著者
塩田 昌弘
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.139-174, 2011

朝日新聞を創刊し、日本を代表する新聞社に育て上げた村山龍平(1850〜1933)は、阪神間(神戸市東灘区御影町)にある香雪美術館の美術作品のコレクターとして知る人ぞ知る人物である。一方、村山龍平の生まれた伊勢国田丸(現在の三重県度会郡玉城町田丸)には、村山龍平の功績を顕彰した村山龍平記念館が建っている。村山龍平とはどの様なことを成し、なぜ現代にもその影響を与えている人物なのか。村山龍平は幕末に生をうけ、田丸藩の士族として活躍、明治維新後、大阪に移り住み、明治・大正・昭和のわが国の激動期を逞しく生き抜き、世界の朝日(新聞)を創り上げ、文化に多大の功績を残した人物である。まさに、新聞界の英傑の名に相応しい。この小論では、村山龍平の人となりと当時の社会の動き、村山龍平記念館の活動と建築について考察しようと思う。さらに、香雪美術館の所有する旧村山家住宅(国重要文化財)を併せて紹介しようと思う。小論により、近代日本の黎明期を生き抜き、実業界のみならず文化・美術の方面にもその才能の華を咲かせた村山龍平の成そうとした志のもつ今日的な意義を考察したい。
著者
大高 順雄
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.259-293, 2009

La parahypotaxe est une proposition complexe dont la protase a conjonction hypotaxique est suivie d'une apodose, precedee d'une conjonction parataxique `et' ou `si'. Cette construction, attestee deja en grec et en latin classiques, est utilisee souvent dans les proses en langues romanes du milieu a la fin du moyen age. Notre article traite du texte francien du manuscrit OUL 1 de la Bibliotheque de l'universite Otemae : La destruction de Troye la grant, qui pourrait etre date vers 1450. Nous avons releve tous les exemples avec 12 conjonctions de la protase : `a ce que', `afin que', `avant que', `combien que', `incontinent que', `ja soit ce que', `lorsque', `lors quant', `puis que', `quant', `si', `se'. Et nous avons analyse les rapports entre la protase et l'apodose precedee de `et' ou de `si', suivant les temps et les modes verbaux. Nous avons tire des conclusions, qui pourraient servir a comprendre un etat de langue francaise de cette epoque.
著者
平川 祐弘 Sukehiro HIRAKAWA
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 = Otemae journal of humanities (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.163-183, 2005

ハーンの『因果話』は松林伯円の『百物語』を基に英語で再話した怪談だが、嫉妬した女の手が、死後も相手にくっついたまま離れないという恐ろしい話である。ハーンは原作者と違って平和な風景の中で話を始めることで怪談の効果的な結びをきわだたせた。アイルランドの怪談作家ルファニュもThe Handという作品で白い手という身体の一部分の神出鬼没を描いたが、その手が出没する動機が説明されておらず、そこに読者の側の不満が残る。読者は怪談の中でも合理性のある話の筋を求めているからである。超自然的な現象であろうともハーンの『因果話』には女の嫉妬という動機があった。同様にモーパッサンのLa Mainにも復讐という動機が超自然的な、切断され、鎖に繋がれた手による相手の殺害を説明している。モーパッサンの『手』を読むと、その中に用いられた蜘蛛のイメージをハーンが『百物語』を再話する際にも用いたことが知られる。ちなみにハーンはモーパッサンの『手』の英訳者でもある。
著者
張 起權
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.(55)-(70), 2011

朝鮮王朝後期の朝鮮半島では、増大していく社会的混乱の中で、封建社会の基盤を成していた厳格な身分制度にも次第に変化が生じる。文化・芸術的な分野においても実学思想の動きがあらわれるが、特に文学においては、既存の理想主義的な風流文学の流れに反し、実生活を表現し、また批判する風刺文学が出現する。当代の風刺文学の中でも、仮面劇「タルチュム」にみられる風刺は最も痛烈で、批判精神に満ち溢れている。タルチュムは民衆によって生まれた芸術であり、その中には当時の民衆の主な関心事がそのまま描かれている。とりわけ階層間の対立問題と藤構造が浮き彫りにされ、支配層への批判がタルチュムという喜劇を通して表出されている。タルチュムの中には、「狂言」の太郎冠者のような、喜劇中の下男像の典型である「マルトゥギ」が登場する。お調子者で反骨的なマルトゥギによって、主である「両班(ヤンバン)」は弱点を突かれては嘲弄され、風刺の槍玉にあげられる。諧謔に富んだ風刺により、両班の掲げる地位や学識、道徳の矛盾に対して疑問を投げかけ、愉快な笑いを飛ばす。朝鮮王朝の厳格な封建社会において、社会風刺に富んでいるタルチュムの内容は、抑圧されていた庶民の鬱憤を発散し民衆意識を高揚させることに、非常に重要な役割を果たしていたのである。
著者
藤本 幹也 Mikiya FUJIMOTO
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前短期大学研究集録 = Otemae Junior College Research bulletin (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.83-92, 2007

