著者
近松 鴻二
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学史料館紀要 (ISSN:02890860)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.39-58, 2014-03
著者
長佐古 美奈子
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学史料館紀要 (ISSN:02890860)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.24-37, 2014-03
著者
長佐古 美奈子
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学史料館紀要 (ISSN:02890860)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.24-37, 2014-03
著者
宮脇 永吏
出版者
学習院大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2011

本年度は、本研究において最も重要な論点となる「視覚」の問題系について、ベケットの後期作品に的を絞り、以下の点について検討した。1.ベケット後期作品に表出する視覚描写と同時代のフランス思想との照合S・コナーは、ベケットの作品が視覚の権威を懐疑的な検査に付すことで、西洋的な「視覚中心主義」を批判する潮流に加わっていると指摘する。この「視覚中心主義」とはアメリカの思想史家M・ジェイの用語であるが、ジェイの企ては、20世紀フランスの思想家が映像技術や監視装置といったものに引き寄せられる一方で、この伝統的視覚中心主義を批判するかたちで形成されてきたことを示すということであった。本研究では、ベケットの後期戯曲『芝居』、散文『人べらし役』『終わりなき光線の観察』を中心に考察し、ベケットが視覚と理性を結びつけた西欧哲学の伝統的解釈を踏まえたうえで「光」や「理性的なまなざし」を用いており、あたかもM・フーコーの言う「まなざしの権力」を操りながら、その権威的視覚に疑問を呈していることを証明した。2.ベケットが参照した哲学書との照合視覚の問題系を取り上げる過程で、とくにデカルトの『情念論』とべケットの視覚との関係を精査する必要性を見出した。この書は、デカルトが人間の眼の機能を説明するうちに、自ら説いた心身二元論の矛盾を露呈するものであり、最後の著作であると同時に最大の問題作でもある。ベケットが『終わりなき光線の観察』や『フィルム』といった作品のなかで「身体的な眼」と「精神的な眼」に分離した視覚を表現することが、最終的にはいわばデカルトの心身二元論批判に至るということは、この著作のはらむ問題と照らし合わせることによって明らかなものとなる。後期ベケット作品は、「視覚」にまつわる諸問題を検討するというプロセスそのものを提示することによって、心身の合一を説く現象学的視点を得るに至っていることを確認した。
著者
加藤 耕義
出版者
学習院大学
雑誌
言語 文化 社会 (ISSN:13479105)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.113-138, 2008-03
著者
中島 匠一
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学史料館紀要 (ISSN:02890860)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.20-1, 2014-03
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学史料館紀要 (ISSN:02890860)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.27-21, 2014-03

1 0 0 0 はじめに

著者
高橋 裕子
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学史料館紀要 (ISSN:02890860)
巻号頁・発行日
vol.20, 2014-03
著者
マクレガー ローラ ニスカネン エイヤ
出版者
学習院大学
雑誌
言語 文化 社会 (ISSN:13479105)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.75-113, 2013-03

日本における映画祭に関する研究で英語による研究はこれまでのところほとんど行われていない。本研究ではその欠陥部分を補うとともに、日本における映画祭がどのように企画運営されているのかについて詳細に調査することを目的とする。本研究では日本で行われた映画祭に関する調査の第一部として8つの映画祭について検討するが、本論ではそのうち、ぴあフィルムフェスティバル、山形国際ドキュメンタリー映画祭、札幌国際短編映画祭、沖縄国際映画祭の4つの映画祭について報告する。報告内容は次のとおりである。(i)映画祭の歴史、テーマ、コンセプト(ii)映画祭の企画および構成(iii)資金(iv)プログラミング(v)観客と発券業務(vi)宣伝と販売方法(vii)報道機関による報道。この4つの映画祭に限ってみても、その広がりや規模においてさまざまな様相を呈しているが、共通しているのはおそらく、企画運営者たちの熱意、興味深い映画の探求、そして将来的に映画祭が直面する課題であろう。資金面で運営が継続的に可能か、映画製作媒体や製作状況の変化に対応していけるか、国内外において映画を公開することによって上映された映画と同様に聴衆の国際化、すなわち、海外からの聴衆を増やすことにつながるのかなど、課題は多岐にわたっている。
著者
塩谷 清人
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.206-197, 2005

