著者
尹 星皓
出版者
京都造形芸術大学
巻号頁・発行日
2014-03-15

2013
著者
野田 正彰
出版者
京都造形芸術大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1995

太平洋戦争が終わって半世紀になる。今日の富裕社会・日本の歪みは、敗戦のときに多くの日本人のとった精神病理に遠因するのではないだろうか。天皇制イデオロギーで精神を硬直させていた戦時下の日本人も、死が日常化した暮らしのなかで臨死体験を繰り返し、家族を喪い、人を殺し、家や地域社会を失い、軍隊内の暴力にさらされることによって、深く精神的に傷ついていた。人は受け入れがたい苦悩に直面すると「心的外傷後ストレス障害」(PTSD)になる。悲惨な事件が意識のなかに反復して侵入し、あるいは事件にかかわる悪夢にうなされる。他人から孤立しているという想いが強くなり、精神の集中は困難になり、抑うつ的となる。さらに、多くの人々が死んでゆくなかで生き残ると、「生き残り症候群」とよばれる精神障害を残す。慢性的な不安、現実感の喪失、情緒の不安定、意欲の減退、社会的な不適応などがあげられている。とりわけ、他の人が死んでいったのに、自分だけが生き残ったことについての罪の意識、あるいは他の人を助けることができず、生き残るために自分がとった行動についての罪責感が、彼らを苦しめる。戦場で、引き揚げて、捕虜収容所で、ほとんどの日本人が心的外傷後ストレス障害、生き残り症候群になったに違いない。死別による病的悲哀も体験したであろう。このような心的障害に対し、戦後の日本人がとった反応は三つあったと考えられる。ひとつは、極めて少数であったが心の傷や罪の意識を大切にしようとした人がいた。戦友の遺品や手紙を遺族のもとに黙々と届け続ける帰還兵の生きざま。「わだつみの声」の編集。敵、あるいは物としてしか見ていなかった中国人が、人間として見えるようになった時の加害者としての罪の意識の自覚…。しかし、それらは結局、周囲の人々がとるに足りないこと、めめしいこと、生存していくためには害になることとして抑圧していったのである。第二の反応は、戦争の加担者も被害者もひっくるめて「無罰化」し、勝っても敗けても戦争は悲惨なものだからと捉え、平和運動に流れ込んでいく動きである。戦後の反戦平和運動には、純粋無罰化の心理から絶対平和を主張するグループと、なおも反戦勢力(社会主義圏)と好戦勢力(アメリカ)を分けて考えるべきだと主張するイデオロギー的無罰化のグループがいた。いずれのグループも、心の傷を大切にしようとした第一の人々を切って捨てた。第三の反応は、心の傷を抑圧し、再び唯物的な価値観によって踏みにじり、物量によってアメリカに負けたのだから、経済的復興、工業の再建、アメリカの経済力に追いつき追いこすことによって立ち直れると身構えたのであった。それは富国強兵の軍国主義イデオロギーを、経済成長中心の資本主義イデオロギーに置き換えたものであり、力と物の豊かさがすべてだと思い込んでいた。これは朝鮮特需、高度経済成長、土木・建設業を軸とする地方の補助金経済、東京集中、産業構造転換の進行する過程で、ますます強化され、日本人の心?の本流になってしまっている。このような敗戦を物質的に過剰代償しようとする構えこそが、心の傷を否認する今日の日本の文化を作ってきたのであった。私は本研究において、「やむをえなかった戦争」でも「させられた戦争」でもなく、自分が行った侵略戦争の責任を問い続けている老人たちを訪ね、長時間の面接と内面の分析を行っていった。さらに元憲兵であった三尾豊さん(85歳)、元731部隊軍属(少年隊員)であった篠塚民雄さん(72歳)にお願いし、彼らの健康管理を行いながら、中華人民共和国のハルピン、済陽を訪ね、彼らが戦争犯罪あるいは中国人抑制にかかわった現地で、過去を追想し、内面を分析していく作業を行った。さらに中国・南京を訪問し、日本軍の大虐殺について現地を見てまわった。今後、三〇人をこえる膨大な聞き取り記録を整理していくつもりである。
著者
河上 眞理
出版者
京都造形芸術大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

