著者
宮本 裕子
出版者
明治学院大学言語文化研究所
雑誌
言語文化 (ISSN:02881195)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.49-62, 2019-03-31

特集 トランスレーション・アダプテーション・インターテクスチュアリティ
著者
林 完枝
出版者
明治学院大学言語文化研究所
雑誌
言語文化 (ISSN:02881195)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.23-33, 2019-03-31

特集 トランスレーション・アダプテーション・インターテクスチュアリティ
著者
高 美哿
出版者
明治学院大学言語文化研究所
雑誌
言語文化 (ISSN:02881195)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.34-48, 2019-03-31

特集 トランスレーション・アダプテーション・インターテクスチュアリティ
著者
諫早 勇一
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.277-291, 2009-08

1920年代から30年代にかけて、亡命の子どもたちが学ぶロシア・ギムナジウムが置かれたモラフスカー・トシェボヴァーの町は、亡命ロシア文化を語る上で、忘れてはならない重要な地位を占めている。本稿では、1)チェコスロヴァキア政府の亡命ロシア人援助政策を受けて実現したコンスタンチノープルからの大移動、2)ここで亡命の子どもたちに課せられた作文、3)思い出の場所としてのモラフスカー・トシェボヴァー、という三つのテーマを中心に、この町の遺した意義について考察する。研究ノート(Note)
著者
中村 久男
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.8, no.2, pp.261-284, 2005-12

日本ではいまだに知名度の低いアメリカ南部再建期から世紀転換期にかけ作家活動を行ったアフリカ系アメリカ人チエスナツトの第二短編集『彼の若き日の妻とその他のカラー・ラインの物語』を扱った論文である。カラー・ラインとは肌の色による差別が歴然と存在するが、その見えざる人種の境界線を指す。彼は、短編集を編むにあたり、9編の物語の配列に最善の努力を惜しまず、その結果に満足した。では、彼が目指した最良の配列とはどのようなものであり、それによって彼が伝えようとした作家の意図とは何であるのかを探求した。第一には、各短編が次ぎの物語と相互に関係しあい、相互に対照・照射し合う、間テクスト的配置が認められた。第二には、ブルー・ヴエインズと呼ばれる裕福な中流黒人層を描く物語で始め、カラー・ラインを越えようとする黒人の生活の諸相が描かれるが、最後には、貧しい黒人の悲劇的な物語を二編配置することによって、カラー・ラインは恣意的な見えざるの境界線ではあっても、それを越えるのは非常に困難であること、白人読者が興味をもち受け入れ易い短編から次第に南部黒人が置かれた厳しい現実を突きつけるような物語の流れを作ることによって作者はカラー・ラインへの挑戦姿勢を明確に打ち出しているのである。
著者
吉田 優子
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.11, no.4, pp.[599]-616, 2009-03

論文(article)八重山諸島の石垣島、石垣市街の中でも字ごとに発音の違いが細分化されることが古謡の伝承と現地調査によってわかった。石垣市四箇字の方言を中心に、今、消滅しつつあるといわれるこの方言から中舌高母音/ï/がなくなりつつあることと四箇字のうち字登野城においては他の字では観察された[p]音から[h]音への弱化が起こっていないことがわかったのを説明する。同時に、市内中心部でも字ごとに違う発音の細分化が保たれた文化的、社会的背景を辿るのが本稿の目的である。四箇字の古謡「ユンタ」の由来を検討してみると、集合的に四箇字の、ではなく、四つそれぞれの字を発祥の地とするユンタがある。畑仕事中に掛け合いで歌われたという性質上、地域性を強く反映するものとみなして調べた結果、この比較的小さな区域内での発音のヴァリエーションを垣間見ることができた。Reported here are some recent changes of the pronunciation in the Ishigaki dialect along with their social and cultural background. This study is based on the recently collected set of data from the author's fieldwork, and on the diversity found in the way old folk songs are recorded in the four main villages. In the dialect of Ishigaki city centre high central vowel /i/ is disappearing and lenition of /p/ is observed. The accent varieties are diversified and preserved in tandem with the religious, farming and singing community.
著者
クロス ロバート
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.209-233, 2012-01

