著者
塩田 昌弘
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.129-154, 2013

近代日本の創業者といわれる小林一三は、阪急電鉄、阪急百貨店、東宝映画、宝塚歌劇等の設立企業家として高名である。また、現在の逸翁美術館のコレクションは小林一三の優れた審美眼により選定され収集されたものであり、その事は美術館の進むべき方針を決定したといえる。小林一三の逝去後、その邸宅を逸翁美術館として美術館活動が開始された。その後、開館50周年を記念して平成21年(2009)10月に新美術館を建設し開館している。これが、現在の逸翁美術館(池田市栄本町12-27)である。旧逸翁美術館は、小林一三の旧邸「雅俗山荘」当時の状態に復元し、平成22年(2010)4月に小林一三記念館(池田市建石町7-17)として活動を開始している。本稿は、現在の逸翁美術館の原点である小林一三記念館の成立の由来と現状を図面、写真、文献等により明らかにしようとするものである。
著者
本田 直也
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学CELL教育論集 (ISSN:21855641)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.25-28, 2012

大手前大学では1年次必修教育の中で情報活用カを育成している。この教育ではコンピュータの操作方法と機能を覚えるだけで無く、問題解決のために適切に情報活用できる能力を育成している。この情報活用カは在学中の学習においても就職活動においても必須の能力である。本研究ではこれまで卒業した学生を対象に、在学中の情報活用力試験の結果と就職先の関連を分析した。就織者と非就職者との比較、就職者の中での業種別の比較の結果を本稿で示す。
著者
丹羽 博之
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.(41)-(50), 2010

漢語が中国から東アジアの国々に伝わり、それぞれの国の文化に寄与したことは贅言を要しまい。本稿では、総角・愛人・知音の三つの漢語が朝鮮半島や日本に伝わり、如何に変化したかを考察する。総角の語は、中国最古の詩集『詩経』(衛風・氓)に「総角之宴、言笑晏晏」と見える。『大漢和辞典』では、この漢語に、「あげまき、髪をすべ聚めて頭の両側に角の形にむすぶ小児の髪型。(略)」と注する。この語は早くも上代、日本に入り、『時代別国語大辞典 上代篇』には、「あげまき[総角]少年の髪型の一種。」とある。このほか、古典世界では、催馬楽(総角)、『源氏物語』(総角)にも見られる。一方、この語は韓国にも伝わり、現在でも使われている。「総角」の語は『韓日・日韓辞典』(小学館)には、「未婚の男、チョンガー、独身男性」とある。チョンガーは日本にも伝わり、今も使用されている。中国から伝わった総角の語は日韓でそれぞれに変化した。現在、総角の語は元の中国では殆ど使われず、日本でもわかる人は減少している。チョンガー(総角)は、韓国においてだけ現在も使われ続けている。ほぼ同様のことが愛人の語にもあてはまる。元は「人を愛す」という普遍的な語であったり、英語のloversの翻訳語であったが、韓国語では愛人は、恋人の意味で使われる。日本の所謂愛人は戦後「情夫、情婦」の意味も加わり、変化した。中国でも、恋人の意味から配偶者の意味に変化した。また、知音の語も現在中国では、本来の意味で使われているが、日本韓国では恋愛関係にも使われている。この三例を取り上げ、漢語は本国でも、日韓でも時代とともに様々に変化していったことを考察する。
著者
田中 紀子
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.175-186, 2011

1995年に公開されたSmokeは、Paul Austerの短編小説"Auggie Wren's Christmas Story"(1990年)を基にして、Wayne Wangの監督の下に制作された映画である。登場する男性達の事実と虚構を織り交ぜた語りと、彼らの友情が主要な内容であり、人間同士の触れ合いを通しての相互の癒しが1つのテーマとなっている。一方、女性達は2次的だとみなされがちではあるが、男性達にとって重要な存在であり、中でも母親としてのあり方やその母性が示す意味は大きい。男性にも内包され得る母性は、特にAuggieに現れている。Smokeのテーマに大きく関わってもいる母親、そして母性について見てゆく。
著者
中島 彰子
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学CELL教育論集 (ISSN:21855641)
巻号頁・発行日
no.1, pp.9-12, 2009

