著者
伊藤 守
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.541-556, 2015
被引用文献数
1

本稿の目的は, 日本における映像アーカイブズの現状を概括し, そのうえで映像アーカイブ研究, とりわけテレビ番組アーカイブを活用した映像分析の方法を考察することにある. アーカイブに向けた動きが欧米と比較して遅かった日本においても, 記録映画の収集・保存・公開の機運が高まり, テレビ番組に関してもNHKアーカイブス・トライアル研究が開始され, ようやくアーカイブを活用した研究が着手される状況となった. 今後, その動きがメディア研究のみならず歴史社会学や地域社会学や文化社会学, さらには建築 (史) 学や防災科学など自然科学分野に対しても重要な調査研究の領域となることが予測できる.こうしたアーカイブの整備によって歴史的に蓄積されてきた映像を分析対象するに際して, あらたな方法論ないし方法意識を彫琢していく必要がある. あるテーマを設定し, それに関わる膨大な量の映像を「表象」分析することはきわめて重要な課題と言える. だが, 「アーカイブ研究」はそれにとどまらない可能性を潜在していると考えられるからである. 本稿では, M. フーコーの言説分析を参照しながら, アーカイブに立脚した分析を行うための諸課題を仮説的に提示する.
著者
吉見 俊哉
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.557-573, 2015

デジタル革命は社会的記憶の構造を持続的に変化させる. デジタル技術は同じ情報が大量複製されていっせいに伝播・流通し, 大量消費されていくというマス・コミュニケーションの回路に介入し, <生産→流通→消費> の空間軸の組織化を, <蓄積→検索→再利用> の時間軸の組織化へと転換させる. もはや <過去> は消えなくなり, 無限に集積されていく情報資源となる. ここで必要なのは, 文化の創造的「リサイクル」である. 古い記録映像は, 音や色を与えられて新しい教育の貴重な「資料」となり, 古い脚本のデータは新しいドラマ作品を創造していく基盤となる. この転換には, まず散在するさまざまな形態のメディア資産の財産目録を作成し, 原資料を安定的な保存環境に集めていく取り組みを進める必要がある. また, アーカイブ化されたデジタルデータについて, 共通フォーマットにより標準化を進め, 公開化と横断的な統合化を進めることも重要である. さらに, デジタルアーカイブ運用のための人材育成, 教育カリキュラムにアーキビスト育成を取り込んでいくことも必要となる. デジタル時代のアーカイブでは, 保存の対象はけっして政府・行政機関の公文書に限定されない. アーカイブ化される資料や情報には, 地域の人びとによって撮影されたり語られたりした情報が大量に含まれるし, マスメディアやインターネットの情報がともに保存されていく. それらの情報全体が, 国境を越えて結びついていくのである.
著者
櫛原 克哉
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.574-591, 2015

本稿は, 社会生活への適応に困難を感じたために, 精神医療機関を利用した経験のある人々の語りを考察した. 近年の精神薬理学や臨床心理学的治療の拡充を受け, 精神医学においては従来の心理的・内面的な要因を対象とした治療に代わり, 患者の脳を中心とする生物学的要因や可視的な行動の矯正といった「フラット」な領域の治療が推進されている. N. Roseは, このような管理技術の浸透を, 精神医学の統治の「フラット化」の現象として指摘する.<br>統治のフラット化を被治療者の観点から考察すべく, 筆者は医療機関への通院経験がある6名を対象にインタビュー調査を実施した. その結果, 「全人格型の語り」と「場面型の語り」の2類型が導出された. 「全人格型の語り」は心理学的な因果関係の文脈から過去との連続性を有する自己を導出するのに対し, 「場面型の語り」は現在属する社会環境内で問題となる思考や行動を限局的に調整しようと試みる断片的な自己という性質を有した.<br>2つの語りは, 精神医学の治療構造の分裂を反映し, 医学のフラット化が不均質に浸透したことにより, 治療対象となる自己も分裂して生起することが確認された. このことから, 精神医療における統治により, 社会環境に適合的な自己が「フラットに」産出される一方で, 心理学的な主題に回帰して「精神の深部」を参照するような自己が, フラットな統治を下支えし治療の求心力として作用していることが示唆された.
著者
柄谷 利恵子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.309-328, 2005