「イタリア美術」という概念はイタリア半島初の統一国家イタリア王国の成立に伴い形成されたと仮定し、絵画を中心に、遺産としての過去の美術の扱いと、同時代の動向との関係を通して考察し、以下が明らかになった。第一に18世紀に遡るイタリア美術史編纂事業を通して、半島内で展開した美術の独自性と世界への発進力が改めて認識された、第二に美術品保護の充実が訴求され、公私の美術館制度が整備された、第三に「イタリア美術」というブランド力の国際的な場面における効果が認識され、謂わば、海外における「イタリア美術」像を再受容し、イタリア王国は美術外交という施策を展開した。
著者
林 洋子 木島 隆康
出版者
京都造形芸術大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

画家・藤田嗣治が、1920年のパリで国際的な名声を得た最大の理由に、彼が確立した「乳白色の下地」に、裸婦や静物を細く黒い輪郭線で描く独創的な技法が挙げられる。油性の地塗層に水性の墨で描く物理的な謎を生前の彼は秘密とし、死後も長らく詳細がわからなかった。本研究を通じて行われた、近年の作品修復成果の分析、技法再現、文献調査の照合によって、その秘密が「タルク(ケイ素とマグネシウムの水酸化物)」にあることが判明した。
著者
水野 千依
出版者
京都造形芸術大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究は、ルネサンスの図像文化における古代異教的慣習の残存を、以下の三つの事例に即して、歴史人類学的観点から考察した。(1)古代異教の慣習や民間信仰を基層とするルネサンス期の終末論的預言や奇蹟の言説と図像、(2)ルネサンスの肖像史にみる古代異教の「祖先の像」「像による葬儀」「コンセクラティオ」の残存、(3)ルネサンスの像文化における奉納像(エクス・ヴォート)の地位。いずれの成果も論文として発表するとともに、出版を予定している著書の一部にて公開する。
著者
大野木 啓人 川村 悦子 八幡 はるみ 松井 利夫 上村 博 松原 哲哉
出版者
京都造形芸術大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

本研究は研究会合での研究発表と討論、それに実験的な制作活動の双方により進行した。研究会合では研究組織のメンバーや外部講師を招き、月と生活との関わりをさまざまな角度から考察し、それを特定の場における芸術的な環境づくりという実践に反映させた。太陰暦は、さまざまな身体感覚や自然の変化に照応している。そこに顕著な、自然の兆しによって四季の移ろいを把握するという時間の分節法には、環境に対する鋭敏な知覚が働いており、それがさまざまな生活上の意匠にも現れている。各種の年中行事において日々の生活空間を形作るしつらいや衣食住のありかたは、今日の表象芸術においても参考にすべきものを多くもっている。しかしそれは決して現代デザインに転用できる個別のモチーフとしてではない。むしろ、芸術的な場をどのような時間的リズムにおいて創出するか、という点に関する示唆である。そのため、研究会では、観月会、ひなまつりなどの機会に芸術的な場を作る実験を数次試みた。京都市や京丹後市で、地域の風土や場所の特性を生かした展示や茶会などの行事を通じ、建築物や周囲の土地と一体となった芸術的な環境を作ることを目標とした。こうした諸々の試みは、日常生活と芸術的世界の双方ともが貧困な情況に陥っていることへの反省でもある。太陽暦ないしは世界時間に代表される時間システムのもとでは、平板で均質な日常のイメージが優勢であるために、特殊な時間空間を設定して刺激を与える必要が生じた。その結果、日常/非日常、ケ/ハレ、生活/芸術の対照が過剰になってしまった。しかしながら、それは芸術領域の囲い込みと無限の自己批判によるジャーゴン化である。むしろ、太陰暦のもとでの世界、すなわち地域環境やそこに流れる時間のリズムを尊重することで、芸術活動の有していた雑多な豊かさを回復することができるのではないだろうか。
著者
森田 実穂 上村 博 藤澤 三佳 原田 憲一 土屋 和三 上村 博 藤澤 三佳 原田 憲一 土屋 和三
出版者
京都造形芸術大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

教育、福祉、医療の場における芸術の役割を探求した本研究成果として、学校教育における造形芸術教育環境の悪化がみられ、福祉、医療、精神医療においても、機能回復に重点をおいた造形活動が多い点を調査結果から導出した。それを改善する創造的で能動的、自由な自己表現を可能とする造形教育学習プログラムを、上記分野において、地域の市民への芸術普及活動、環境や自然科学との融合の観点も含めて開発し、実践をおこなった。