入学予定者の多様化する習熟度と学力格差の拡大が問題となっている中、入学予定者に大学で必要な基礎学力を身につけさせるだけではなく、大学の教育システムへスムーズに誘導できるような入学前教育の体制づくりが重要な課題となっている。大手前大学では2009年度入学予定者対象の入学前教育において、入学後も頻繁に利用する携帯電話対応型LMS「確認くん」を活用し、入学予定者の学習意欲の持続を目指した。毎週「確認くん」を通じて課題と解答を配信し、1週目から3週目までの学習を終えた後、4週目の確認テストで学習内容の習得度を測定するという流れは、大手前大学の初年次教育システムと連動している。本稿では「確認くん」を活用した入学前教育システムの構築によって、いかに大学教育に必要となる基礎学力と教育システムの定着を実現し、大学生活へのスムーズな移行へと繋がったのかを考察する。

1 0 0 0 OA 「青柳の話」

著者
前田 禮子
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前女子大学論集 (ISSN:02859785)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.1_a-17_a, 1997
著者
松原 秀江
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.(109)-(128), 2011

「初恋」の詩の中の言葉を手がかりに、この詩は『伊勢物語』を下敷にしていること、そしてまたそのことから、その初恋の相手は、幼訓染の大脇ゆうではなく、明治女学校での教え子・佐藤輔子であることを述べた。
著者
塩田 昌弘
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.157-185, 2008

芦屋市谷崎潤一郎記念館は、明治・大正・昭和の時代を通して文豪の名に相応しい文筆活動をした小説家、谷崎潤一郎(明治19年〜昭和40年)の原稿、書簡、書籍、美術工芸品、愛用の日用品などを展示して、世界の谷崎文学の普及を試みたもので、昭和63年、芦屋市に開館された。明治44年、小説『刺青』、『麒麟』を発表した谷崎は、永井荷風に絶賛され、文壇の第一線に登場した。大正12年、関東大震災の後、関西に移り住み、確実にその文学の才能を開花させていった。昭和8 年、代表作の『春琴抄』、『陰翳礼讃』を発表している。昭和9 年、兵庫県武庫郡精道村打出下宮塚16(現在の芦屋市宮塚町12富田砕花旧居)に住み、創作に精進している。昭和10年には、谷崎潤一郎のインスピレーションの源泉となった女性・根津松子と結婚した。昭和18年、58才の時、芦屋の風土と日本の文化の古典美に想をえた名作『細雪』を発表するにいたる。昭和24年、『細雪』により朝日文化賞を受け、同年、文化勲章を受章した。昭和40年、80才で死去。記念館は、谷崎好みの数寄屋風に設計、庭園は京都市左京区下鴨の旧居、潺湲亭(せいかんてい)の庭を模して作られている。関西、谷崎が好んだ芦屋という風土、そこから生まれた文学作品、文豪の創作を助けたたたずまい、これらの要素をこの記念館は総合的に理解できる様に設計されている。風土と文学と建築美について論考しようと考えている。
著者
勝部 章人
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.A53-A64, 2003

アメリカ・ポピュラー・ミュージックのルーツを一般的によく言われる南部の黒人音楽であるブルースやゴスペルなどではなく、それとは別のカリブのフォーク・ミュージックへと辿る。1950年代、カリプソというカリブの音楽のブームがアメリカで巻き起こり、それがアメリカのポピュラー・ミュージックに大きな影響を及ぼす。しかしそれ以前にこの地域の音楽がすでに何らかの形で影響を与えていたのではないかを探るためにカリブ海の島の中から英語圏のジャマイカ、バハマとキューバを取りあげ、ニュー・オーリンズという他の町とは異なった当時の国際都市を通してどのようにアメリカへ影響を与えたかを考える。アメリカ・ポピュラー音楽の持つ屈託のない明るさという側面を作り上げた1つの要素はカリブの黒人のフォーク・ミュージックに由来し、その側面への影響力は南部よりこちらの方が大きかったことを議論する。
著者
森 道子
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.A93-A107, 2003

Where Angels Fear to Tread と『雪国』とは、海外旅行と国内旅行という違いはあるが、ともに鉄道による旅行小説である。特に注目したいのは両者におけるトンネルの効果的な活用である。旅人である主人公に密着した三人称の語り手が故郷と正反対の、ユートピア性をもつ旅先の土地での事件と徒労を描写する。タイトルに暗示されるように登場人物の間に浄化作用が、宗教的かつ神話的に働くことや、異郷の情景描写など具体的な旅行の魅力を存分に備えながら、旅先で起きる死によって旅とは人生であり、その行く先は死であるのを象徴することなどの共通点を探り、二作品を比較対照した。