市民権概念は, 領域性を前提とする主権国家体制の下で発展してきたが, 現在は不適合状態に陥っている.市民権を持たない居住者が増加し, その処遇をめぐり一定の権利付与が求められる一方で, 各国政府が市民権保有者の権利を保護し, その価値を保障することが困難になっている.グローバリゼーションは, いわゆる「市民権のギャップ」を生みつつも, 市民権の有無にかかわらず, 権利を主張しうる新たな基盤を提供している.<BR>本稿では, 海外に居住する移住者の権利要求の「基盤」として, (1) 海外に居住する市民が, 居住国での扱われ方について出身国政府に権利の代弁を要求しうる「対外市民権 (external citizenship) 」, (2) 市民権を持たない居住者として保障されるべき「外国人の権利 (aliens'rights) 」, (3) 「定住外国人の権利 (denizenship) 」, (4) 人として保障される「普遍的人権 (universal personhood) 」の4つを提示する.具体的には, (4) に基づく国際人権体制に属する, 「あらゆる移民労働者とその家族の保護に関する国連条約」の制定・発効過程を分析する.人の移動の歴史は古く, 移住者の権利侵害も絶えず存在した.したがって, グローバリゼーションを背景に主張されるようになった「人であることに由来する普遍的権利」以外にも, 移住者の権利を保護する基盤は存在していた.グローバル時代の特徴は, こういった基盤が複数存在し, それを利用する手段や代弁者が領域的制限から自由な点にある.
著者
遠藤 薫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.43, no.4, pp.390-405,499*, 1993-03-31
被引用文献数
1 1

本稿の目的は、時代の転換が叫ばれ、将来を見きわめにくいとされる現代社会に関して、その理解枠組を提示することにある。ただし、いかに著しい変容が指摘されようと、今日は昨日の続きである。そこでわれわれは、「現代」を生成する動態しての「近代」を再検討するところから始める。「近代」を規定してきたのは「機械」を経由した「普遍的真理」への指向といえる。が、これは自己解体へ通じるパラドックスを秘めている。「現代」は、この矛盾から生じた社会動態の一つの帰結であり、同時に過程である。本稿から導出されるこの認識から、今後更に精密に展開されるべき議論の基盤となる視点を提示する。
著者
遠藤 薫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.43, no.4, pp.390-405,499*, 1993-03-31
被引用文献数
1 1

本稿の目的は、時代の転換が叫ばれ、将来を見きわめにくいとされる現代社会に関して、その理解枠組を提示することにある。ただし、いかに著しい変容が指摘されようと、今日は昨日の続きである。そこでわれわれは、「現代」を生成する動態しての「近代」を再検討するところから始める。「近代」を規定してきたのは「機械」を経由した「普遍的真理」への指向といえる。が、これは自己解体へ通じるパラドックスを秘めている。「現代」は、この矛盾から生じた社会動態の一つの帰結であり、同時に過程である。本稿から導出されるこの認識から、今後更に精密に展開されるべき議論の基盤となる視点を提示する。
著者
直野 章子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.500-516, 2010-03-31

記憶研究が流行となって久しいが,その背景にはポストモダニズム,ホロコーストに対する関心の高まり,「経験記憶」消滅の危機などがある.同時に,脱植民地化や民主化運動が記憶という課題を前景化したように,国際的に広がる記憶研究は,記憶が正義や人権回復の取り組みと深く関わっていることの表れでもある.<br>記憶研究の劇的な増加に大きく貢献した「記憶の場」プロジェクトだが,「文化遺産ブーム」に見られるようなノスタルジアを助長する危険性もある.「記憶の場」を批判的な歴史記述の方法論として再確立するためにも,「場」に込められた広範な含意を再浮上させなければならない.その一助として,「記憶風景」という空間的な記憶概念を提起したい.<br>記憶風景とは,想起と忘却という記憶行為を通して,個人や集団が過去を解釈する際に参照する歴史の枠組みであり,想像力を媒介にした記憶行為によって命を吹き込まれ,維持され,変容される過去のイメージでもある.この暫定的な定義をもとに,ヒロシマの記憶風景の現い在まを描いてみる.<br>帝国主義の過去との連続性を後景に退け,前景に「平和」というイメージを押し出す,記憶風景の結節点が広島の平和公園だ.戦後ナショナリズムの文法に従って編成されてきたが,不気味な時空間も顔を覗かせている.それは,国民創作という近代プロジェクトにおける「均質な空白の時間」が侵食されていく場所でもあるのだ.
著者
中島 道男
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.48-63, 1982-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
62

