆建造物の保存において, 同じ建物・場所であっても, 複数の記憶が交錯しているがゆえに, 各場所の記憶同士の対立や矛盾があるということ, モノそれ自体がもつ原爆体験を想起させる力は, 保存を主張する側の文脈に沿って, 都合よく創られるものではないということである.