イギリスは名誉革命が終った17世紀末からは、王権が抑制され、近代議会制度が急速に成長していく。いわゆるトーリーとホイッグという二大政党の色分けがはっきりしていくのもこの時代である。両党は政策の広報活動としてジャーナリズムを利用した。「出版物許可法」失効(1695)を機に新聞、雑誌が一気に出版された。当時のその現象を「ペーパー戦争」と呼ぶ。文学者たちもその動きに巻き込まれた。デフォーとスウィフトが政治的に活躍したのはちょうどその時期だった。 この時代を代表するこの二人の作家は直接には面識がない。まだ宗教と政治との関係が色濃い時代で、トーリーと英国国教会、ホイッグと非国教徒の結びつきは強かった。デフォーは非国教徒で当然ホイッグと見られていた。一方スウィフトは英国国教会の聖職者であるがホイッグ党に友人が多かったため、当初ホイッグ系と見られていた。その二人がロバート・ハーリーという政治家のもとで一時期執筆活動をした。ハーリーはもともとホイッグだったが首相(1710 年~ 1714 年)時代はトーリー党を率いて組閣していた。そこで二人はそれぞれホイッグからトーリーへ変節したと非難される。 当時スペイン継承戦争が延々と続いていて、その終結をめぐって二大政党ではげしく論争があり、ハーリーはその早期停戦を目指してフランスと秘密交渉をし、その結果が公表された。この論戦でデフォー、スウィフトはハーリーの意向にそってそれぞれ論文を書いた。それが『金のかかるこの戦争を早急にやめるべき諸理由』と『同盟諸国の行状』である。彼らはほぼ同時期に同じ趣旨のものを書いたが、二人が相談しあったということはない。その結果、この二論文は両者の特徴がよく出たものになった。デフォーは、ハーリーの御用ジャーナリストであったから、その立場からホイッグ系の戦争継続支持者を説得する内容になる。スウィフトは辛らつな筆致で有名な作家で、自由な立場だったから当然ホイッグ側を猛烈に攻撃していく。結果的にスウィフトの論文のほうが多大の影響を与えて、ユトレヒト条約締結の方向へ一挙に進む。 二つの論文とそれを書いた作家の背景を知ることで、時代と作家、思想などさまざまな面が見えてくる。After the Glorious Revolution in 1688, Great Britain developed the modern parliamentary system, limiting monarchical power. The Tories and the Whigs fiercely competed for the ruling power. Both parties tried to take advantage of journalism to promote their beliefs. After the expiration of the Licensing Act(1695), many newspapers and magazines were published. Almost all writers were involved in this, known as "the paper war". The political activities of Daniel Defoe and Jonathan Swift coincided with this movement. Defoe and Swift did not know one another personally, but both supported the policies of Tory politician Robert Harley, then the Prime Minister, who wanted to end the War of the Spanish Succession quickly. Both Defoe and Swift, who had been regarded as Whigs, were accused of conversion. Under the direction of Harley, each man wrote articles on the issue without knowing about the other's writings. Defoe wrote Reasons Why This Nation Ought to Put a Speedy End to This Expensive War, and Swift wrote The Conduct of the Allies. Each article is quite distinct from the other: Defoe tried to persuade the Whigs to end the war, while Swift aggressively assaulted them. Swift's article persuaded the public and parliamentary opinion, and the parties involved in the war signed the Treaties of Utrecht. A comparison of these articles and their backgrounds reveals that both writers wrote under certain pressures but they nevertheless conveyed distinct opinions and exemplified the complexities of the political circumstances.
著者
石川 満
出版者
学習院大学
雑誌
研究年報 (ISSN:04331117)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.23-40, 1990
著者
飯高 茂
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学史料館紀要 (ISSN:02890860)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.1-12, 2013-03