デュルケムは既存社会諸科学との緊張関係の中で自己の社会学を形成している。「歴史学」に対しても例外なく彼は批判的である。デュルケムの歴史学認識の基礎にあるのは<事件> (événement) と<制度> (institution) の二分法である。両者を区別するのは、法則の存在を科学的思考の決定的要因とする彼の哲学的立場である。<事件>は一見したところいかなる明確な法則からも由来しないように思われ、<事件>の領域は科学に反抗的とされるのである。この二分法を基礎に、彼はセニョーボスに典型的な<事件>に極端な重要性を与える伝統的歴史学を批判し、社会の骨組である<制度>を認識しないならば<事件>を理解することはできない、と主張する。この主張の具体的展開が、従来あまり評価されてこなかった彼の戦争分析である。そこでは、マンタリテすなわち集合心理の側面で捉えられた<制度>と<事件>の関係の考察が中心である。彼は社会学を<制度>の科学と定義しているし、彼が社会学における「説明」を因果関係の確立に求めるときにも、伝統的歴史学批判は底に存在している。これらの意味で、デュルケム社会学における歴史学の位置はネガティヴではあれ大きいといえる。更に、彼の伝統的歴史学批判は歴史学におけるその後の動向と軌を一にするものであり、彼の思想史的意義を示すものである。
著者
西田 春彦 平松 闊
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.38, no.2, pp.130-149,303, 1987-09-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
117
被引用文献数
1

(1) Scaling, sampling and data analysis : a reviewAfter the Second World War the methods of sociological researches in Japan were affected by those of American sociology. Most of Japanese sociologists mainly used the method of case study for sociological researches before the War, but they were not well acquainted with statistical methods. After the War Japanese sociologists had their great wish to develop sociology as an empirical science. They were interested in scaling, random sampling and data analysis in a word.These sociologists constructed unidimensional scales in various studies such as social consciousness, social stratification and measuring the structure of rural community, etc. To improve good-poor analysis and Likert scale was suggested. Subsampling (especially probability proportionate sampling) was applied to large area surveys like a kind of a sampling survey of social stratification and mobility. Moreover, a panel survey was carried out for the study of election and a replicated sampling design was adopted in a survey of slums.Sociological data are qualitative as well as quantitative. So, sociologists paid their attention to how to treat qualitative data. According to the development of computer and algorism, they utilized multidimensional scaling and other approaches, for example latent structure analysis, log-linear analysis and Hayashi's quantification methods, etc. Hayashi's quantification methods were systematically set up by C. Hayashi and his cooperators to clarify the interrelations among objects or items by the use of a score allocated to each category of qualitative items. In 1987 fuzzy quantification methods are shown by some experts of fuzzy set theory.In short, Japanese sociologists laid the foundation of quantitative approaches for sociological researches in three decades after the War.(2) A review of quantitative and mathematical approaches to the sociological researches of Japan since 1970These approaches have mainly developed on the study of the social stratification and mobility especially concerning the data of the SSM survey since 1955.The topics of these approaches are : 1) the problem of the consistency (or inconsistency) of the social stratification 2) the quantitative study of the social mobility and the analysis of the status formation process 3) the study of the use of the log-linear-model 4) the present condition and the prospects of the mathematical sociology in Japan.The tremendous efforts have been made for the SSM survey and the analyses of these data. The multivariate analysis revealed a consistent trend of the social stratification of Japan, and further investigations were made as to the applications of various statistical models and how to use these models.Yet in general, statistical or mathematical models have hardly generated and invented, and there have been few original studies (except for Yasuda's index) of quantitative and mathematical sociology in Japan. Accordingly, we hope for the 'originality', JAMS (Japanese Association for Mathematical Sociology), started in 1986, motto.
著者
蔵内 数太
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.11-23, 1978-07-31 (Released:2009-10-20)
参考文献数
1
著者
高原 基彰
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.206-215, 2010-09-30
被引用文献数
1 1
著者
西山 哲郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.695-710, 2013 (Released:2015-03-31)
参考文献数
58
被引用文献数
1
著者
佐藤 守
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.18, no.3, pp.39-57, 1967-12-01 (Released:2009-11-11)

