著者
前川 道郎
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文報告集 (ISSN:09108017)
巻号頁・発行日
no.359, pp.135-144, 1986-01-30

I have carefully scrutinized literary works of the 12th and 13th century hilosophers-DIDASCALICON by Hugh of St. -Victor, DE ANIMAE EXSILIO ET PATRIA by Honorius of Autun, DE REDUCTIONE ARTlUM AD THEOLOGIAM by St. Bonaventure, and DE DIVISIONE PHILOSOPHIAE by Dominicus Gundissalinus-in view of the classification of philosophy, science or discipline, and the orientation of MECHANICA and ARCHITECTONICA therein. In Hugh's work, MECHANICA which includes ARCHITECTONICA and six other sciences, is classified as one of four main disciplines (three others are THEORICA, PRACTICA and LOGICA) which contain traditional seven liberal arts. On the other hand, Honorius considered MECHANICA as one of ten liberal arts, which means that MECHANICA is nothing but a discipline (Wissenschaft). Thus, from 12 th century on, which is the end of Romanesque Era and the dawn of Gothic, MECHANICA and ARCHITECTONICA recovered, it seems, the ancient Greek and Roman significance of RATIOCINATIO as compared with FABLICA. 13th century, which is a century of splendid Gothic cathedrals, is also a century of preeminent architect-mastermasons. They are sometimes compared to and with high clergies and scholastic masters, as were Pierre de Montreuil and Hugh Libergier done. The fact that Gothic architects are a sort of scholars who had mastered the discipline-science which is now called architecture, is ascertained by these works of eminent philosophers in the Middle Ages.
著者
坂 静雄 藤森 照信
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
建築雑誌 (ISSN:00038555)
巻号頁・発行日
vol.101, no.1254, pp.5-8, 1986-12-20
著者
石原 正雄
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会近畿支部研究報告集. 計画系 (ISSN:13456652)
巻号頁・発行日
no.17, pp.93-96, 1977-05-02

人類が住居に炉を作り主に採暖のために火を利用したことは、生産性・快適性の上昇でありまた生活圏の拡大を可能にし、さらに生産性を高めることになった。しかしそれは室内空気の汚染という現代まで存在する不利をもたらした。発生する煙に惱まされて、はじめて屋根に排煙口があけられたことは換気技術・空調技術の第一歩だといってよい。給気のための開口は出入口や多くの隙間であった。從って壁に孔をあけて換気を図るということは余り考えられなかったと思われる。窓はむしろ明り取りのためあけられ、雨・風の侵入を防ぐために角、雲母,石の薄片,クロスなどで被われ、はめ殺しであった。窓建具の普及は1700年代であろう.換気のため窓建具を開けたとき生ずるドラフトを防ぐ工夫は18世紀に多く、ホッパー窓の原型は1784年にst.Thomas Hospitalに設計られた.これにつづいて孔あき金属枝,ガラスルーバー,風車型ベンチレーターなどが用いられた.が多くは採光のロスがあり、全く満足できるものはなかった.ヴィクトリア時代,労働者階級の住宅の換気不良は社会の問題となった."室の換気は容易なことであるが大衆の大部分はその必要性を理解しておらず、またそれを彼らに教え、実際に設置する義務をもつ人々さえも分っていなかったのである.われわれの住居は換気不良であるというだけでなく、建築家が彼の芸術や才能を惜しまずつぎ込を建物は多くの部分において換気のたあの処置を全く欠いており、またそのような処置をおこなうことは極めて困難あるいは不可能であるように作られていた."(Tomlinson)その時代の衛生学者、技術者、物理学者によって、多くの関心がこの問題(建物の換気)に一致して向けられ、また政府(イギリス)の査問の対象ともなった.しかしそこでは住居の自然換気については殆んど述べられておらず事態の転換を政府に託すことはできなかった.自然換気の基礎は1850年にWalkerによって与えられた.(i)窓は光を入れるが空気は入れない、換気は別に調達せればならない.(ii)給気口と排気口が共に必要である.(iii)入ってくる空気はドラフトをさけるため温めるべきである.(iv)給気口と排気口はうまく配置されねばならない.(v)換気用開口は恒久的なものでなければならない.一旦閉鎖されると、そのまいになってしまう.これらの原則は今日でも改める余地はないし、また今日でも実行されていないものがある.(例(iii))Walkerは壁の中空部を給気シャットに用い給気を温めることを提案している.後の工夫であるTobin-Tubeは同じ目的のための器具である.孔あき煉瓦がすべてそれに代ったが、それがうまく作用したとはいえない.それはフリーエリアが小さく取入空気量は僅かなものである.当時,Walkerの原則はほとんど知られなかったが、住居換気改善の最近の計画は,恐らく特に意識せずに.彼の原則によっており.又Dr.Neil Arnottの教示によっている.風力だけにたよる換気が実際上うまくゆかないことは昔から知られており、他の方法が種々試みられた.16世紀,Aglicolaは鉱山の換気を,その立坑の底部の焚火によって行った.このアイデアが建築に応用されたのは1723年、Desaguliersが下院議事堂の換気を促進するために試みてからのことである.機械送風は1734年以来用いられたがDr.Reidは1836年に下院議事堂が再建された時,再びこの熱的換気法を用いた,De Chabannesはガスシャンデリアからの熱をCovent Garden劇場の換気に利用した.電動送国機が完成されると,他の換気促進の方式はほとんど消え去った.
著者
渡部 貞清 高嶋 猛 福井 宇洋
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
建築雑誌 (ISSN:00038555)
巻号頁・発行日
vol.98, no.1211, pp.34-43, 1983-09-20