- 著者
-
上村 博昭
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2018, 2018
<b>1.はじめに</b><br> 都市の発展に伴って,都市の内部では,既存の商業地区の変容や新たな商業地区の形成などが生じる.地方都市では,モータリゼーションで郊外にロードサイド型の大型店が増加し,商業活動の比重が変化した.鉄道駅付近の中心市街地が衰退傾向にあるため,活性化が課題とされる.他方,大都市圏では,鉄道の利用者が多く,駅前商業地区の商業集積は,店舗を入れ替えつつ,発展を続けている.<br> 既存研究では,地方都市における商業空間の変容だけでなく,後者の点も,実証的に検討されてきた.たとえば,中心市街地活性化や再開発など,都市内部で展開される政策と結びつけられて論じられている.ただし,大都市圏の商業地区といっても,大都市圏内のどの地域なのかという点で,商業空間の変容の在り方は異なるだろう.また,その分析では,戦後の商業や流通業を特徴づけるチェーン店の出店動向,近年に開発が進んでいる駅ナカや駅ビルの施設についても,併せて検討していくことが望まれる.<br> 本研究では,大都市圏の発展に伴う商業空間の再編成の実態を明らかにしたい.その際,大都市圏全体を検討するのではなく,大都市圏の郊外核となる地域を採り上げて,その内部における商業空間の再編成を検討する.このことにより,大都市圏の拡大が,郊外核の内部にある商業空間をどのように再編成してきたのか,を考察したい.本研究の事例として,城下町や商業都市として発展し,戦後に東京大都市圏の郊外核となった埼玉県川越市を採り上げる.<br><br><b>2.川越市の位置づけ</b><br> 川越市は,埼玉県南部の都市であり,東京大都市圏の郊外核の一つと位置付けられる.実際に,中核市や業務核都市に指定されており,中心性が比較的高い地域である.江戸時代には,川越藩が所在し,川越城の付近に城下町が形成されていた.その後,1893(明治26)年の川越大火によって旧来の城下町を焼失する被害が出たことに伴い,耐火構造とされる蔵造りの商家が,旧城下町地区で増加した.<br> 他方で,川越は,新河岸川の舟運で江戸との往来があるなど,物資の集散地として機能し,商業都市として栄えた.しかし,周辺の諸地域との競合によって,徐々に衰退したといわれる.明治期以降には,旧城下町の南部に,現在の西武新宿線,東武東上線やJR川越線が開通し,川越は鉄道交通の結節点となった.このほか,国道16号線や関越自動車道などの幹線道路が市内を通っており,今日では,通勤・通学の流動や物資流動が盛んな地域である.<br> 川越市の人口は,戦後の東京大都市圏の発展に連れて増加してきた.国勢調査によると,川越市の人口は,1960年に10.7万人であったが,2010年には34.3万人へと,50年間で3倍以上に増えている.2015年には川越市の人口は35.1万人であり,埼玉県では,さいたま市,川口市に次いで3番目の人口規模である.大都市圏郊外として,ベッドタウン化が進んでおり,鉄道駅の周辺に,複数の大型商業施設,商店街が立地するほか,駅ビルも整備されている.<br><br><b>3.商業空間の分化</b><br> こうした経過のなかで,川越市では,以下のように,特徴の異なる3つの商業空間が形成されたと考えられる.<br> 第1は,中心市街地の北部にある旧城下町地区である.江戸期の商人町や職人町に起源があり,川越大火を機に建造された蔵造りの街並みが残っている.かつては商業の中心地であったが,現在では,蔵造りによる観光空間へ変容し,観光関連産業の店舗が集積する地区となっている.<br> 第2は,中心市街地の南部にあたる鉄道駅周辺部である.川越市内には複数の鉄道駅があり,それらの周辺に商業集積がみられる.交通の結節点にあたり,通勤・通学客や観光客の流動が多く,駅ビルや駅付近の商店街が発達している.この地区は,今日における川越市の商業中心地である.<br> 第3は,中心市街地の外延部である.国道沿いにはロードサイド型のチェーン店が多く立地するほか,住宅地付近には食品スーパーなどが立地している.近年には,新たな宅地開発が進む地区において,複合的な商業施設が開業するなど,徐々に商業機能が高まりつつある.<br> 以上をふまえると,大都市圏の郊外のうち,比較的中心性の高い地域では,鉄道交通の利用者が多いことから,中心市街地は衰退しづらいこと,周辺部では自動車を利用したロードサイド型の店舗が立地しており,発展を続けていることを確認できる.また,このほかに,歴史的な建造物など,観光資源がある場合には,観光客を対象とする商業空間が,上述の商業空間と併存することを確認した.