The study of “traditional” young men's groups (Wakamono-gumi) in Japan has been focussed mainly on the customary institution of young men's lodging house and on the function of marital control, both from the viewpoint of Japanese folklore, and has not analyzed its transformation in relation to village structure. This report considers the traditional groups as the original pattern for new young men's associations (Seinen-dan) since late Meiji, and involves consideration of how the former was recognized, using the example of Izu fishing village. It considers first the traditional group in village structure, and then pursues how it was transformed in relation to inner factors in the village as well as nationwide conditions. The results of the research are as follows : (1) The traditional group was first organized as a substructure of the fisherman's boss group in the fishing village under the feudal system. The Community structure that was organized by the boss group and its fishing workers (the former having special fishing rights and latter not) had reflected its dual character on the traditional young men's group, and there its exclusive character had produced two groups : the one consisting of young fishermen and the other of young merchants and handicraftsmen.(2) Since the middle of Meiji the establishment of public social systems, the reformation of fisheries laws and the development of fishing tecniques relaxed gradually the solidarity of the boss group based on inshore fishing grounds. Next, united body of traditional groups was organized by governmental guidance to new young men's associations on the level of local autonomous entities that generally included several national villages. Therefore the association had dual character : that of the united body to be used for military forces, and that of each traditional group as a branch of body adhering closely to each village system. The coexistence of the two different groups was ensured by the homogeneous gemeinschaftlich character proper to their structure. This coexistence continued essentially to the end of the World War II.(3) After the War (1945) with the dissolution of the united body, the young men's associations started. But since 1955 socio-economical changes have not allowed all young men in the village to be organized as a unit. So there are many different small young men's groups now.The organization principles of young men's groups have experienced the following changes : (a) gemeinschaftlich (b) “gemeinschaftlich-nationalistic”, (c) individualistic. The change of these principles is founded on the structural character of the fishing village in each time.
著者
関 礼子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.47, no.4, pp.461-475, 1997-03-30 (Released:2009-10-13)
参考文献数
28
被引用文献数
3 2

本稿は, 自然を地域社会の「環境世界」と捉えるという視点から, 自然保護運動における運動行為者の「自然」の意味を考察するものである.ここで中心的に見てゆくのは, 地域住民の運動から, 世論を巻き込んだ全国的運動に展開した, 愛媛県今治市の織田が浜埋立反対運動である。この運動を通して, (1) 織田が浜という自然が, 客観的抽象概念としての自然ではなく, 地域社会の行為や文化, 歴史を映し出す具体的なものとして保護運動の対象となっていること, (2) 運動は世論喚起をするなかで新たな運動行為者をリクルートしてゆくのだが, 新たに運動に参与する人々にとっても, 織田が浜は単なる客体ではなく自分史を投影するものとなっていることを明らかにする。住民が自分の地域の自然を守るという態度は, 地域外部の人々にも開かれている。織田が浜を離れた人, 今治や愛媛を離れた人にとって, 織田が浜運動は思い出や郷里を守ることに繋がった。また, 海を汚染や埋立から守るという点で, 同じような経験を持つ人々とも繋がった。地域が自然と育んできた関係性を運動を通して考察することから, 自然保護運動が, 運動行為者の記憶を守る運動, 故郷への精神的紐帯を求める運動でもある点を論じる。そこから, 自然が持つ社会的な意味がより明確に浮かび上がってくると考えるからである。
著者
春日 直樹
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.162-177, 1984-09-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
42

ルソーの疎外・ユートピア論は、人間の対他性を軸にして展開される。対他存在である人間は、ここから生じる決定的問題を社会において解決すべく義務づけられている。それは、比較や差異化がもたらす<自己の表示><他者による評価>の間の不一致という問題である。疎外とは、この問題が社会的評価への一方的依存により封じ込められた解決であり、またユートピアとは、問題が良心への忠誠と「一般意志」への服従とによって克服された解決である。しかしルソーは疎外の克服を確信することも、その具体的な道を示すこともしていない。対他性の問題は、これを存在の一部として背負いつづける人間が刻々己れで体験し解決していくしかない。ただ、彼が「良心」に従い「心と心の交流」を実現させるかぎり、疎外克服の道は他者との間につねに開かれている。そしてこの実践こそ、ルソー理論そのものを対他存在としての「告白」に変えるのである。
著者
首藤 明和 西原 和久
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.336-343, 2014