1947年のインド独立後の数十年間、インドにおけるドキュメンタリー映画製作は、ジャワハルラール・ネルー首相の国家建設プロジェクトの代名詞となった。ドキュメンタリー製作者は、製鋼所やダムなど当たり障りのない映画を作り、カースト制度や不可触賤民など議論を呼ぶテーマを避けてきた。その結果、インドにおけるドキュメンタリーは厳しく批判される分野となった。しかしながら、1980年以降、アナンド・パトワルダンらの若い映画製作者が、現代のインド社会が直面する差し迫った社会問題に関心を持つようになった。最近では、新興世代の、その多くがパトワルダンに影響を受けている映画製作者が、カースト制度や不可触賤民などのインドの負の側面を観察することに乗り出した。ラジェシュ・S. ジャラ(1970年生まれ)は、経済大国、現代インドが抱える社会的・文化的問題を調査し報道しようとする、若手監督世代の一人である。ジャラの受賞作品「火葬場の子供たち(2008)」は、インドの最も混雑する火葬場である、マニカーニカガットで死体を火葬させられるヴァラナシのドムのコミュニティの不可触賤民の子供たちの生活を描いている。本稿では、ジャラがどのようにして映画を製作するに至ったのかを考察し、無力なコミュニティについて記録することによって生じる道徳的含意を検討する。
著者
伊狩 裕
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.1-47, 2006-08

カール・エーミール・フランツォース(1848-1904)は、今日ではもっぱら、東方ユダヤ人の世界を描いた、いわゆる「ゲットー作家」としてのみ知られ、『小ロシア人の文学』、『タラース・シェフチェンコ』等によって、ウクライナ人の文化、特にその文学を、当時、ドイツ語圏にむけて精力的に紹介していたことは知られていない。本稿では、ウクライナ民族の歴史と文学に対するフランツォースの深い理解と関心とを示すものとして、『小ロシア人の文学』、『タラース・シェフチェンコ』、そしてまた、フランツォース自身によるシェフチェンコの詩のドイツ語への翻訳を取りあげ、従来、もっぱら「ユダヤ」によってのみ論じられることの多かったフランツォース像を補正し、フランツォースの全体像を明らかにする。同時に、「フランツォースのウクライナ」は、「ユダヤ」による、「スラヴ」の「ゲルマン」への仲介であったが、それを初めて可能としたものとして、ガリツィアという空間の特質を取りあげる。Karl Emil Franzos (1848-1904), geboren in einer assimilierten jüdischen Familie in Galizien, ist heute nur als ein Schriftsteller vom jüdischen Ghetto in Galizien bekannt. Er war jedoch auch einer der wenigen Deutschen, der sich damals für die ukrainische Kultur interessierte, und schätzte insbesondere ihre Volkslieder und Literatur hoch. Dies lag u.a. daran, dass die ukrainische Sprache seine erste Sprache war und ihm die ukrainische Kultur von Kind auf sehr vertraut war. Eine Untersuchung der "Ukraine von Franzos" ist nicht nur für seine ganzheitliche Würdingung notwendig, sie bietet auch einen Zugang zum Verständnis der Spezifität Galiziens im 19. Jahrhundert. Franzos behandelte die ukrainische Literatur in "Die Literatur der Kleinrussen" und "Taras Szewczenko". Beide sind in der Sammlung "Vom Don zur Donau"(1889) enthalten. Im ersten Werk behandelte Franzos vor dem geschichtlichen Hintergrund der Ukrainer und ihres unglücklichen Schicksals die ukrainische Literatur vom 11. Jahrhundert bis in die 1880er Jahre. Im zweiten konzentrierte sich Franzos auf eine einzige Person, den Dichter Taras Szewczenko (1814-1861, auf Deutsch: Schewtchenko), und beschrieb, wie sich in ihm das ganze nationale Schicksal der Ukraine spiegelt. Die beiden Werke ergänzen sich also gegenseitig.5 Jahre nach dem "Taras Szevczenko" übersetzte Franzos ein Gedichte von Szewczenko, in dem dieser kurz vor seinem Tod seine Enttäuschung und Hoffnungslosigkeit ausdrückt. Szewczenko hatte in jüngerern Jahren auch zahlreiche provokative und hoffnungsvollere Gedichte verfasst. Dass Franzos gerade dieses Gedicht auswählte, übersetzte und mit dem Titel "Erwarte nichts!" versah, zeigt, wie sehr Franzos seine eigenen Gefühle darin gespiegelt sah.