本稿は、448施設の医療施設および220施設の福祉施設の平面計画を分析することにより、屋内避難階段の一時待機場所の検討、および平面計画上の問題点を見出し、設計基準を得ることを目的としている。結果を以下に示す。1)屋内避難階段は、医療・福祉施設共にほぼ同じ寸法で計画されており、1×1スパンに納まるように計画されている。2)屋内避難階段の有効幅員の軌跡と、防火戸の開閉軌跡が、一時待機スペースに重ならないように、防火戸の位置、踊場の有効奥行き寸法、屋内避難階段の幅員を決める必要がある。
著者
水原 道子 島崎 千江子 野波 侑里 溝口 正
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前女子短期大学大手前栄養製菓学院研究集録 (ISSN:09103767)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.193-204, 2001

本研究は日本の伝統的な料理"ぼたん鍋"のイノシシ肉についての知見を得ようとしたものである。猪名川流域にある丹波および篠山地域は上質のイノシシ肉を供給することでよく知られている。イノシシ肉卸業者はこの地域の特定の猟師達が仕留めたイノシシ肉のみを購入する。3才くらいの成熟獣、オスで50kgほどの重さのイノシシが良いとされている。メスイノシシは秋の出産後であるため次の年明け以後でないと適さない。年配のヴェテラン猟師達はほとんど男性であり、収入を得るためではなく趣味としてイノシシ猟をしている。狩猟免許(脚注、後述)を所持する者が狩猟犬をもって固有の集団を形成する。彼等は生臭さを与えず良好な味わいのあるイノシシ肉のさばき方をわきまえている。素人ハンターや事故で命を落としたイノシシ肉は購入しない。
著者
松村 昌家 Masaie MATSUMURA
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 = Otemae journal of humanities (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.127-142, 2004

一八六〇年創刊の『コーンヒル.マガジン』一八六三年五月号に、「エドからロンドンまで、日本使節団とともに」という標題の記事が載っている。寄稿者は、初代駐日イギリス公使、ラザフォード・オールコックのもとで通訳生兼補佐官をつとめたジョン・マクドナルドだ。マクドナルドは、一八六二年にヨーロッパ諸国へ派遣された幕末使節団の案内係として、江戸からロンドンまで同行し、さらに四十二日間にわたる使節団の滞英期間中も常に行動をともにした。それだけに、彼の書いた使節団同行記は、使節団のイギリスまでの全行程を知る上で重要であるばかりでなく、彼らの異文化体験のルポルタージュとしても興味深いものがある。たとえば香港、シンガポール等、アジア地域における西洋文化との出会いを通じて彼らが受けた衝撃、アデンからカイロまでのパシャ専用列車での旅の体験、カイロにおけるピラミッド見学の失敗の記、マルタ島でのイギリス軍備に対する驚異と好奇の眼は、まさに日本人の異文化体験の原風景を描いたものとして、注目すべき点を多く含んでいる。ジョン・マクドナルドの「同行記」は、文字どおり密着観察から生まれた、幕末使節団に関する最初のドキュメントとして、知られざる部分をいろいろと語ってくれているのである。
著者
島崎 千江子 吉野 鈴子 Chieko SHIMAZAKI Suzuko YOSHINO
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前短期大学研究集録 = Otemae Junior College Research bulletin (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.27-55, 2011

女子学生のファッション行動の導入と現状、およびライフスタイルに関する調査を行った。また、資質との関連についても考察し、社会対応力への活用に向けた今後の課題を探った。その結果、ほとんどの女子学生が高校生の段階で化粧を経験していることが明確になり、家庭におけるしつけの中で「ファッションや化粧・髪染め」などは、現在、子供の自由が重視され、規範から除外されていることが確認できた。またファッション行動が低年齢から積極的になっていることや、社会に順応した社会対応力を持っているわけではなく、異なる意識傾向を示していたことが確認でき、さらにライフスタイルや資質との関係が認められた。
著者
日比野 丈夫
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前女子大学論集 (ISSN:02859785)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.1-20, 1986
被引用文献数
2
著者
川本 皓嗣 Koji KAWAMOTO
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 = Otemae journal (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.(1)-(26), 2010