世界社会学会議の折に, チャイナ・デイが中国社会学会, 中国社会科学院, 日本社会学会, 日中社会学会の共催で2014年7月15日に開催された. 論題は中国の改革と社会転換. サブテーマは中国の改革とソーシャル・ガバナンス, 社会転換と構造変動・社会移動であった. 東アジア社会学に関する基調講演 (矢澤修次郎) の後, 12名の中国社会学者が中国におけるガバナンス, 不平等, 人口, 都市化, 女性, 世代間格差, 移動などを論じた. この集会で討論者 (首藤明和) が総括したように, 広く論じられている「公的」論点は社会学的に分析され, 聴衆は何が中国社会学の重要論題で, 何が課題かはよく理解できた. だが, 多様性, 民族, 宗教などの論争的論題は十分には論じられなかった. これらも, 中国の社会 (学) にとって重要であろう.<br>とはいえ, 集会自体は成功したと評価できる. なぜなら, 国際学会に際して日中の社会学者が協働し, 研究の共同空間を創造できたからだ. グローバルレベルと東アジアというローカル・リージョナルレベルとの結合は, 国家を超えた交流, 協力に寄与する. もし日本の多数の社会学者が報告し, 議論したならば, さらに対話は進んだだろう. 一国内の知の枠組み――それはしばしば他者の疎外や排除に転化する――を超えることが社会学に要請されている. もちろん, この要請は現実には容易に達成できない. それゆえ, この現実自体も社会学で問われるべき課題だろう.
著者
首藤 明和 西原 和久
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.336-343, 2014

世界社会学会議の折に, チャイナ・デイが中国社会学会, 中国社会科学院, 日本社会学会, 日中社会学会の共催で2014年7月15日に開催された. 論題は中国の改革と社会転換. サブテーマは中国の改革とソーシャル・ガバナンス, 社会転換と構造変動・社会移動であった. 東アジア社会学に関する基調講演 (矢澤修次郎) の後, 12名の中国社会学者が中国におけるガバナンス, 不平等, 人口, 都市化, 女性, 世代間格差, 移動などを論じた. この集会で討論者 (首藤明和) が総括したように, 広く論じられている「公的」論点は社会学的に分析され, 聴衆は何が中国社会学の重要論題で, 何が課題かはよく理解できた. だが, 多様性, 民族, 宗教などの論争的論題は十分には論じられなかった. これらも, 中国の社会 (学) にとって重要であろう.<br>とはいえ, 集会自体は成功したと評価できる. なぜなら, 国際学会に際して日中の社会学者が協働し, 研究の共同空間を創造できたからだ. グローバルレベルと東アジアというローカル・リージョナルレベルとの結合は, 国家を超えた交流, 協力に寄与する. もし日本の多数の社会学者が報告し, 議論したならば, さらに対話は進んだだろう. 一国内の知の枠組み――それはしばしば他者の疎外や排除に転化する――を超えることが社会学に要請されている. もちろん, この要請は現実には容易に達成できない. それゆえ, この現実自体も社会学で問われるべき課題だろう.
著者
陳 立行
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.344-350, 2014

本稿は, 初めて日本で開催した第18回世界社会学会議は, 多様な価値に溢れている21世紀の世界に向かって, 東アジア社会学の構築にとって先頭に立つととらえ, それがもつグローバル社会学への挑戦における課題と意義について考えている.<br>筆者は, 戦後, 歴史, 文化, 宗教, 政治体制が欧米社会と大きく異なる東アジアの国々の近代化への過程に, とくに1990年代から, 情報機器の社会生活への普及によりモダニティの過程を経ず, いきなりポストモダン社会に突入する社会変容に対して, 欧米社会学では限界が現れていると指摘した. これは, これまで現代のジレンマに陥っている東アジア社会学の理論的創新の機運となると論じ, 第18回世界社会学会議の意義を考えた.