いわゆる漢文、あるいはその日本における具体的な存在様式である漢文訓読は、考えれば考えるほどふしぎなものである。その曖昧さ、正体のつかみ難さという点と、それとは裏腹の存在の重さ、巨大さ、根深さという点で、それはまさに日本文化の特性を典型的に表わしているようだ。この重要な現象が、かなり最近まで十分な注意を惹くことがなかったのは、たとえば和歌や俳句などの特異な詩の形式と同様、それが日本人にはあまりにもなじみ深い、ごく「当たり前」の制度ないし決まりだったからだろう。とはいえ、ほぼ今世紀に入った頃から、訓読をめぐる議論がようやく活発になりつつある。これは大いに歓迎すべきことだが、ただ、訓読という現象に正面から理論的な考察を加えたものは、まだそれほど多くない(もっとも、俳句であれ連句であれ、掛詞であれ切れ字であれ、あえて理論的・原理的、比較論的な穿鑿の対象にしないことこそ、日本文化の特質なのかもしれない)。そこであらためて、あえてごく初歩的・常識的な要素をも考慮に入れながら、翻訳論と比較文化論の両面から、漢文訓読という異言語読解のシステムを問い直してみたい。
著者
辻 成史
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.A1-A24, 2004

第二次大戦後欧米の美術史研究は、長期に亘って E. Panofsky の主導の下に展開されたイメージ解釈学-イコノロジー-の強い影響の下にあった。1980年頃を境に、いわゆる New Art History を始めとしてイコノロジーに対する批判が顕在化してくるが、それとてもイメージを記号と看做すという点においては、本質的に前者と決定的に袂を別つに至らなかった。両者に通底していたのは、イメージと言語、あるいはイメージと超越的客観の間に暗黙のうちに前提されていた同一性/同時性であり、その記号論的根拠を脱構築することなくしては、イコノロジーのみならず、十九世紀以来続いてきた近代主義的美術史学の限界突破の難しいことが次第に明らかとなってきた。欧米の美術史学には、1990年頃を境にこの方向に沿っての展開が著しい。本論の著者はこの数年、美術史学の根本をなす可視性/不可視性の問題をさまざまな方角から取り上げてきたが、今回はプラトンから8世紀初頭のダマスコスのヨハネに至る古代-初期ビザンティン思想における「質料/物質」概念の変遷を通覧し、プラトン自身その晩年に示唆するに至った作品の存在論の反イデア的根源-「コーラ」-に注意を向けてみたい。
著者
貝柄 徹
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.83-99, 2011

地球温暖化防止のために二酸化炭素(CO2)、メタン(CH4)および一酸化二窒素(N2O)などの温室効果ガスの排出量削減の数値目標が設定されて以来、「地球環境に優しい乗り物」として自転車が再認識され始めた。中・長距離輸送面では鉄道もまた同様である。この両者の相互利用の歴史は古い。本稿では、日常的な鉄道への自転車の持ち込みから、その後のレジャーとしてのサイクリング列車(サイクルトレイン)および自転車を分解し袋に詰めて持ち込む「輪行」に至るまでの歴史的展開をレビューし、2011年に近畿日本鉄道が実施したサイクルトレインの現状と問題点について考察する。
著者
井之上 節朗 松富 謙一 川窪 広明
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
no.10, pp.43-52, 2009

本学の教員と学生が、広島県尾道市において空き家再生プロジェクトに参加するなかでこの地域が急斜面で車輌などによる材料・道具類の搬入が不可能であり、かつ繁殖しているモウソウチクが敷地・建物に悪影響を及ぼしている状況に直面した。本来、歴史的に見ても竹は建材などにも使われてきており、わが国の文化になくてはならないものであったはずである。そこで今回はあらためて竹の活用を検討するために基礎的な強度試験を行うことにした。まず、尾道市の竹林よりモウソウチクを伐採し、長さ20cmに切断し、節有・隔壁有、節有・隔壁無、節無・隔壁無の3種類のサンプルを作成し、乾燥してないものと乾燥したものの圧縮試験を行った。結果として、乾燥してないものは、3種類の間に大差はなかった。乾燥したものは、乾燥してないものの約2倍程度の強度を示し、3種類の中では節有・隔壁有が最大の強度となった。今後、サンプル数量を増やし試験結果の精度を上げ、これを基に新たな展開に繋げたい。
著者
丹羽 博之
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.(1-24), 2012

以前に「大和田建樹作詞「旅泊」と唐張継「楓橋夜泊」-明治唱歌による和洋中文化の融合-」(大手前大学人文科学部論集 第六号 二〇〇六年三月)、「大和田建樹作詞「旅泊」と唐張継「楓橋夜泊」と「灯台守」と英国賛美歌」(第十回東アジア比較文化国際会議(二〇〇八年一〇月 大韓民国 高麗大学)の論において、大和田建樹は唱歌「旅泊」において、「楓橋夜泊」詩を巧みに利用して、明治唱歌として、初めての芸術的な唱歌を作詞したことを述べた。 また、この曲は櫻井雅人氏によって、亜米利加のスクールソング"The Golden Rule"の利用が証明された。その後、「旅泊」の曲は、昭和二十二年文部省の音楽の教科書に「灯台守」として載り、更に同じ題で、韓国に伝わり、日本では殆ど歌われなくなった「灯台守」が今も韓国では歌い継がれていることを述べた。今回の発表では、(1)「旅泊」の題は『唐詩選国字解』の当該詩の解説の冒頭「旅泊ノコトナレバ」を参照して、大和田建樹は「旅泊」の題名を思いついたのではないかと推察した。(2)「楓橋夜泊」詩の日本での受容の例を探し、絶海中津(一三三六〜一四〇五)の詩を初め、五山文学のころから受容されたらしい。その他、日本国使と称して朝鮮半島に渡った玄蘇が一五八〇年に、慶州の奉徳寺の鐘をみて「楓橋夜泊愁眠客」の詩句を詠じた例がある。(3)韓国においては、高麗末の詩人李穡(一三二八〜一三九六)の詩集「牧隠詩藁」(巻十一)の「秋日。奉懐懶残子。因述所懐。吟成 五首(其一) 奉呈籌室」詩に、 「回首天台欲断腸、石橋人影掛夕陽、如今却似寒山寺、半夜鐘声到病牀」とあるのが、現在残る最古の例。(4)「月落烏啼」の名句は已に中唐劉禹錫の「踏歌詞四首(其三)」に、「新詞宛転遞相伝、振袖傾鬟風露前、月落烏啼雲雨散、遊童陌上拾花鈿」の例が見られ、韓国の漢詩に二十例見られる。等の事を指摘した。
著者
大島 浩英
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.29-42, 2010

Georg Wickramの滑稽話集Das Rollwagenbuchlin(1555)(『車中つれづれ話』)に収められたSchwank"Wie ein schneyder in himmel kumpt und unsers herrgotts fussschamel nach einer alten frauwen harabwirfft".(「一人の仕立屋が天国へとやって来て、神様の足台を老婆めがけて投げ下ろした話」)を下敷きにして、グリム兄弟はKinder- und Hausmarchen(1857)(『子供と家庭の昔話』)の中で"Der Schneider im Himmel"(KHM 35)(「天国の仕立屋」)というメルヒェンを再話した。本論考ではヴィクラムの原文、現代語訳、グリムの再話をそれぞれ比較することによって、初期新高ドイツ語から現代語へと移行する際の音変化、中世高地ドイツ語の影響、書記法の揺れ、不安定な語順と時制表現などが明らかとなり、そしてグリムが再話する際には、登場人物に対してヴィクラムにはなかった独特の性格付けを行いこの話に笑い話的な印象を与えていること、また具体的で詳しい描写や慣用句が増えたことで、本来の口伝えの文体から離れていく様子などが明らかとなった。
著者
松村 昌家
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.103-120, 2003

幕末にヨーロッパ諸国に向けての使節団派遣のお膳立てをした駐日英国公使オールコックは、その準備の過程で、外交問題とは直接に関係のない二つのプランを練っていた。一つは、一八六二年五月一日に行われる第二回ロンドン万国博覧会の開会式典に、使節団の代表数名を送りこむこと。そして万博会場に日本製品を展示することによって、日本に対するイギリス側の関心を引きつけること。二つとも日英交流史における画期的な出来事であったにもかかわらず、従来あまり注目された形跡がない。本稿では、六二年万博開会式典に臨んだ七名の使節団代表者たちの、文字どおりの異国体験に注目するとともに、この日のパフォーマンスとして仕組まれた「ピクチャー・ギャラリーズへの大行進」が、いかなるものであったかを解き明かす。特に「ピクチャー・ギャラリーズ」は、イギリスにおける万博文化史のなかで、きわめて重要な意味をもっているのだ。日本から送られた展示品は、大部分がオールコックの蒐集になるものであったとはいえ、万博における日本の初参加であったことに変わりはない。これを使節自身はどう見たのか、そしてイギリス側からの評価はどうであったのか。やはり見逃してはならない興味深い日英交流史のひとこまであったのである。